元メガデスの“ジュニア”が誕生
米国のヘヴィ・メタル・バンド、メガデスのベーシストとして活躍したデヴィッド・エレフソンがミネソタ州に生まれる。11歳の頃にはロック・ミュージシャンになることを決意していたという彼は、ピアノやサックスのレッスンを受けた後、ベースを手にする。メガデスの総帥、デイヴ・ムステインと運命的な出会いを果たした後は、その相棒としてバンドを支え続けた。が、ムステインと同じ名前のため、“ジュニア”と呼ばれることを快く思っていなかったとか。
−2007年10月30日作成−
「聖母たちのララバイ」でお馴染み、岩崎宏美が誕生
歌手の岩崎宏美が東京都に生まれる。75年に「二重唱(デュエット)」でデビュー、キャッチコピーは“天まで響け 岩崎宏美”だった。この頃からその声量と歌唱力は高く評価され、82年にリリースした「聖母たちのララバイ」は、当時としては異例の130万枚というビッグ・セールスを記録している。ミュージカル『レ・ミゼラブル』、テレビ・ドラマ『男女7人秋物語』など、女優としても活躍。妹の良美も芸能活動をしているのはよく知られるところだ。
−2006年10月30日作成−
ローリン・ヒルが2人目の子どもを出産
13歳でデビューし、1996年に発売されたアルバム『THE SCORE』が世界で1800万枚、さらには女性では史上初のグラミー賞5冠達成、という泣く子も黙る世界の歌姫ローリン・ヒルが2人目の子どもとして女の子を出産。97年にもザイオン君をもうけており、彼のことは「To Zion」の中でも歌われている。J-pop界の歌姫・安室奈美恵や宇多田ヒカルも彼女の大ファンであることは有名。宇多田は、西武ドームで行なわれたイベントに参加するローリンから直々の誘いを受けたものの、ステージへの参加を断ったということが話題にもなった。
−2000年10月30日作成−
T.M.Revolution、試写会場で抜き打ちライヴ
T.M.Revolutionが映画『ダイナソー』の試写会で抜き打ちライヴを決行。“DINOSAUR SUPER REVOLUTION PREVIEW in SEIBU DOME”と銘打たれ、西武ドームで行なわれたこのイベントには話題の映画目当てに約1万8,000人が集結。その終映直後にレーザー光線とともに現れたT.M.Rが「BRIGADE」を披露した。13.5×25mの巨大スクリーンをバックに歌い終えた彼は、そのまま舞台の下へ潜り消滅。プリンセス天巧ばりのマジックに、会場を埋め尽くした若者たちは呆然だったとか。
−2001年10月24日作成−
ニール・ヤングが誕生
ニール・ヤングがカナダのトロントで生まれる。10代で音楽活動を始めたニールは、弾き語りやバンド参加を経てロサンゼルスへ移住。かつて同じステージに立ったスティーヴン・スティルスと伝説のバンド、バッファロー・スプリングフィールドを結成する。その後ソロとして活動を開始し、『アフター・ザ・ゴールド・ラッシュ』『ハーヴェスト』といった名盤を発表。同時にクロスビー・スティルス・ナッシュ・アンド・ヤング(C.S.N&Y)でも活動するなど、ロックへの飽くなき探求心には毎度驚かされる。一度聴いたら忘れられない声の持ち主。
−2002年10月29日作成−
ギレン・ザビから「なんでも鑑定団」まで!声優の銀河万丈が生まれる
1948年11月12日、声優/ナレーターの銀河万丈が生まれる。青ニプロダクション所属。代表作である『機動戦士ガンダム』のギレン・ザビなどアクの強い役柄が定評で、本人もそういった役柄を好む発言をしている。が、活躍はそれだけにとどまらず、『FNS地球特捜隊ダイバスター』のシュールな博士役、お茶の間に広く知られる『開運!!なんでも鑑定団』のナレーションなど、その独特の低い声質で、奥深い重厚な役から軽めな役までこなす、非常に芸達者なベテラン声優である。
−2008年11月10日作成−
“山路管理官”こと、寺島進生まれる
TVシリーズ『アンフェア』、映画『アンフェア ザ・ムービー』の“山路管理官”としてもおなじみの俳優、寺島進が生まれる。松田優作の『ア・ホーマンス』(86年)で映画デビュー、『踊る大捜査線』のスピン・オフ『交渉人 真下正義』で一気に知名度を高めた。撮影所の大部屋で北野武と運命的な出会いを果たし、北野作品にも数多く出演している。
−2007年10月31日作成−
ビートルズ365:ジョン、遺言状を残す。
ジョンはこの日、遺言状を残した。内容は遺産の半分をヨーコが相続し、残りの半分はいったん信託されたのちにジュリアンに渡されるというものだった。そして、この遺言状の最後にはこんな言葉が記してあった。「もし、この配分に文句のあるものは、その瞬間に一銭も受け取る資格を失うと思え」 ジョンのユーモア・センスはここでも発揮されていた。しかし、この1年後にこの世を去ってしまうなんて、この時は誰も考えていなかったことだろう。
−2006年10月30日作成−
※ 掲載記事は作成後に生じた動向、および判明した事柄等は反映していない場合があります。