シャ乱Q、「ズルい女」発売
つんく率いるシャ乱Qがメジャー4枚目となるシングル「ズルい女」をリリース。前作の大ヒット・バラード「シングル・ベッド」とは一線を画すアップ・テンポのナンバーながら、切ない歌詞とメロディはつんくが得意とするところ。この曲も売れに売れ、つんくの細〜い眉毛やメンバーの奇抜なファッション、大阪出身らしいギャグ・センスでお茶の間にも存在を浸透させた。いろいろな意味でバンドのターニング・ポイントとなった1曲と言えるだろう。
−2006年04月24日作成−
“潮来の伊太郎”でお馴染み、橋幸夫が誕生
歌手の橋幸夫が9人兄弟の末っ子として東京都に生まれる。本名は橋幸男(読みは同じ)。1960年に歌手デビュー、そのデビュー曲「潮来笠」がいきなりの大ヒットとなり、日本レコード大賞新人賞を受賞した最初の歌手となる。吉永小百合とのデュエット「いつでも夢を」(62年)や「恋のメキシカンロック」(68年)などヒット曲を連発し、瞬く間に国民的な人気を博した。その独特の歌唱法は、ぼんちおさむによる大袈裟なモノマネでもお馴染みだ。
−2007年04月26日作成−
ファンクの帝王、ジェイムス・ブラウンが誕生
20世紀黒人音楽最大の功労者、ジェイムス・ブラウン誕生。貧しい家に育った彼は非行に走り、10代の頃少年院に入るが、その後音楽に目覚めて21歳でプロ・デビュー。跳ね上がるような独特の唱法、絶妙な掛け合い、そしてソウルフルなダンスで一気にスターダムへのし上がる。ファンク・ミュージックの創始者であり、現在のライヴ・パフォーマンスは、ほぼ彼から生まれたと言っても過言ではない。カップラーメンのCMやSMAPとのジョイントなど、本業以外でも日本人にはおなじみ。
−2001年04月23日作成−
多くのロック・バンドを羽ばたかせた笹路正徳、誕生
プリンセス・プリンセス、ユニコーン、スピッツなどのプロデュースで有名な笹路正徳、群馬県に生まれる。若手バンドのプロデュースや楽曲アレンジで知られているが、もともとは超技巧音楽集団マライアなどで活躍していたキーボード奏者。小学校時代にピアノを習い、中学時代はクリーム、ジミ・ヘンドリックス、その後セルジオ・メンデス、マイルス・デイヴィス、ハービー・ハンコックなどに傾倒。趣味はシュールな絵を見ることであるようだが、好きな食べ物はカレー、と意外と普通。
−2002年04月24日作成−
マッチの「ふられてBANZAI」が4週連続オリコン1位
近藤真彦のヒット曲のひとつ「ふられてBANZAI」が4週連続オリコンチャート1位に。翌週は松田聖子の「渚のバルコニー」が1位に輝く。'79年ドラマ『3年B組金八先生』星野清役でデビュー。翌年12月「スニーカーぶるーす」でレコードデビューを果たし、同曲が大ヒット。一躍トップアイドルに。当時の人気は凄まじく、主たる音楽祭の最優秀新人賞を総ナメ。その数なんと18! その後、オートレースの世界に身を投じ、過酷といわれるル・マン24時間耐久レースなどにも出場、レーサーとして活躍中である。
−2003年04月25日作成−
ドラマCD『それゆけ!宇宙戦艦ヤマモト・ヨーコ2?WAVE1』が発売される
(1997年)
ドラマCD『それゆけ!宇宙戦艦ヤマモト・ヨーコ2?WAVE1』が1997年5月3日に発売される。「林原めぐみのTokyo Boogie Night」内で放送されたラジオ・ドラマの第2シリーズをCD化したもので、原作はTVアニメやOVAも制作された庄司卓の人気ノベル。高山みなみ、林原めぐみ、かないみか、玉川紗己子らが出演している。『?ヤマモト・ヨーコ』は、人類が移民を果たした未来の宇宙を舞台に、“ミッション”に参加する少女の活躍を描いた作品。本CDでは原作の軽快なノリを活かしたドラマが楽しめる。
−2009年04月30日作成−
アイドルからの脱却、野村宏伸誕生
俳優・野村宏伸が生まれる。1984年、映画『メイン・テーマ』のオーディションで23,000人の中から選ばれて俳優デビュー。1987年、『教師びんびん物語』で、田原俊彦と熱演した先輩後輩教師コンビが人気となり一躍ブレイク。アイドル路線での活動、教師びんびん〜で演じた榎本の頼りない風貌から一転、近年では数々のドラマでその成長ぶりがうかがえる。
−2007年04月25日作成−
ビートルズ365:ビートルズ日本公演の日程決定。
ビートルズ初の来日公演が、読売新聞朝刊に「待望の日程決まる」という見出しで発表された。そこには6月30日から7月2日までの3日間の公演日程、会場、チケットの販売方法、値段などが掲載されていた。また、この記事には読売新聞による演奏予定曲目が掲載されていたのだが、実際に演奏されたのは「ベイビーズ・イン・ブラック」と「アイ・フィール・ファイン」の2曲だけだった。のちのチケット抽選には3万枚のチケットに対して約21万枚の応募があった。また、この来日公演の放映権は日本テレビが獲得し、7月1日の夜9時から放映された。
−2006年04月24日作成−
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