キッスの2代目ドラマー、エリック・カーが死去
キッスの2代目ドラマー、エリック・カーが41歳の若さで死去した。死因は心膜炎に起因する合併症。絶大な人気を誇ったピーター・クリスに代わるメンバーとして加入したため、難しい立場であったことは想像に難くない。が、その後はメイクを落としたキッスをバックでしっかりと支え、ファンにも受け入れられていく。ドラマーとしてはもちろん、シンガーとしての才能にも恵まれており、クリスの持ち歌だった「ベス」を見事に歌いこなす姿も印象的だった。
−2006年10月30日作成−
英のテノール歌手、ラッセル・ワトソンが誕生
英国のテノール歌手、ラッセル・ワトソンがマンチェスターに生まれる。幼い頃はサッカーに親しむ普通の英国の少年だったが、地元ラジオ局のタレント・コンテストで優勝を飾るなど、華はあったようだ。エンジニアとして働く傍らパブなどでポップスを歌っていた彼は、ある日、プッチーニの「誰も寝てはならぬ」を歌うよう勧められる。クラシックのレッスンを受けていなかったが、これを機にテノール歌手の道へ。デビュー後は瞬く間に人気を得た。
−2007年10月30日作成−
公式発表から約24時間後、F.マーキュリーがエイズで死去
クイーンの唯一無二の魅力である4オクターブもの歌声を聴かせてくれたフレディ・マーキュリーが、エイズであることを公式の場で発表した直後、肺炎を併発させ死去。早すぎる死であった。その死の衝撃は大きく、デヴィッド・ボウイやエルトン・ジョンなどビッグ・アーティストによる様々な追悼コンサートが行なわれた。後になってもフレディのカリスマ性は衰えることがないが、〈フレディの従兄弟〉を名乗る熱烈なファンがストーカー殺人を犯すなど、残念な現れ方をすることもあった。
−2000年10月30日作成−
ラグタイムの王、スコット・ジョプリン誕生
曲名は知らずとも、聞けばだれもが「あ〜、あれ」と大きくうなずく、映画『スティング』でもおなじみの楽曲「エンターティナー」のスコット・ジョプリン、テキサス州に生まれる。彼の大きな功績は、同曲のように左手が規則的な和音のリズム、右手がシンコペーションで展開していく軽妙なピアノ音楽、ラグタイムを確立させたこと。その後このラグタイムは19世紀末の南部の酒場を席巻していった。ちなみに、「エンターティナー」は、スコットの死後も映画の影響で、全米チャートのトップ10に入る快挙を成し遂げている。
−2001年10月24日作成−
ラルクのドラマー、yukihiro、誕生
ラルク アン シエルの3代目ドラマー、yukihiro生まれる。シングル「虹」からサポート・メンバーとしてラルクに参加(前バンドDIE IN CRIESは95年に解散)。その後正式メンバーとしてバンドに参加する。2000年の『REAL』以降、バンドとしてのアルバム・リリースが滞った時期にも、2001年『Fault』でのソロ名義デビュー、ソロ・プロジェクトacid androidでのアルバム発表(2002年/インターネット先行発売)と精力的に活動して注目を集めた。
−2002年10月29日作成−
タフな声でおなじみ、大塚明夫の誕生日
1959年、声優/俳優の大塚明夫が東京都に生まれる。アニメでは“攻殻機動隊”シリーズのバトー、ゲームでは“メタルギアソリッド”シリーズのスネーク、洋画吹替えではアーノルド・シュワルツェネッガー、スティーヴン・セガールなどを演じ、漢臭く、渋いタフな役柄を得意とする。その一方で、“ムーミン”シリーズのムーミンパパのような役も難なくこなす演技派。父・大塚周夫、妻・沢海陽子も共に声優として活躍。
−2008年11月21日作成−
単独犯なのかは2039年に明らかに!? オズワルドが死去
“20世紀最大の謎”とも言われる、アメリカ合衆国第35代大統領ジョン・F・ケネディの暗殺事件。その事件の実行犯とされるリー・ハーヴェイ・オズワルドが、事件の2日後となる11月24日、ダラス警察の地下でジャック・ルビーによって射殺される。映画『JFK』でも描かれていたように、オズワルドの単独犯ではないという説(または暗殺犯でない説)は未だ根強い。現在非公開の関連資料がオープンになる2039年には、すべてが明らかになるのだろうか……。
−2007年11月02日作成−
ビートルズ365:ピート・ベスト生まれる。
リンゴの前任ドラマーだったピート・ベストが、インドのマドラスにて生まれた。本名ランドルフ・ピーター・ベスト。海軍勤務の父ジョン・ベストと赤十字の看護婦の母モナ・ベストとの間に長男として生まれた。ピートを含むベスト家はイギリスのリヴァプールに帰国。11歳でリヴァプールの名門校であるカレジエイトに進学。カレジエイト時代の成績は優秀で、ラグビー部では主将を務めていた。また、整った風貌で女の子からの人気が高く、ビートルズ在籍時も女の子に一番人気があったとされ、地元の音楽誌での扱いもメンバーの中で一番大きかった。頭脳明晰で温厚だが、ビートルズのメンバーで唯一マッシュルーム・カットを受け入れず、最後までリーゼントで通していることなどから、やや協調性に欠ける性格だったのではとも言われている。
−2006年10月30日作成−
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