――今回は初めてのセルフ・プロデュースですね。
ウィル・シェフ(vo、g/以下、同)「ミュージシャンとして、ちょうどそういう地点に辿り着いたところだったんだろうね。レコーディングしたい音も見えていたし、レコーディング方法にもいいアイディアを思いついていたし、ほかのプロデューサーを招く必要性を感じなかった。僕のやりたいこととその方法がすごくはっきりと見えていたからセルフ・プロデュースすることになったんだ。でも、これからずっとセルフ・プロデュースしようとは思ってないよ。それどころか、まったく違った美意識を持った誰かと一緒に作業して、その誰かが曲をどのように仕上げていくのかを見ることが、とても楽しいと思っているんだ」
――じゃあ、アルバムの全体像みたいなものは明確にあった?
「いや、全体像としては、とくに思い描いていたものはなかったよ。前作
『ザ・スタンド・インズ』が徹底的に青写真を描いて作ったアルバムだったから、それ以降は青写真を描くことに疲れてしまったんだと思う。今回のアルバムはより自然発生的なものにしたかった。でも同時にアルバムからどんなものを感じたいか、どんなものを感じたくないかっていうことは、とてもはっきり見えてたんだけどね」
――レコーディングにはどんな風に取り組んだんですか?
「僕にとって最も重要なことは、アルバムを作ることを“仕事”だと思ってしまわないことなんだ。アートは遊んでいるような感覚で作るべきだと思ってる。仕事というふうに感じないためのひとつの方法は、スタジオ作業を分割して行なうこと。セッションのために最初にスタジオに入る時は信じられないほど興奮していて、すべてが楽しく思える。でも、そのまま何日も作業をしているうちに、そこが仕事場だと思えてくるんだ。だから、違ったスタジオでの小規模なセッションをたくさんやるようにして、それぞれでちゃんと集中力を爆発させるようにした。そうすることでいつでも楽しくて新鮮な気持ちでいられるんだ」
――いろんなやり方を試したなかで、「Show Yourself」「Hanging from a Hit」は即興的なセッションを再編集して完成させたそうですね。
「〈Show Yourself〉は完全な即興だったね。〈Hanging From a Hit〉はもっと簡単だった。小さな部屋の中で少人数でプレイして、それをそのまま音源化したんだ。〈Show Yourself〉は瞑想的な感じで楽しかったよ。コーラスやヴァースは簡単に短くできたし、長くもできたし、移動させたりもできた。〈Show Yourself〉について気に入っているのは、とてもオーガニックにパフォーマンスやレコーディングができているのに、非有機的な方法で手を加えているところなんだ」
――その一方で、「White Shadow Waltz」みたいにすごく作り込んだ曲もありますね。
「この曲はアルバムでいちばん作り込んだ曲だよ。ユニオン・スクエアで子供が話している音とか、ラッシュアワー時のグランド・セントラル・ステーションの音とか、『猿の惑星』のピアノをたたく音とか、ファイルキャビネットを打ち壊す音とか、そういう効果音を組み立てるのだけで丸一日かかったんだ。ヴォーカルは3回録り直したし、“doorbell is ringing”って歌う部分は、ブルックリンの僕が住んでいるビルのドアベルに向かって実際に歌いながら録音した。通行人は僕を見て笑ってたな(笑)。歌詞は幾度か完全に変わった。ある時は、全裸で空中にぶらさがって笑っている消防士が出てきていたし、1000歳の売春婦がいる築1000年の売春宿が出てきていたし、古代エジプトの王族がナイル川をボートでくだっていく場面が登場していたこともあった」
――あなたの曲は文学的な歌詞も高い評価を受けていますが、曲を書く時は歌詞とメロディはどちらが先に生まれるんですか?
「頭に沸いていくる歌詞の一節が、曲作りのインスパイア源になることはあるね。でも、歌詞とメロディはたいてい一緒に思い浮かぶよ。いつもそうってわけではないけどね。時には、歌詞のない状態でメロディを書くこともし、メロディなしに歌詞だけを書くこともある。でも歌詞とメロディにはとても親密な関係性を感じていて、いつもそれを楽しんでいるんだ」
――あなたならではの曲作りのアプローチの仕方はあったりしますか?
「精神的にも肉体的にも自由であることが、とても助けになっているね。現代の世界は乱雑で消耗的で、いろいろなものが人々の気をそらしている。百もの違った方向へと人の注意を分裂させようとしているんだ。曲を書くのに、そういった心の状況はよくないよ。心の乱れを抑えることが曲作りにとっては重要なんだ。曲作りのときに僕がよく引っ越すのは、それが大きな理由なんだよね」
――では最後にアルバム・タイトルについて教えてください。
「それはヒミツだよ!」
取材・文/村尾泰郎(2011年5月)