「ウィ・アー・ザ・ワールド」全米No.1
マイケル・ジャクソン、ライオネル・リッチー、シンディ・ローパー、スティーヴィー・ワンダー、ブルース・スプリングスティーン……などなど、数え切れないほどの超有名ミュージシャンが参加したチャリティ・プロジェクト、“U.S.A. For Africa”の「ウィ・アー・ザ・ワールド」が全米シングル・チャートで1位に輝く。“僕たちは世界”と歌うこの名曲の大成功により、この後ロック・シーンにはチャリティ・ブームが巻き起こったのは有名な話。
−2006年03月29日作成−
アル・グリーンが誕生
ソウル/ゴスペル・シンガーのアル・グリーンが、米国アーカンソーに生まれる。ミュージシャンとしての名字は“Green”だが、本名は“Greene”。彼が歌い始めたの9歳の時で、家族とともに結成したGreene Brothersでパフォーマンスしていたという。高校生の頃には自身のグループを結成、60年代後半からインディでの活動を経た後、本格的なデビューを飾った。74年、ガールフレンドの自殺を機に牧師となったのは有名だ。
−2007年03月28日作成−
ローリング・ストーンズ、初の東欧ライヴ
ローリング・ストーンズが初の東欧コンサートを行なう。場所はポーランドのワルシャワ。西側のバンドが演奏をするのは、当時まだ異例のことであり(ちなみに史上初は、1965年のマンフレッド・マン)、ソールド・アウトにもかかわらずチケットを入手しようとするファン制止のために、警察は警棒と催涙ガスを使用する大騒ぎとなった。この時期、体制側から厳しく睨まれていたストーンズだが、この事件からも世界中のティーンに対して絶大な影響力を与えるまでになっていたことがよくうかがえる。
−2001年03月26日作成−
西城秀樹が誕生
2001年にデビュー30周年を迎え、加えて18歳年下の美女と結婚した西城秀樹、広島市に生まれる。高校時代にスカウトされ、1972年「恋する季節」でデビュー。積極的に洋楽を日本語でカヴァーする一方、欧米のミュージカル・スターにあこがれ、ミュージカルにも挑戦していった。その後、音楽と芝居を融合した舞台『D-LIVE ROCK TO THE FUTURE』に出演。この舞台には元バービーボーイズの杏子、元プリンセス・プリンセスの中山加奈子、元ゴーバンズの斉藤光子など、バンド・ブーム時代の人気アーティストも出演している。
−2002年03月27日作成−
ダンスブームに咲いたZOOのメンバーSAE、誕生
踊り暴れたダンスグループZOOのメンバーSAE、誕生。'90年初頭、日本に突如吹き荒れたダンスブーム。そんなブームのさなかにテレビ朝日の『DADA.L.M.D』で勝ち抜いたTACOと SATSUKIでL.M.D ダンサーを結成。その後、SAE、HIRO、CAP、MARK、LUKE、HISAMIなどが加入し、ZOOとなる。翌年1月にNAOYA参加。結成当初には、あのTRFのYUKIも在籍。主なヒット曲は「Choo Choo Train」「Gorgeous」など。現在、SAEは、ダンス教室のインストラクターをしながら、芸能活動も行なっている。
−2003年03月25日作成−
今や世界的人気!? TVアニメ『クレヨンしんちゃん』放送開始
1992年4月13日、臼井儀人の人気ギャグ漫画を原作としたTVアニメ『クレヨンしんちゃん』の放送がテレビ朝日系にて開始される。今や世界各国でも放送され、スペインでは熱狂的な支持を得ているという本番組だが、放送第1回は4.0%という低視聴率。だが放送を重ねるにつれ、視聴率は右肩上がりとなり、93年7月には最高視聴率28.2%を記録。子供たちの間で主人公「しんのすけ」の物真似が流行り社会現象ともなった。なお、93年以降は劇場版も制作されている。
−2009年03月31日作成−
「待たせたな、小次郎」。巌流島の決闘が行なわれる!
中村錦之助、高倉健らによる『宮本武蔵 巌流島の決斗』(東映・65年)、本木雅弘、田村淳ら出演の『巌流島-GANRYUJIMA-』(03年)など、たびたび映画化されている、剣豪・宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘が約400年前の今日行なわれました。余談ですが、日本人なら知らぬものはいない!と言い切れるこの決闘をベースに、1987年10月4日にはアントニオ猪木とマサ斎藤による名勝負“巌流島の闘い”もこの島で行なわれました。
−2007年03月30日作成−
ビートルズ365:3度目のハンブルク巡業、格上のスター・クラブに出演。
5月31日まで続く3度目のハンブルク巡業はそれまでよりも格の高いスター・クラブで演奏することになっていた。11日、ビートルズはハンブルク空港に到着。飛行機を降りた彼らを待っていたのはスチュアート・サトクリフの死だった。その時、ジョンは突然の死を受け止めることができず、突然笑いだしたそうだ。空港で出迎えたクラウス・フォアマンは「ジョンはこの事件を乗り越えようと過度に興奮し、無理矢理頭をおかしくさせたんだと思う」と語っている。そして、その2日後の13日、スタークラブでの公演は初日を迎え、大成功を収めた。ちなみにビートルズはこのツアーで初めて飛行機に乗った。
−2006年04月01日作成−
※ 掲載記事は作成後に生じた動向、および判明した事柄等は反映していない場合があります。