ワールド・ミュージック勢が大充実していた今年のフジロック。なかでも、ほとんどの人がノーマークだったにもかかわらずオレンジコートを満杯にし、ぬかるみをモノともせずに観客を踊らせたのが19人編成のコンゴトロニクスvsロッカーズだった。その名が示すとおり、コンゴの音楽家たちと西洋のロッカーズたちによるこのプロジェクト、もともとはコノノやカサイの音源を元に、各国の26組のアーティストがそれぞれにリメイク/カヴァーした2枚組アルバム
『コンゴトロニクス世界選手権』から始まった。音源データをインターネットでやり取りすることで完成したアルバムに対し、その次のステップがライヴ・バンド“コンゴトロニクスvsロッカーズ”である。
メンバーはコンゴ勢には電気親指ピアノ人力トランス楽団
コノノNo.1と、木琴やエレキ・ギター、スリットドラムなどを用いた大所帯楽団
カサイ・オールスターズからの精鋭。一方のロッカーズにはアルゼンチンの
フアナ・モリーナ、US/日本の
ディアフーフ、ブルックリンの
スケルトンズ、スウェーデンの
ワイルドバーズ&ピースドラムスらが名を連ねる。こんな一癖も二癖もある連中が全員で奏でる音はトランシーなコンゴ民俗憑依音楽あり、ミニマルなポスト・ロックあり。ことに
スライ・ストーンから
トーキング・ヘッズ、
アクサク・マブール、
ヴァンパイア・ウィークエンドに至る西洋人の実験的アフロ・ファンク・サウンドがこだましているように聴こえた。
創業31年を迎えたベルギーの老舗レーベル“クラムド”にてコンゴトロニクス・シリーズをはじめ、数々の作品に関わってきたプロデューサーで、今回ベーシストとしてこのバンドにも参加したヴィンセント・ケニスに話を聞こう。
(C)プランクトン
――アルバムにはさまざまなジャンルの音楽家が参加していましたが、最終的にこのメンバーになった理由は?
ヴィンセント・ケニス(以下同)「コンゴの音楽家にとっては歌詞やヴォーカルが重要なので、アルバムの中のDJ的なリミックスやダビーな曲には関心が低かったのです。逆にフアナとディアフーフは同じ曲を使って、まったく違う曲を作っていました。フアナが作ったメロディとディアフーフのダイレクトなギター・サウンドはコンゴ側に好評だったので、共同作業するにはこのメンバーがよいと思いました。アルバムは西洋人ロッカーズ側からコンゴ側へのあくまで一方通行的だったのに対して、ライヴは双方向的です」
――コンゴ側とロッカーズたちの共同作業、考えただけで気が遠くなりそうですが、どのような形で進めたのですか?
「まず私がキンシャサに行ってコンゴの音楽家を選抜しました。次にキンシャサからロッカーズたちにMP3のデータを送りました。その後、彼らの音がキンシャサに返信されてきて、それをコンゴ側に聴かせて、インスピレーションが湧くか、使えるか判断してもらい、さらにそこに音を乗せてロッカーズに送る。そんなやりとりを5週間続けました。コンゴの音楽家たちが外国からの音に対してどう対応するかが重要でした。国営ラジオでは40年近くも外国の音楽が禁止されていたので、彼らにとっても外国の音楽に触れるのは大きな機会だったと思います。
5週間のキンシャサの後、ブリュッセルで全員が合流し、最初のコンサートに向けて5日間の合宿を行ないました。正直なところ、みんな初対面、しかも大観衆が待っている。コンサートなんて本当に大丈夫なのかという危惧はありました。しかし、メンバー間で言葉が通じなかったのがポジティヴに働きました。言葉ではなく音楽で交流しなければならなかったからです。コンゴのリズムがシンプルすぎてロッカーズたちがなかなかついて行けなかったのですが、でもライヴが始まる頃にはすべてが魔法にかかったように、すべてが大きな塊のようになって進んでいきました。それは考えすぎるのを止めたからだと思います。そのきっかけとなったのはコンゴの女性歌手がリズムに合わせて身体を動かすダンスでした。ロッカーズたちは彼女のダンスを見て、リズムを受け入れ、それからは堰を切ったように進み始めました」
(C)プランクトン
――最初のコンサートの反応は?
「すごくポジティヴな結果になったと思います。これだけの人数が団結出来たし、これだけ離れた異文化同士が音楽を通じて対話が出来たのですから。観客も、私たち自身がステージ上で楽しんでいたのを感じてくれたと思います。その後、19人で再び5日間合宿して、今度はゼロから新曲を作りました。そして6月から世界ツアーをスタートさせ、フジロックまで5週間うしろを振り返る間もなく続けてきました」
――19人編成のバンド活動はフジロックにて一旦終了と聞きました。フジの観客の間では、知らずに観たコンゴトロニクスがベストの公演だったというツイートをたくさん見かけましたよ。
「本当に嬉しいことです。まだはっきり申し上げられることはないのですが、なんらかの形で続けていきたいとは思っています。“双方が同じ立場に立った異文化交流と実り豊かなコラボレーション”こそクラムド・ディスクの創業以来の哲学です。このプロジェクトはクラムドの集大成となったのと同時に、ワールド・ミュージックのあるべき見本となったと思います」
取材・文/サラーム海上(2011年8月)