鬼才・トッド・ラングレンが誕生
トッド・ラングレンが米国ペンシルヴァニア州に生まれる。ユートピアを率いてプログレを演ってみたかと思えば、ソロでは美しいメロディを紡ぎ、プロデューサーとしてXTC、ザ・バンド、高野寛まで手掛けるなど、その才能は底なし。彼がナッズの一員としてデビュー・アルバム『ナッズ』をリリースしたのが1968年、20歳の時だから、同作で聴ける独特のポップ感は10代ですでに開花していたということだろう。天才はやっぱり違うね。
−2006年05月26日作成−
マイティ・マイティ・ボストーンズのディッキー・バレットが誕生
米国ボストンを拠点とするスカコア・バンド、マイティ・マイティ・ボストーンズのディッキー・バレットがロード・アイランドに生まれる。中学・高校時代をマサチューセッツで過ごした彼は、大学生の頃にボストーンズのドラマーであるジョーと出会った。スカ・コアの源流となったボストーンズにおいて、彼の特徴的な声が大きな役割を果たしていたのは間違いない。ラジオのDJや映画出演も果たすなど、多方面で活躍する才人でもある。
−2007年05月29日作成−
シンディ・ローパーが誕生
「地雷ZEROキャンペーンソング」にも参加していたシンディ・ローパー、病院に向かう途中のタクシーの中で誕生。「ハイ・スクールはダンステリア」などが大ヒットし、その独特のキッチュな歌声で世界を席巻する。歌だけでなくさまざまなチャリティー活動に参加する歌姫は大のプロレス好きでもあり、売れ始めの頃はよくテレビの中継などにも出演していたという。また、日本では正月の『オールスターものマネ紅白歌合戦』に飛び入りするなどサービス精神も発揮。
−2001年05月25日作成−
斉藤和義が誕生
斉藤和義、栃木県に生まれる。小学校6年の時に母親が買ってくれたアコギが彼の人生を変え、21歳で大学中退、上京。しかしまったく売り込みをせず、しびれを切らした姉の一言で、TVのコンテストに出場。'93年「僕の見たビートルズはTVの中」でデビュー。その後、爆発的なヒットはないが、『ポンキッキーズ』の挿入歌「歩いて帰ろう」などでその才能は実証済み。
−2002年05月27日作成−
『シティーハンター2』のサントラが発売
北条司の人気漫画を原作にしたTVアニメの第2シリーズ『シティーハンター2』(88〜89年放送)のオリジナル・サウンドトラック(第1弾)が発売される。さまざまなミュージシャンのブレイクのキッカケを作った「シティーハンター」のTVアニメ版だが、ここでは第2シリーズの第1期テーマである、PSY・Sの「ANGEL NIGHT - 天使のいる場所-」(OPテーマ)と、岡村靖幸の「SUPER GIRL-CITY HUNTER2-」(EDテーマ)を収録。また冴羽リョウの声を演じた神谷明のヴォーカル曲や劇中BGMなども収められている。なお第2シリーズのサントラは同年11月に第2弾が発売されている。
−2008年06月18日作成−
“岩井美学”の作り手、撮影監督篠田昇逝く
撮影監督の篠田昇が逝去。『リリイ・シュシュのすべて』『花とアリス』などで見られる美しい映像は彼の手によるもの。ハンディ・カムを用いた手法を取り入れたり、スチールカメラのレンズをムービーカメラに使用するなど、撮影技術向上に全身全霊を傾けた。岩井俊二監督の映画には欠かすことのできない人物だっただけに、“岩井美学”と呼ばれた映像美が今後どう変わっていくのか、気になるところである。
−2007年05月22日作成−
ビートルズ365:ビートルズ、プロとして初めてのレコーディング
アバーバッハ音楽出版のヨーロッパ担当ディレクターだったアルフレッド・シャハトはトップ・テン・クラブを訪れると、シェリダンとビートルズの組み合わせに強く魅せられた。シャハトは友人である指揮者兼作曲家のベルト・ケンプフェルトと、ポリドールでのトニー・シェリダンのレコーディングにビートルズを呼んだらどうかともちかけた。ビートルズはケンプフェルトのオフィスに招かれ、レコーディングと音楽出版の契約をし、レコーディングに参加(スチュアート・サトクリフは演奏には参加していない)。シェリダンとともに「マイ・ボニー」「ザ・セインツ」「ホワイ」など5曲をレコーディング。ジョンがヴォーカルを務める「エイント・シー・スウィート」、ジョンとジョージの共作によるインスト「クライ・フォー・ア・シャドウ」の2曲をビートルズだけでレコーディングした。
−2006年05月26日作成−
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