米スタンフォード大学医学部教授で、同大学の睡眠生体リズム研究所(SCNL)所長も務める西野精治さん。ベストセラー『スタンフォード式 最高の睡眠』(サンマーク出版)でも知られる“睡眠研究の世界的権威”が監修したコンピレーションCDが、『
Night & Day〜最高の睡眠と目覚めのためのClassic〜』だ。この種の企画は通常、編者の好みや経験によって選曲されることが多いが、本作では20代から60代の男女164名のモニターに調査を実施。その結果を踏まえ“睡眠に導く音楽”と“昼間の活力を上げる音楽”をセットで提案している。「眠りと覚醒は表裏一体。良質な睡眠を得るためには昼間の活動量を上げることも重要」と語る西野教授に、監修の背景やCDの効果的な活用法について伺った。
――西野先生はこれまで、いまだ解明されていない人間の睡眠メカニズムについてさまざまな研究をしてこられました。今回なぜ、このようなユニークなCDの監修を手がけることになったのですか?
「きっかけはプライベートなことで、アメリカで生活するようになって、クラシック音楽を日常的に聴くようになったんですね。僕はもともと、ギターを少し弾くこともあってロックやポップス系の音楽をよく聴いていました。それがスタンフォードに移って以降、偶然、KDFCというFM局と出会ったんです。ここは365日24時間ずっとクラシック音楽をかけていて、基本的にトークやCMが入らない。朝、職場に向かう車で流していると非常に気分がよくてね」
――気が付いたら固定リスナーになっていたと。
「そう。カーラジオのチューニングをその局に固定し、通勤や帰宅時にはクラシックを聴きながら運転するのが習慣になりました。KDFCがいいのは、朝の時間帯にはちゃんと“今日も1日がんばろう”と思える曲を選び、夕方になると気持ちが落ち着く曲を流してくれるんですね。それで日本に帰国した際も、同じラジオ局を聴こうとしたんです。今はインターネットで、世界中どこでもリアルタイムでラジオを聴くことができますから。ところがパソコン経由で聴くと、どうも勝手が違った。なぜかアメリカで車通勤していたときのように“さあ、これから仕事を始めるぞ!”という気分にならなかったんです」
――どういうことでしょう?
「考えてみれば単純な話で、時差があるからですね。KDFCの担当は当然、アメリカ西海岸の時間帯に合わせて曲を選んでいます。日本とはタイムラグがあるので、たとえばこちらの朝は、向こうでは夕方。だから僕が期待していた軽快な曲ではなくて、むしろ心身をリラックスさせてくれる曲がメインになっていた。そこであらためて、クラシック音楽が“眠りと覚醒”に与える影響について考え始めたんです。おそらくクラシックには“気持ちをアップさせる曲”と“クールダウンさせる曲”があって。それを経験的に熟知した選曲担当者が、時間帯によって使い分けているんじゃないかと思った」
――西野先生が無意識に感じていた楽曲の傾向が、いわば時差によって顕在化したわけですね。
「そのとおりです。クラシック愛好家の方には当たり前すぎることかもしれませんが(笑)、初心者の僕には面白い発見だった。というのも現在の研究では、“眠りと覚醒は表裏一体”という考え方が主流なんですね。質の高い睡眠を得るには、入眠の前後だけを改善してもダメで。朝から昼間にかけての活動量を上げ、夕方から緩やかに落ち着いていくというサイクルを作る必要があります。一方、世間には“心地よく眠れる”と謳ったCDがたくさん出ていますが、それらは基本、リラックス方向しか見ていないんですね。眠りを昼間の活動とセットで捉えた商品は、私の知るかぎり存在しなかった。だったら昼用と夜用を2枚1組でプロデュースすることで、より効果が期待できるんじゃないかと」
――実際にはどこから着手されたのですか?
「僕は研究者なので、まずデータがほしい。とはいえ、クラシック音楽が眠りに与える影響を正確に測定するためには、被験者に脳波計を付けるなどコストも手間も膨大にかかります。そこで“この曲は元気が出る”“この曲はリラックスできる”というリスナーの感じ方に、どの程度の普遍性があるかを見ることにしました」
――受け取り方は人それぞれなので、数値化するのは難しそうですが、どのように測定したのでしょう?
「まずサンプルとして、クラシックの名曲と呼ばれるものを30曲セレクトしました。それを20代から60代まで男女164名のモニターさんに聴いてもらい、アンケートを取ったんです。具体的には“元気が出る”“ウキウキする”“さわやか”などアップ系の形容詞7つと、“落ち着く”“まどろむ”“安らぐ”などダウン系の形容詞7つ。合計14の指標について、曲から受ける印象をそれぞれ10段階で評価してもらった。すると非常に面白い結果が出ました。リラックス傾向の曲と覚醒傾向の曲とがほぼ重なることなく、きれいに分離したんです」
――つまり“誰にとっても元気が出る曲”と“誰もがリラックスできる曲”が存在することが見えてきた。
「そういうことです。もしかしたら午前と午後で曲の印象が変わるかもしれないと思い、午前と午後にも評価してもらい、さらに一部のモニターさんには2週間後に時間帯を変えて再度アンケートを実施しましたが、結果はほとんど変わらなかった。たとえばサン=サーンスの〈白鳥〉やベートーヴェンのピアノソナタ〈悲愴〉のような曲では、大多数の被験者がダウン系の形容詞で高い点数をつけ、アップ系の形容詞は低評価に止まっています。反対に、ビゼーの有名な〈カルメン〉前奏曲やメンデルスゾーンの〈結婚行進曲〉については、アップ系の形容詞に高評価がついて、ダウン系で点を付けた人は非常に少ない。両者の差分をとっても、予想以上にきれいな分かれ方でした。その結果に基づいて今回、“睡眠に導いてくれるCD”と“昼間の活力をアップさせてくれるCD”をセットで発表したわけです」
――面白いですね。そもそも“音楽は良質な睡眠にとってプラス効果がある”ということは、学問的にも言えるんでしょうか?
「厳密に考えると、そう言い切るのは大変でしょうね。客観的なデータやエビデンスが存在するわけじゃないですし。アロマと同じで、効く人と効かない人の個人差も大きい。睡眠薬と違い、治験で効果を測ることも簡単ではありません。ただ、こと睡眠の領域においては、下手な客観性より本人の主観、もっとわかりやすく言うと“気の持ちよう”が大事になるケースも多いんですよ。たとえば、寝覚めなどもそう。夜間に脳波を測って、どんなに良質な睡眠が取れていたとしても、寝覚めが悪ければすべて台無しになってしまう。客観的な脳波のデータよりも、“今朝は気分よく起きられた”という本人の主観が重要だったりする」
――なるほど。今回のCDに即して言うと、聴いている人が“リラックスできる”と感じれば、かなり効果が期待できると。
「はい。何しろ160名を超える被験者から、各自の主観とはいえこれだけ普遍性のある結果が出ていますからね。最初の一歩としては上出来だと思います。もし仮に今回のコンピレーションCDが大ヒットして、予算が付けば、クラシック音楽と睡眠の関係についてもっと厳密に測定してもいいかもしれませんね。でもリスナーの方は、とりあえずそんな難しいことは考えずに(笑)。収録されているのはどれも、名演の定評がある音源ばかりですから。心地よい睡眠に導いてくれるクラシック音楽と、昼間の活力を上げてくれるクラシック音楽の両方を、それぞれの生活のなかで楽しんでいただければと思います」
――最後にひとつ。この2枚組CDをより効果的に活用するため、先生からアドバイスをお願いできますか。
「最初にお話ししたとおり、いい睡眠を得るためには、1日の生活リズムにメリハリを付けることが何より大事。簡単に言うと、午前中から昼間にかけては活動量を上げてしっかり覚醒する。そして夕方からは就寝時に向けて、少しずつクールダウンしていく。ですから監修者的には今回の2枚組CDを、そういったサイクルを認識し、習慣化するためのツールとして使ってもらえると嬉しいですね」
――昼間の覚醒があってこそ、心地よい眠りがある。2枚のCDをとおしてその事実を思い出しさえすれば、シーンは自由で構わないと。
「まさにそうですね。僕自身、朝は“目覚め”編のCDをカーステレオで聴き、夕食後は“睡眠”編のCDをのんびり聴いたりしていますが、いい具合ですよ(笑)。少し高尚な気分にも浸れますしね。もちろん、重要なミーティングの前にヘッドフォンで“目覚め”編を聴いて意識を活性化させるのもいいですし。ベッドに入って静かな音で“睡眠”編を聴くのもいいと思う。要は自分にとっての条件付け。その一助になればいいというのが、今回のいちばん大きな目的なんです」
取材・文/大谷隆之