東京を拠点にチカーノ・ミュージックを紹介する
MUSIC CAMP, Inc. / BARRIO GOLD RECORDS の主宰者、
宮田 信 のドキュメンタリー映画「アワ・マン・イン・トーキョー〜バラッド・オブ・シン・ミヤタ / Our Man In Tokyo-The Ballad of Shin Miyata」のジャパン・プレミアが4月7日(土)に代官山「
晴れたら空に豆まいて 」にて行われる。
映画は、チカーノたちが暮らすイーストLAと東京を舞台にチカーノ音楽家たちと宮田の交流を描いた短編ドキュメンタリー作品。ジャパン・プレミアでは、この機に来日する
アキラ・ボック 監督とのトークショーと上映に加えて、レコード店・
TRASMUNDO とMUSIC CAMPが共同で開催しているパーティ〈TRASMUNDO NIGHT〉同様に
DJ HOLIDAY 、TRASMUNDO DJs、宮田のDJも予定されている。
――まずは宮田さんのお仕事、活動について、教えていただけますか?
宮田 「最近はレーベルというよりはディストリビューターって言った方が正しいですね。ロサンゼルスの、チカーノ系音楽を中心に洋楽を紹介しています。あとは晴れ豆でのイベント、ラジオも今はお休み中ですが、ちょっとだけ」
――MUSIC CAMPのリリースで私が一番驚いたのが、バンド編成の3人組アルマス・フロンテリーサス(ALMAS FRONTERIZAZ)で、これはなんなんだ、どこの誰なんだろうと思って調べても、最初は何も情報がなくて。近ごろはインターネットに何かしら情報があるのに(笑)。とてもフレッシュでした。リスナーとしてなにがなんだかわからないアーティストと出会うことが難しいですから。
宮田 「わからなくても現地へ観に行くんです(笑)、採算度外視で。普通だったらYouTubeで済ましてしまうけど、観ないと責任が持てないなって。現地の友人でもあるプロデューサーやアーティストから情報を送ってもらっていて、彼らもそのなかにあった。最初はよくわからなかったんだけど、だんだん“もしかしたら天才かも……”って思えて。確認のためにサンフランシスコまで行ってきました。なんじゃこりゃって感じでしたよね(笑)。そういうことを楽しんでくれる人じゃなきゃ嫌だなって想いもあって、最初はTRASMUNDOと
EL SUR RECORDS にしか卸さなかったんですよ」
ALMAS FRONTERIZAZ
VIDEO ALMAS FRONTERIZAZ ON KTVU 2
――宮田さんにとってイーストLAの魅力は音楽だけではないように思えますが。
宮田 「街なんですよ。アメリカなのに看板がスペイン語だったり若者たちはふたつの文化を持ちながら暮らしている。その景色にすごいやられちゃった。音楽だけではなくてすべてに対して興味を持ちましたね。僕は子供の頃、調布で育って。米軍基地のフェンスがあって、その柵をすごく乗り越えたかった。乗り越えるとピストルで撃たれるって都市伝説があったんだけど(笑)。親友が基地関係のアメリカ人で、彼とは仲がよかったけど、基地の他の子どもとはいつも喧嘩していた。言葉の問題もあったし、単に勘違いだったかもしれないけど、俺たちが見下されているようなものが、子供でも感じるものがあって、憧れと憎悪の混じるなかで、いつかあの柵を越えてやるぜって思っていましたね」
――国境があったんですね。
宮田 「あったんです。高校のころにメキシコからアメリカに不法入国してるってニュースを見て、これは子供のころの俺の気持ちだって思った。昔、下北沢のフラッシュ・ディスク・ランチでアルバイトをしていたんですが、自分がいいと思う音楽はみんなLAからなんですよ。もう行くしかないって感じですよね。フラッシュで知ったアーティストの曲がちゃんとジューク・ボックスに入ってるのを見つけて、感動を覚えました。スペイン語の曲と一緒にちょっとだけチカーノ向けの英語の曲が入っているのが“おお! 英語もスペイン語もわかっちゃうんだ、かっこいい”って思っちゃって(笑)。歴史や、その奥にあるものをもっともっと知りたくて。今でもその探求は続いています。ハイブリッドの感覚から生まれてくる妖しさと斬新さ、力強さにはいまだにあこがれ続けています」
――当時の街というと70年代のローライダー・クラブの写真集「VARRIO 」も素晴らしくて。綴じ方が変わっていて、もう一冊手元に置きたいと思うほど気に入ってます。 宮田 「昔の方法で綴じていて、デッドストックの紙を使っていてもうそれ自体がヴィンテージのアートですね。あの写真集に載っているグラフィティはもうほとんど消されてしまっています。公民権運動、そのあとギャングの問題があって、コミュニティいわゆるバリオが一番荒れていた時期の写真ですが、独得の空気感が流れている感じが伝わってきます。アウトサイダーにしか撮れない写真ですね。カメラマンのグスマノ・チェサレッティはイタリア人です。ローライダーのクルージングを見て、“撮影していい?”って声をかけて、警官じゃないかって疑われるところから、中に入り込んだ人の作品です」
VIDEO
――TRASMUNDOの浜崎さんもいらっしゃったので、映画についても教えてください。
宮田 「〈LA / LA〉という、LAとラテン・アメリカが混じって何が生まれたかというテーマの展示イベントがLAの博物館や美術館で行われて、その一環として制作されたのがこの映画です。日系博物館はリトル・トーキョーの端にあって、すぐ隣がイーストLAなんです。だからチカーノのミュージシャンたちが東京にいっぱい行っていることも知っていた。それなら、日本に呼んでいる宮田を取り上げてみようってことだったんですね。正直、日系人を飛び越えて日本人が取り上げられることはまずいんじゃないかとも思いました。現地の上映イベントは普段40人くらいしか来ないらしいんですけど、150人も来てくれて満員。日系の3世のみなさんも集まって“お前はすごく重要なことをやってくれた”と言ってもらえました。この映画はチカーノ音楽のいいサンプラーにもなっています。90年以降のバンドをまとめた映像はまったくないので」
2018年2月25日、ロサンゼルス、リトル・トーキョーの全米日系人博物館で行われた上映会にて(Photo by Jeff Tsuji)
写真註: 左から、アキラ・ボック監督 / マーサ・ゴンサレス(ケッツァル) / エディカ・オルガニスタ(エル・ハル・クロイ) / ドミニク・ロドリゲス / ゴメス・カムズ・アライヴ(ex-モンテカルロ76) / 宮田 信 / マイケル・イバーラ(エル・ハル・クロイ) / ケッツァル・フローレス(ケッツァル) / ルベーン・ファンカワトル・ゲバラ(ex-ルベーン&ザ・ジェッツ)
浜崎 「多分、東京でも状況は一緒になると思います。現地の情報をこれだけ分かりやすく、まとめて伝えることは誰もやっていないから。いろんな人が集まると思いますよ」
宮田 「そうなったら嬉しいですね。LAがラテン化していることもあまりメディアで発信されないし、例えばラティーノの高校生たちが今の銃規制デモの中心になっていることも伝わっていない。現状が伝わらずにギャングスタ・ヒップホップのイメージばかりが独り歩きすることは、すごく嫌です。過去には創刊から終刊まで16年間連載を続けたローライダー・マガジン・ジャパン誌でも、そのイメージに反発することをやり続けました。音楽だけではなくチカーノのスラングについての連載、若手のカメラマンや絵描きの取材記事を書いたり。1988年から書いてきましたから。現場のアーティストもみんなギャングのイメージと闘っています。それがこの映画ではそこまで説明できていないのですが……」
――劇中で宮田さんが“ロマンティック”なものについて語っていますが、今回のイベントのキーワードでもあると思いました。
宮田 「すごく重要なことですね。チカーノ音楽はロマンティックなものの表現がね、素晴らしい。ストラグルの中から生まれてくるから。甘い言葉を口にしないかわりに、歌で女の子に愛を伝えるんです。その世界観がね、かっこいい。裏街道の音楽なんで(笑)」
浜崎 「現代の失いつつある夢やロマンがある(笑)。それを伝えることも、続けていく意味なんでしょうね」
宮田 「本来は黒子じゃなきゃいけないと思うんで、映画は恥ずかしいですよ。でも“OUR MAN”って言葉が、チカーノの音楽コミュニティの人たちがそういう風に思ってくれてるってことがすごくうれしいです」
浜崎 「すごいことですよ」
宮田 「(認めてもらえたのは)こちらが何をやりたいかを明確にしたことと、日本から帰ったアーティストが“面白かったぜ”って話をしてくれたからだと思うんです。全てコミュニティなんですよね。そういう意識が彼らのなかで最も重要だということを、沢山の経験のなかから教えてもらいました。我々も聴き手としても、“何を聴いてきたんだ”ってところに自分の生きざまが出てくるわけだから。テレビやラジオで流れているものしか知らなかったらとしたら、大人になった時に何も語れないでしょ。何を意識的に聴いてきたかってだけでひとつの文脈が成り立つし、すごく大切なことなのにみんな忘れちゃってる」
浜崎 「宮田さんと知り合って、そういう部分が理解できたときに、やろうとしていることが同じだってわかりました。目的意識は一緒」
VIDEO
――映画にはシンガーのジョー・バターン が登場しますが、彼はNY出身であり、さらにはチカーノではないにも関わらず、“キング・オブ・ラテン・ソウル”であると実感させられる構成になっていました。これは一面的な解釈では理解できない部分かもしれませんね。 宮田 「そうなんです。僕にはチカーノを通じて出会ったアーティストなので、ジョー・バターンはチカーノ音楽の文脈のなかでも捉えています。もちろん出身など違う音楽なんですけどね」
――日本でのライヴの光景を現地の人々が知るのも素晴らしいですね。
宮田 「どんな人でもチカーノ音楽に対してプライドがあります。だから丁寧にやり続けていかなきゃいけない。イーストLAのコミュニティは他とは違ってすごく人情味がある。彼らのカルチャーに対する自覚を見習うべきです。わかりやすい音楽をすごくディスったりするんですよね。単なる純血主義的なもの、また過剰に商業主義的なラテンなんかはすごく嫌われます。
チカーノ・バットマン や
エル・ハル・クロイ のようにフィルターを通して、生活感のようなものが一緒に出てくる、育まれてから外に出てきたものが評価を得ますね」
――その生活感のようなものを伝えようとすると、身内のノリでやっていると取られるリスクもあると思います。でも宮田さんのようにイーストLAまで行って、その音楽を日本に紹介して広めようという動きは完全にネガティヴな印象を払拭しますね。
浜崎 「なにも考えず好きに動いているだけだと思いますけど(笑)」
宮田 「そう(笑)。好きなことしかできない、直接会わなくてもいいのかもしれないのにサンフランシスコやペルーまでアーティストに会いに行く。彼らの音楽を育んだ街やカルチャーを知りたいし。好きなことならとことんやるしかないってことです」
VIDEO
――今回はどんなパーティにしようとお考えですか?
宮田 「東京プレミア的な、監督も来日するので、なんでこういう映画を作ったのかって話をしてもらおうと思っています。上映会というよりも、日常の連続であってほしいという想いは、これまで続けて来たTRASMUNDO NIGHTの流れの中でやらないと意味がないんです。チカーノの音楽と関係性を持たせられる人たちは誰だろうって考えたときに浜崎さんであり、DJ HOLIDAYなのかなと思えて。やっていることを一番うまく説明して、新しいファンを見つけてくれているお店がTRASMUNDOだと思っています」
浜崎 「それは嬉しいですね」
宮田 「当日は、若手の日系映像作家、タッド・ナカムラが制作したクレンショーにある日系人の食堂の朝を舞台にした短編ドキュメンタリー『BREAKFAST AT TAK'S』も上映します。クレンショーはギャングスタ・ラップやローライダーのクルージング・スポットとして有名なんだけど、そのど真ん中に日系の住んでいるエリアがまだ残っていて。アフリカ系アメリカ人と日系人が僕らの知らないところで密接にカルチャーを作り上げているんです。そういうものを捉えた作品は今までになかったと思うので、日本語字幕を特別につけて、一緒に公開します。おなかがすいちゃう映画です(笑)」
――どんな朝ごはんが出るのか、気になりますね!
宮田 「それを見てほしいんです(笑)。日系人の食べているものに昔の日本食が残っていたり、ハワイ経由でLAに入ってくる日系人も多かったから、ハワイの影響も受けていて。アフリカ系アメリカ人たちが大きい招き猫の前で朝食を食べているんですよ、日常の風景です」
取材・文 / 服部真由子(2018年3月)
2018年4月7日(土) 東京 代官山 晴れたら空に豆まいて 開場 18:00 / 上映開始 19:301,500円(別途1Drink) DJ: DJ HOLIDAY / TRASMUNDO DJs / SHIN MIYATA トーク出演: アキラ・ボック監督 / 宮田 信 同時上映: 「BREAKFAST AT TAK'S」(2008年 / Directed by Tad Nakamura) 協力: TRASMUNDO