バルカン半島の西端に位置するアルバニアからスイスへ亡命し、自国やその周辺国のトラッドを独自の現代ジャズへと昇華させた歌声でジャズ・シンガーとしての才能を開花させたエリーナ・ドゥニ(Elina Duni)。斬新なプリペアド奏法や変拍子などを多用しながらも、欧州的なエレガンスとメロウネスに満ちたピアノで2015年の初来日公演でも観る者すべてを圧倒した才人ピアニストの
コリン・ヴァロン とのカルテットで、近年には名門ECMから2枚のアルバムを発表。そのサウンドは現代ジャズとしてもユーロ・トラッドとしても斬新にして美しい衝撃をもたらすものであり、9月初頭に行なわれる初の来日公演は、ジャズ・フリークのみならずワールド・ミュージックのファンにとっても見逃せない音楽的歓喜を呼び起こすものとなるだろう。祖国アルバニアの音楽、ジャズやコリンたちとの出会い、そして詩情豊かなECMからの2枚の傑作などについて、
来日 を間近に控えたエリーナに語ってもらった。
『Dallëndyshe』
『Matanë Malit』
――まずは、あなたの祖国であるアルバニアの伝統音楽やポップ・ミュージックの特徴、魅力について聞かせてください。日本でも、東欧〜バルカン半島のジプシー・ブラスの流行や90年代以降に日本を拠点に活動したボスニア出身のヤドランカの歌声、あるいはギリシャのポップスなどを通して周辺国の音楽にはある程度は親しむこともできたのですが、アルバニアの音楽を聴ける機会はかなり稀でした。
「ご存知のように、ジブシー・ブラスバンドは主にバルカン半島でもジプシーがいる旧ユーゴスラビアのマケドニアやセルビアが中心で、アルバニアにはあまりありません。アルバニアの伝統音楽についてお話しすると、その音楽はとても叙情的で、歌詞の内容はかなりブルーで悲しいものが多いのに、音楽は対照的に明るいのが特徴です。また、アルバニアには3つの伝統音楽の形があって、それぞれに北、中央、南に分かれています。南部はポリフォニーで楽器を使わず声のみ(通常は4つのパート)で歌うスタイルが中心で、カバという弦楽器やヴァイオリン、クラリネットの伴奏付きで歌う場合もあります。中央は(オスマン帝国の支配下にあった時代に伝わってきた)トルコ音楽色の強いものが盛んで、北部は二弦の弦楽器でコードを奏でながら神話や叙事詩を弾き語りするものや、一弦のフィドルを弓で弾きながら歌う叙情的なものが多いんです。ほかのバルカン半島諸国の伝統音楽とはかなり違っていて、ジプシー・ブラスの
エミール・クストリッツァ や
ゴラン・ブレゴヴィッチ のように世界的に有名ではありませんが、バルカン半島は歴史や文明がとても豊かな場所。私の歌をきっかけにブラスバンドだけではなくて、もっといろいろな音楽に興味を持っていただければとても嬉しいですね」
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――1992年にともにスイスに亡命したあなたの母親も詩人だったそうですが、その母親から受けた影響で今の活動にも繋がっているものなどはありますか?
「はい!私も詩を書きますし、母からの影響はとても強いです。私の母は、小さい頃からたくさんの古典文学を読み聞かせてくれました。アルバニアの文学だけでなく、
ドストエフスキー 、
トルストイ 、バルザックなどのロシアやフランスの古典文学やギリシャ神話など。私の知的成長はすべて母によるものと言っても過言でないと思います。今でも、母は私のいちばんの批評家であり、作品が完成したらまず真っ先に彼女の意見を聞くんです。そして20歳しか年の違わない母は、私にとっていちばんの親友でもあるのです」
――スイスに亡命した後はジャズを学ばれていましたが、ジャズに傾倒するきっかけになったシンガーや音楽家について聞かせてください。
「16〜17歳ぐらいの頃に初めて
エラ・フィッツジェラルド を聴きました。そして、
マイルス・デイビス の
『カインド・オブ・ブルー』 を聴いたときに、“これだ!これが私のやりたい音楽だ!”と思いました。その後、
ジョン・コルトレーン らのモダン・ジャズに傾倒し、スタンダードの歌も大好きになりましたが、クラシックのピアノなどを学んでいた私には、ジャズがとても自由な音楽に聞こえたのです。“瞬間”を作り出すという、ジャズのいわゆる“モーメント”が大好きになりました。これが私がジャズに傾倒した理由だと思います。『カインド・オブ・ブルー』の音はヴェルヴェットのようで、スムースでスウィートで美しく、でも同時にブルーなところが素晴らしい。“光り輝く悲しみ(Brilliant Sadness)”とでも言えばいいのかな。私のバンドも同じだと思います。このブルーな気持ちから抜け出すには、歌って踊るしかないというか。もはやそれは哀悼の歌ではなくて、喜びの歌に向かって進んでいくというか。それこそが私が言うところの“光り輝く悲しみ”です」
――そして、2004年から現在までともに活動するピアニストのコリン・ヴァロンとの出会いが、よりオリジナルなスタイルを確立するうえで大きな契機になったと思われます。彼と活動するようになって音楽的に開けた点などを聞かせてもらえますか?
「すべての曲をアルバニア語で歌うきっかけを与えてくれたのも彼です。それまでの私は、スタンダードや逆にアヴァンギャルド〜エレクトリック寄りのものを歌っていました。でも、そこで彼がもっと何か違うことやろうよ、キミの国の曲をやってみない?と言ってくれたのです。アルバニアの歌をジャズとして扱い、ジャズの視点から曲を見てみようと提案してくれたことで、私は自分の声とスタイル、そして現在のカルテットでそれを発展させていきました。コリンは私の音楽の発展にとって最も大切な人ですね」
――昨年の初来日公演が素晴らしかったコリン・ヴァロン自身のピアノ・トリオも、テクノやポスト・ロックと並んで、ブルガリアのトラッドを取り上げて、変拍子を多用したリズムや、ツインバロムの奏法を応用した巧みなプリペアド・ピアノなど、バルカン半島や東欧の音楽の要素を独自の形で消化している点が斬新でしたが、そこにはあなたとの活動から得た部分もかなり大きく反映されているように思います。彼のミュージシャン / プレイヤーとして優れている点について、あなたの思うところを聞かせてください。
「コリンは本当に素晴らしいミュージシャンです。彼には、すべての音楽を自分の言葉にしてしまう器の大きさがあると思うし、自分の道を見つける力も持っています。しかも、それをとてもオーセンティックな形でも表現できるので、実際、私は天才じゃないかと思っています。そして、私とのカルテットからの彼のトリオへの影響も多大なものだと思うけれど、その逆も大きいと思います。コリンはさまざまな種類の音楽に触れることで、自分のスタイルを確立していったと思うし、彼にしか出来ないやり方でそれぞれの要素をミックスしていった点が重要なのではないかしら。バルカンの伝統音楽から現代クラシック、トラディショナルなジャズまでいろいろなものを。彼の凄いところは、それらの要素に自分のやり方としての印をしっかり付けていけるところです。コリンの音楽は聴けばすぐに彼のものだとわかるし、他の音楽家とはまったく違うものだと思います。演奏から彼の“声”がちゃんと聞こえるのです。さらには、そうしたサウンドを、私のカルテットのベース奏者でもあるパトリス・モレとドラムスのジュリアン・サトリウス(※今回の来日公演のドラマーはノルバート・ファンマッター)と一緒にトリオで作り上げている点がいちばん大切なところ。コリンとほかの2人ではなくてね。これは私のカルテットでも言えることで、歌手と伴奏のトリオではないのです。私は自分のヴォーカルを楽器だと思っているし、4人の音楽家が一緒にその“瞬間”を創造しているのです」
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――エリーナ・ドゥニ・カルテットでは2008年から現在までに4枚のアルバムを発表していますが、とくにECMから発表した近年の2作は、プリペアド・ピアノなどを多用したサウンド面でも、アルバニアや隣国のコソボのトラッド(民謡)を中心としたレパートリ―面でも、より独自性の強い境地に達していると思います。ギリシャやブルガリアのトラッドのほかに、セルジュ・ゲンスブール やニック・ドレイク の楽曲も取り上げていた初期の2枚を経て、2012年発表の『Matanë Malit(山を越えて)』 で確立できたものについて改めて聞かせてください。 「コソボのトラッドはアルバニア語ですし、基本的に私はアルバニア語の作品を発表しています。過去作からどこが変わったかというと、音楽がもっと濃縮され、より強いコンセプトを持っていったと思います。バンド全体がもっとチェンバー・ミュージック(室内楽)のようになっていったとも言えるかもしれません。音楽が濃縮されてより必然的になり、詩的になっていったと思います。同時に音楽的にはよりミニマルになり、曲へのアプローチはチェンバー・ミュージック的に洗練されていったんです」
――そして、昨年にリリースされた最新作『Dallëndyshe(つばめ)』 では、前作で目立ったプリペアド的な奏法も必要最小限に絞られて、より流麗さとグルーヴの豊かさが増したサウンドへと飛躍を遂げているように思いました。『Dallëndyshe』において新たに試みようとしたことや、作品コンセプトなどを聞かせてもらえますか? 「そうですね。実際に『Dallëndyshe』では、もっとグルーヴ豊かな音を求めていました。アレンジもより洗練されていると思います。そして、私にとって最も重要だったのは、苦悩というテーマです。今回のアルバムでは亡命についての歌を多く取り上げていて、どうすればその苦悩から解放できるのかを歌っているんですよ。苦悩や痛みの超越、というのが大きなテーマとしてありました。“どうすれば‘痛み’を‘喜び’に変えていけるのか?”というのは、バルカンの歌ではとてもポピュラーなアプローチで、歌詞の意味を知らなければとてもリズミカルで楽しい曲なんだけど、じつはとても悲しい内容の歌詞であるものが多いのです。だから、私にとって今回のアルバムでは、亡命や苦悩について歌をどうやってそれを超越して踊れる楽曲にしていくかが重要だったんです。そして、これこそがまさに先ほどお話しした“光り輝く悲しみ”ということで。それを得るためには、コンセプトや音楽が明確にわかっていないといけないし、ドラマがなければならない。なので『Dallëndyshe』には1曲ごとにストーリーが存在し、ドラマがあるのです。私はドラマがある音楽が好きなんですよ」
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――コリン・ヴァロンらとのカルテットと並行して、あなたはソロ名義での活動も盛んに行なわれています。ホームページを見ると、シンガー・ソングライターとして初のアルバムとなった昨年リリースの『Muza E Zezë』 や、自身でギター、ピアノ、打楽器を演奏しての完全ソロ・プロジェクトなどと興味深いものが多いですが、ソロではどのような世界を追求していこうとされているのですか? 「『Muza E Zezë』は完全なソロではなく、シンガー・ソングライターとしてほかのミュージシャンと一緒に制作したアルバムでしたが、2009年頃からソロでのライヴも続けています。始まりは、母の詩の朗読会で私が彼女の語りの横で歌ったことでしたね。今、私の新しいソロ・プロジェクトは“Go away”というタイトルを考えていて、9つのいろいろな言語で歌っています。それぞれの歌が異なるシチュエーションで“Going away(去っていく)”をテーマにしていて、たとえばある歌は家族から去る女性を描いていて、ほかの歌は会ったこともない人との結婚のために家族から引き離される女性など。すべてがショウで、劇場と歌が一緒になるようなプロジェクトです。人間はいつもどこかで別れを体験していますよね。ひとつの地点から次の地点に渡るときに、離ればなれになる。それは当たり前のことなのだけど、それによって苦悩や別れを体験している世界中の人々と共鳴して“連帯”を示したいのです。残っているのは思い出だけなのだけれど、次のステップに行かなければならないし、知らない人や状況を信じていくしかない。そして、苦悩を幸せに変えていくのがこのショウのテーマです。ちなみに、私はこのショウの最後で、日本の“金継ぎ”の芸術について語るんですよ。壊れたものを捨てるのではなく金で治すなんて、なんて素晴らしいことでしょう!苦悩を知った者だけが、ホンモノの“輝き”を放つんですもの。なんて素敵なイメージかしら」
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――最後に、日本での初のライヴについて日本の音楽ファンへのメッセージなどをお願いします。
「私は、日本の文化と伝統にとても魅了されています。今回にツアーを通して日本の方々にお会いできるのが本当に楽しみです。私だけでなくてバンドのみんなが4人とも、日本で演奏できることを楽しみにしています」