フュージョン界の大物ベーシスト、鳴瀬喜博が誕生
主にジャズ/フュージョン・シーンで活躍するベーシスト、鳴瀬喜博が東京都に生まれる。大学在学中から音楽活動を本格化させ、卒業と同時にプロの道へ。Charのスモーキー・メディスンや金子マリ&BUXBUNNY、カルメン・マキ&OZなど、名立たるバンドのメンバーとして活躍する。ソロとしても作品を発表し、その地位を確立。90年には、かねてから絶賛していたカシオペアのメンバーにもなった。チョッパーを得意とするそのプレイは、常に高い評価を得ている。
−2007年10月30日作成−
「なごり雪」の作者、伊勢正三が誕生
歌手の伊勢正三が大分県に生まれる。20歳の頃に南こうせつ、山田パンダとともにかぐや姫を結成し、フォーク・ミュージックの代表的存在として活躍した。ソングライターとしても名曲を残しており、「22才の別れ」「なごり雪」といった、青春の切なさを描いた世界観は実に秀逸。その「なごり雪」はイルカが大ヒットさせているが、もともとはかぐや姫が74年にリリースしたアルバム『三階建の詩』に収録されていた。85年以降は沈黙するも、90年代に入って復帰。
−2006年10月30日作成−
日本一のモテ男・木村拓哉誕生
SMAPの木村拓哉、東京都に生まれる。17歳の誕生日には桃井かおりに焼肉をおごってもらい、23歳のときにはジョニー・デップに花束をもらうという常人には体験できない記念日の過ごし方はさすが。CDデビューが遅れたSMAPだが、「セロリ」などでギター演奏を披露したりと、アーティスト的な部分でも恵まれていたキムタク。待ち時間にもギターを持ち歩いているようで、共演していたいかりや長介の前で「ヒゲのテーマ」を披露したことも。しかし、「それは加藤と志村!」というツッコミを入れられたらしい。
−2000年10月30日作成−
プリンと杏仁豆腐が好きなセクシー歌姫、倖田來未誕生
1stシングル「TAKE BACK」が化粧品CMの秋冬ソングに選ばれ、鮮烈なデビューを飾った倖田來未(こうだくみ)が生まれる。尺八の先生を祖父に持ち、母親が琴の免許を持つという環境で育った倖田。2ndシングル「Trust Your Love」がオリコン18位を記録し、米ビルボードにもランクイン。日本人として坂本九以来の快挙を成し遂げた。“セクシー&キュート”がコンセプトの艶やかな容姿に、男性ファンも急増。
−2001年10月24日作成−
その昔は流行歌手。由紀さおり、誕生
姉・安田祥子と童謡を清らかに歌い上げる童謡歌手として有名な由紀さおり、群馬県桐生市に生まれる。幼いころより童謡歌手として活躍。'65年には本名・安田章子で歌謡曲デビューするが、鳴かず飛ばず。'69年に心機一転、由紀さおりとして再デビューを果たし「夜明けのスキャット」でミリオン・セラーを記録する。その後も「手紙」などがヒットし、流行歌手として人気を得、女優としても活躍。'80年代に入ってから、姉と童謡のアルバムもコンスタントにリリース。ちなみに「夜明けのスキャット」はイエロー・モンキーによってカヴァーもされている。
−2002年10月29日作成−
アニメ『メジャー』放送開始
(2004年)
2004年11月13日より、満田拓也の漫画『MAJOR』を原作としたTVアニメの放送がNHK教育テレビでスタート(土曜日18時から/第1シリーズ)。以降、シリーズを重ね、これまで(2008年11月現在)に第4シリーズまで放送されている。『メジャー』は、プロ野球選手の父を持つ少年が、自分もまた野球をこころざし、メジャー・リーグの選手になることを目指す物語。アニメ版は原作に沿ったストーリー構成となっているが、原作からカットされたシーンがあったり、オリジナルのシーンの挿入や登場人物の追加があったりと、アニメ版独自のアレンジもなされている。
−2008年11月11日作成−
セシルカットの女優が生を受ける
ヌーヴェルヴァーグの女神、ジーン・セバーグが生まれる。1957年に『悲しみよこんにちは』に出演、ボーイッシュな魅力と、“セシルカット”と呼ばれたコケティッシュなベリー・ショート・ヘアで一躍人気者に。フランソワーズ・サガン原作の『悲しみよこんにちは』やジャン・リュック・ゴダールの『勝手にしやがれ』の強烈な印象から、フランスのイメージが強い女優だが、実はアメリカ人。
−2007年10月31日作成−
ビートルズ365:映画『ヘルプ!/4人はアイドル』日本公開。
ビートルズ主演2作目となる映画『ヘルプ!/4人はアイドル』がロードショー公開に先立ち、有楽座で特別公開された。前日の朝7時30分には切符売り場にファンが並び始め、当日の朝9時30分には約1000人の列ができた(1回目の上映は1507人が鑑賞した)。翌日は朝8時の上映時にはすでに満員。10時には行列が映画館前の車道を覆ってしまい、交通がマヒしてしまった。そのため、特別機動隊が120人ほど出動し、整理にあたることになった。ただ、終日超満員だったこの映画の観客の回転率は悪く、入場者数は4500人ほどであったため、4回目の上映から入れ替え制を実施した。
−2006年10月30日作成−
※ 掲載記事は作成後に生じた動向、および判明した事柄等は反映していない場合があります。