ホイットニーの「オールウェイズ・ラヴ・ユー」、全米1位
ホイットニー・ヒューストンの「オールウェイズ・ラヴ・ユー」が全米シングル・チャートで1位に輝く。自身が主演し、ケヴィン・コスナーと共演した映画『ボディガード』の主題歌でもあるこの曲は、カントリー・シンガーであるドリー・パートンのカヴァー。が、“♪あんだぁ〜〜!”というサビの強烈なシャウトのインパクトは絶大で、すっかりホイットニーの代表曲として定着している。この日以降、14週間に渡ってNo.1の座に君臨した。
−2006年10月30日作成−
トレイ・ソングスが誕生
R&Bシンガーのトレイ・ソングスが米国ヴァージニア州ピータースバーグに生まれる。彼の音楽原体験は、信仰心の強い祖母に連れられて行った教会のゴスペル・クワイアだった。特に音楽に打ち込んでいたという訳ではなく、ごく普通の学校生活のなかで、ヒップホップを楽しむ程度。が、R.ケリーを聴いてR&Bの魅力に取りつかれた彼は、その後、さまざまなコンテストに出場し、軒並み優勝を飾る。20歳でデビューした後は、甘い歌声と若々しさで瞬く間に人気を得た。
−2007年10月30日作成−
岡田有希子のベスト・アルバム『贈り物』が発売に
岡田有希子(本名・佐藤佳代)、ベスト・アルバム『贈り物』発売。『スター誕生』で歌手を目指す決意をした彼女は、猛反対する両親の「校内テストで学年1位に」「中部統一模擬試験で学校内5位以内に」「第一志望の向陽高校に合格」という条件をすべてクリア。1984年の「ファースト・デイト」でデビューする。86年の「くちびるNetwork」がチャート1位の栄光に輝いた矢先、18歳の若さで自ら命を絶ってしまう。竹内まりや作詞作曲の名曲「-Dreaming Girl- 恋 はじめまして」「気まぐれTeenage Love」を収録したアルバムはこのベスト盤だけである。
−2000年10月30日作成−
hitomi、“大人の雪遊び”でデビュー
hitomi、「Let's Play Winter」でデビュー。幼少より歌手に憧れオーディションを受けるかたわら、ファッション誌「fine」の読者モデルとしても活躍。たまたま応募したコンテストで小室哲哉氏と出会いデビューに至った経緯は有名。当時の小室ファミリーには珍しく、デビュー時から自分で詞を手がけ、同曲はヒットにはいたらなかったものの、ゲレンデで元気にじゃれるカップルを思わせる歌詞が女性の共感を得る。同曲は全体的にはその後の〈カッコイイ路線〉とは微妙に異なるキャピっとした印象で、初々しい。
−2001年10月24日作成−
いつまでも純粋無垢な少女のよう。原田知世、誕生
女優・歌手として活躍する原田知世、長崎県に生まれる。'82年角川映画大型新人募集に応募し、5万7000人の中から特別賞に選ばれ芸能界入り。ドラマ『セーラー服と機関銃』でデビュー。'83年初主演映画『時をかける少女』が主題歌とともに大ヒットし、人気アイドルとなる。その後も女優として活動を続けるも、'92年鈴木慶一プロデュースによる『GARDEN』を発表したころからミュージシャン路線が色濃くなり、'97年トーレ・ヨハンセンと組んで作品を発表したり、'99年には初のセルフ・プロデュース作品も発表した。
−2002年10月29日作成−
脚本家、井上敏樹の誕生日
アニメ、特撮テレビ・シリーズの脚本を数多く手がける脚本家・井上敏樹が1959年、埼玉県に生まれる。『らんま1/2』、『ドラゴンボール』シリーズ、『鋼の錬金術師』、『DEATH NOTE』といった人気アニメーション作品を手がけるほか、“戦隊”シリーズや“仮面ライダー”シリーズなど、特撮テレビシリーズでも手腕を揮う。特に“仮面ライダー”シリーズでは俗に言う“平成仮面ライダー”のほぼすべてに携わり、同じく“仮面ライダー”で脚本を手がけた父・伊上 勝の意志を継いだ形となっている。シリアスな人間ドラマを子供向け作品に盛り込むという手法の、先鞭を斬った脚本家だ。
−2008年11月26日作成−
江角マキコがいない劇場映画版『ショムニ』が公開
1998年にフジテレビ系で放映され、“ショムニ現象”とも呼ばれるほどの人気を呼んだTVドラマ版に続いて制作された劇場映画版『ショムニ』が公開される。江角マキコ主演のTVドラマ版とは違い、主人公・坪井千夏役を演じたのは高島礼子。TVドラマ版とは異なり、比較的原作に忠実な映画オリジナルのストーリーが展開されている。
−2007年11月02日作成−
ビートルズ365:ジョン、エルトン・ジョンのライヴに出演。
ニューヨークのマジソン・スクエア・ガーデンで行なわれたエルトン・ジョンのコンサートにジョンが出演。「アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア」「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ」「真夜中を突っ走れ」の3曲を歌った。ジョンがステージにあがるとスタンディング・オヴェイションが10分間ものあいだ続いたそうだ。このコンサートの出演は、ジョンのシングル「真夜中を突っ走れ」がチャートの1位になるかどうかを賭けた結果、エルトンが賭けに勝った末に決まったもの。このコンサートの打ち上げパーティでジョンとヨーコは再会。また、このライヴがジョンにとって最後のコンサート出演となった。
−2006年10月30日作成−
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