昨年リリースされた前作
『FUN CLUB』から1年と7ヵ月。
ECDの12作目となるアルバム
『天国よりマシなパンの耳』が到着した。エンジニアのイリシット・ツボイがトラックを手掛けた「BORN TO スルー」で始まる今回の作品は閉塞感にどっぷりつかった日本の風景に言葉の覚醒感とトラックのトリップ感をもってして、裂け目を生じさせる。そこから見えるものとは果たして何なのか。研ぎ澄まされた表現によって切り開いた最前線に立つECDの最新リポートをお届けしよう。
――今回はサンプリング回帰した前作の流れを汲んだ作品になっていて、エンジニアのイリシット・ツボイさんが今回はトラック・メイキングを担当している曲、サイケデリックな揺れや歪みを内包した曲もあり、バラエティに富んだ作品になっていますね。
ECD(以下、同)「そうですね。レコーディングを始めるときは何かしらテーマがあるんですけど、作っているうちに違う要素が入ってきて、変化していくんです。特にサイケデリックな感覚っていうのは、そういうものをついつい聴いちゃう感じがあって、何で今頃になってそうなのか。結局、どこかしらでアナログ・シンセが鳴っていると嬉しいとか、そういう指向性なんですけど、どこかでトリップ感を出したいっていう気持ちはあるし、そう思って振り返ってみると、昔はそういう意識がなかったですね。今回のトラックに関しては手で打てる昔のドラム・マシーンを買ったので、作っている過程でリズムを叩きながらラップで入っていけるニュアンスを出そうとはしてますね。逆に言えば、プログラミングを走らせて同期させるっていう自動的な作業にはあまり興味がないというか、シーケンスが走っていても、どこかしらにリアルタイムな感覚は残しておきたいんです。聴く分にはかっちりかっちりしたものが好きなんですけど、自分で作っているとどこかにフィジカルな要素がないとやってて退屈するっていう(笑)」
――「自殺するよりマシ」とか「OFF OR ON」の打ち込み感覚はスーサイドの影響が色濃く表われていますよね。 「そうですね。今回のレコーディングを始める前にスーサイドの6枚組ライヴ・アルバム(『Live 1977-1978』)をよく聴いていたので、それははっきり自分の中にもあります」
――スーサイドはデビュー当時からリアルタイムで聴かれていたと思うんですけど、当時と今とではご自分の中でスーサイドの捉え方が変わったところはありますか?
「や、スーサイドって、ロックンロールを電子楽器でやってるだけというか、ホントに要素が少ない音楽なので今聴いたからって特に発見があるわけでもなく(笑)」
――じゃあ、たまたま聴いてたスーサイドに影響されたと?
「実は前作『FUN CLUB』のレコーディング途中で石黒(景太:元
キミドリ、ECDのアート・ワークを一手に手掛けるデザイナー)から聴かされたアンディ・ウェザオールのロカビリーから始まるミックスCD『Sci-Fi-Lo-Fi Vol.1』に影響されて、その時は〈L.A.M.F〉と〈FINAL JUNKYのテーマ〉くらいにしか反映させられなかったので、今回はもうちょっとやってみたかったっていうのがあって」
――なるほど。あのミックスCDはロカビリーから始まるロックンロールの歴史が最終的にはウェザオールのトラックに続く一本の線で結ばれている重要な作品ですよね。
「そう。あのミックスは“ちょっと変わったことをやってみました”っていうものじゃなく、新しい音楽……ではないにせよ、かなり画期的なものを提示していると思うんですけどね」
――あのミックスCDについてはウェザオールにインタビューした際、音数の少ない初期のロックンロールと同じく音数が少ないミニマル・テクノの類似性を指摘していて、なるほどと思ったんですけど、ECDさんのトラックも音数が少ないですもんね。
「そう。音数が少ない感じはこれからも続くと思いますね。サンプル・ソースは基本的に和モノなんですけど、そのチョイスも音の鳴りが評価の基準としてあって、“このレコード、いい音の鳴りしてるな”と思ったら、絶対どこかに使えるところがあったりするんですよ」
――今回のリリックは、近作同様、その時々の社会状況が反映されていますが、出口が具体的に明示されているわけではないにせよ、必ずしも空気感は閉塞していない。
「そうですね。出口が必要なのかっていう思いはずっとあって。格差社会っていうことで、生きにくさや閉塞感ってことがよく言われるけども、“じゃあ、逆に生きやすいってどういうこと?”って思うし。ここまでの大不況になったら、富を分配するんじゃなく、貧乏を分配しないとやっていけないだろうっていうのがあって(笑)。それこそ雲の糸じゃないけど、みんなが出口を求めてぶらさがったら、落ちるだけ、共倒れになるんじゃないのっていう思いはありますね。そういう意味で出口を探さなくても何とかなるだろうって」
――日本は失敗や間違いを犯したり、はじき出された人間の再チャレンジの場がなかったり、制度的にも精神的にもセーフティ・ネットが設けられていない点が問題視されています。こと音楽が表現する“自由”の概念にしても、海外ではジャンキーだろうが、ギャングスタだろうが、めちゃくちゃな生き方さえも肯定し、すくい上げる懐の広さがあるし、ブルースがそうであるように音楽は弱者やはみ出し者の側にあるのに対して、日本は音楽にすらそういう余地がまったくない。
「むしろ、“がんばろう”って歌詞で音楽からも追い立てられるっていう(苦笑)」
――日本より過酷な経済環境、生活環境の国はいくらでもありますけど、日本より自殺率が低いのは国民性の違い、もっと言ってしまえば、日本人と比較した時の楽天的な人生観だったり、何とかなるだろうっていう気持ちの問題なのかもしれないというか。
「セブン・イレブンの賞味期限が切れた弁当を値下げするしないって問題がありますけど、その弁当を廃棄しなかったら、少なくとも日本で一日に自殺する100人の食料にはなるだろうっていう。日本はものが余っているのに、みんなお金がないだけで自殺するでしょう? それはおかしいだろうって思うんですよ。ワーク・シェアなんかはみんなが仕事を減らして、その分を他の人に与えようっていう発想だったりしますけど、そういう発想にならないと破綻していくんじゃないかって」
――それは勝ち上がって、成り上がっていくヒップホップの発想とは真逆ですね(笑)。
「そう。それはヒップホップだけじゃなく、いわゆる反貧困の発想とも全然違うものだし、そこは身をもって訴えたいですね」
取材・文/小野田雄(2009年8月)