フォトグラファー有賀幹夫が捉えたストーンズの魂(後編)

2020/02/14掲載
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 毎日の生活に気軽にアートを取り入れてほしい。そんな願いから“Photographers Art Japan”というサイトがオープンしました。国内屈指の写真家を紹介し、厳選された珠玉のアート写真を販売する新しい形のWebサイトで、音楽ファン垂涎の写真を、オリジナルプリントで、リビング、自室、エントランスなどお好みの空間に飾って楽しむことができるようになります。
 その第1弾として、ローリング・ストーンズのオフィシャルカメラマンとして著名な有賀幹夫作品の中からストーンズの写真を販売開始。これを記念し、先日、原宿のJOINT HARAJUKUで写真展も開かれましたが、そんな有賀に元CDジャーナル編集長で“非メイン・ストリートのビートルズやくざ者”藤本国彦がインタビューを敢行。後編ではストーンズに対する熱い想いを語っていただきました。
有賀幹夫 ローリング・ストーンズ
東京ドーム 2014
©Mikio Ariga
――有賀さんは、これまでにローリング・ストーンズの6度の日本公演をすべて撮っていますが、それぞれの良し悪しを元に、徐々にアプローチを変えたりしていったんですか?
 「アルバムを作る時のミュージシャンって、前作を踏襲したり、全然違うところから始めたりというふうに進めていく。それと同じ感覚ですね。
 思い返すと、撮影状況については厳しい時もありました。これは初めて話すことだけど〈ア・ビガー・バン・ツアー〉では、オフィシャルなのに、いきなり会場で撮影は6曲オンリーだって言われたんです。『フォーティ・リックス』のツアーが2003年、『ア・ビガー・バン』のツアーは2006年だったけど、もう完全にネットの時代で、ツアー・マネージャーの息子さんがウェブ即時アップ用のカメラマンとしてツアーに同行していたから、全部は撮らなくていいということがあったのかもしれない。僕からすると“マジかよ!”みたいな。当然この曲とこの曲とこの曲って決められていて、それぞれがすごくあくから、撮影曲が終わったら、担当者に裏まで誘導されるんです、幼稚園児みたいに(笑)。音がガンガンなっているのに、ドームの裏で待つわけ。そしたら当時のロニーの奥さんに“ミキオ、なぜここにいるの? あなたは撮影してないとダメでしょ?”と訊かれて“いろいろ事情がありまして”と返したりさ。だけど、Bステージの撮りどころは撮れた。Bステージの2曲と、キースが2曲と、〈ブラウン・シュガー〉と、オープニングの1、2曲。20数曲中6曲くらいでしたよ。結局、そのツアー・プロモーターが〈ビガー・バン・ツアー〉で終わったから、また元通りになったけど」
――よかったですね。
 「いや、次は最大の困難が待ち受けていました。プリンス・ルパートっていう、70年代からミックのアシスタントとしてストーンズの財政危機を立て直していた人が、2007年の〈ビガー・バン・ツアー〉でバンドとの付き合いが切れて、それで本を書いた(『ローリング・ストーンズを経営する』/日本語版は河出書房新社=刊)。ストーンズのビジネス成功術という、自分がストーンズとどういうふうに関わって、どういうふうに財務危機を救って、どういうトラブルがあったかを事細かく。つまり長年に渡るビジネス・マネージャーが辞めて新たな人がそのポストに就いた。ここから僕の新たな苦労が始まったんです。
 ミックの現在のマネージャーは、キューバ公演映像で“キューバ公演の実現は本当に困難な道のりだった”と涙ながらに語っていた女性で、ストーンズの母体を支える新たな重要人物なんです。でも、僕は会ったこともないわけ。その人になってからの再出発が2012年の50周年ツアーで、2014年には日本にも来た。オフィシャルとして撮影したオーケー・カットは、90年の初来日から2006年までは、撮った写真をすぐに整理して、公演翌日か翌々日にホテルに行って各マネージャーと膝を合わせてチェックしてもらい、その場ですぐに結果が出た。これの一番の成果としては2003年の武道館公演、3月10日に撮った写真を4月1日売りの『ロッキング・オン』の表紙巻頭特集号に掲載することができたことです。
 2014年の日本公演は、“膝合わせ”の写真チェックはない、と。“いい写真をメールで送ってくれたらこっちで審査する”と言われたので送ったら、最終的にオーケー・カットの返事が来るまで1年も待たされたんですよ!もう、気が狂いそうになったね。ミックのところでチェックが全部止まっちゃたんです。結果が返ってこなかったら、僕は日本公演の写真を表に出せないわけじゃない。これに関しては考える時間はたっぷりとあったので(笑)、とことん考えたけど、現在の体制では要所要所の重要なコンサート以外はあまり写真を必要としないんだろうな、と。でもこちらとしては死活問題ですから粘りましたね。
 2012年からの流れでいうと、結成50周年コンサートがあり、2013年にはハイドパーク公演、そして2016年のキューバ公演、そういう大きな意味を持つ公演の写真が重要だということですね。結果2014年の写真チェックはミックのところで止まったんだよね。それで僕は痺れを切らして、“だったら、写真をチェックするミックのマネージャーのメールアドレスを教えてほしい”と担当者に頼んだけど、それは絶対だめだと。ミックだけ〈高い城の男〉なわけ。本当に別格。部屋だって違うよ、メンバーが泊る部屋と。ミックは社長なんですよ。キースはその下の」
有賀幹夫 ローリング・ストーンズ
MZA有明 1990
©Mikio Ariga
――副社長?
 「いや、部長くらいですよ。まあ、それは置いといて(笑)、キースやロン、チャーリーのマネージャーにも“ミックのところで止まっているんですけど”って言ったんだけど、“私たちは何もできません”と。でも彼らの写真は見てくれてそれぞれのオッケー・カットは出してくれました。まあ、それで、2014年の写真を出せないんだったら、こっちも終わりにしようかな、と。もう勝手に出してしまえ、っていう発想はなかった。それはやっちゃいけないことだから。それで1年の間タイミングを見て、窓口の人に“どうなってますか”って言い続けてやっと結果が返ってきた。僕があれだけ粘らなかったら、2014年のオッケー・カットは出なかったと思う。そのくらいストーンズは“いま何が必要か”が変わる。『ビガー・バン』までのツアーでは、オフィシャル・カットはストーンズ側がすぐにチェックし、全部手元に持っていようという流れだった。でも、今はそれが崩れたんですよ」
――どんどんやりにくくなってきているわけですね。
 「プリンス・ルパートがいなくなり、ミックの担当窓口が変わり、向こうの好き勝手なタイムラインに乗っかるパターンになった、というのがすごくストレスでね。さっきも言ったように、武道館公演なんて、3月10日に撮って4月1日売りの雑誌でオッケー・カット満載でやれたわけですから。これ、かっこいい話があって、『ロッキング・オン』が、武道館公演が決まった時点で、武道館特集を表紙でやらせてくれ、とレコード会社経由でストーンズ側に投げかけた。そしたら日本で全曲ストーンズを撮れるのは、MIKIO ARIGAだけだから、MIKIO ARIGAに連絡してくれと。そしたら武道館の写真は手に入るぞ、と。それで僕が直でストーンズ側に武道館写真撮影リクエストを出して撮影したんです」
――それはすごい。
 「そこで“やったな!”と思ったら、2014年ではこうなった(笑)。天国と地獄ですよ。あの時は、“有賀グレイト!”って調子にのりましたね(笑)。実際4月1日発売に間に合わせられるのは僕しかできないでしょって。でも、そういう時代は終わったんだよね。2014年の写真チェックのやりとりは、いつか振り返れば笑い話になると思うけど、次はどうなるかな。まあ仕事というのはどんな職業でも楽ではないでしょうからね。でもそうやって30年間オーケー・カットを増やしてきたんですよ」
――有賀さんならではのエピソードですね。ストーンズも、ビル・ワイマンがバンドを離れ、ステージでの顔ぶれが変わっていきましたが、有賀さんのストーンズのベスト・カットには、メンバーが全員一枚の写真に見事に収まっていますね。
 「そう。スタジアム公演だと、メンバーが横に広がっているわけですよ。一枚に収めるとバンドの4人、5人ショットっていうよりも、引きのショットしか撮れない。〈ビガー・バン・ツアー〉のときはビルは辞めちゃった後だけど、この時初めてメンバーがうまく収まった。
有賀幹夫 ローリング・ストーンズ
東京ドーム 2006
©Mikio Ariga
 あれが撮れた時は嬉しかったね。2012年以降はメンバー同士すごく近いんです。スタジアムでも、シアターと同じくらいの立ち位置。だからメンバーのアイコンタクトが前より多いし、バンド感は今のほうがある。その代わり、例えば橋がドドーンと出てきましたっていうような大掛かりなステージ演出ではなく、自分たちのバンド力やグルーヴを自然に見せればいい、という内容になっている。だから今のほうが撮りやすいし楽しい。頭2曲の撮影のために毎年海外に撮りに行ってます(笑)」
――写真は止まっていますけど、動きも見えるし、音も聴こえてくるようです。
 「“音が聴こえる”とはよく言われるんですよ」
――表情も素晴らしいですよね、有賀さんの写真は。有賀さんがストーンズの写真で伝えたいのは、たとえばどういうところですか。
 「やっぱりビートルズと並ぶ最高峰のロック・バンドじゃない。それが一度も解散することなくロック・バンドのかっこいいイメージを作り続け、70歳過ぎてもそのイメージや残像を崩さないままずっとやれている凄さ。伝えたいのはそこですね。ありえないと思うんですよ。そこがストーンズの奇跡的なところ。唯一無二というか。似たバンドが出てきても、ストーンズみたいなバンドは出ない。喩えとして言えば、歌舞伎の人の“人間国宝感”だと思うんですよ、ストーンズは」
――伝統芸能的な“見栄えのかっこ良さ”がありますよね。
 「今のストーンズってやり続けていれば70歳でここまでたどり着くんだ、というような凄みがある。72、3年の頃のハイテンションとはまた別の良さ、と言うのかな。
 あと、今の日本って、閉塞感がすごくあるじゃないですか。生きにくいというか。日本がこんなに息苦しい国になるとは、子どもの頃は思わなかった。東日本大震災以降、日本人同士が分断されていがみ合っていてこれがどんどん酷くなっていく感じで。ストーンズを撮って、ストーンズを聴いていて僕がいいと思うのは、日本人感覚を忘れ、世界人感覚になれることなんです。みんなの好みと一緒じゃないところがいいんだよ、ストーンズは、と思ってファンになったけど、今もまったく変わらない」
有賀幹夫 ローリング・ストーンズ
東京ドーム 1990
©Mikio Ariga
有賀幹夫 ローリング・ストーンズ
東京ドーム 1998
©Mikio Ariga
――今回、新たに立ち上げられた“Photographers Art Japan”のwebサイトをはじめ、有賀さんの写真を公の場で目にする機会が増え続けていますね。
 「第一に今年は“ストーンズ初来日から30周年”という記念すべき年。僕自身これまでいつも次は、と頑張ってきて、ここにきて吹っ切れたのは、〈Exhibitionism−ザ・ローリング・ストーンズ展〉という、日本で去年にやった展覧会ですね。2016年にロンドンで始まり、ニューヨーク、シカゴ、ラスベガス、ナッシュビル、シドニーの各都市をまわって日本でも開催されたストーンズ自身の監修による展覧会。ストーンズが半世紀以上の間に作り上げてきた成果をビジュアルを中心に特化したその展覧会に、日本人クリエーターとして唯一選ばれた。しかも会場内だけでなく98年の〈ブリッジズ・トゥー・バビロン・ツアー〉で、ミックが橋を走っている写真に至っては、図録にまで掲載されてさ、反対のページではミック自身による僕の写真の解説発言が載っててね。正確にはこのツアーのセカンド・ステージまで伸びてくる橋という大掛かりなセットの説明なんだけど(笑)。
 でもツアー写真は、いつの時代でも世界中でトップの人たちが撮っているわけじゃないですか。その中からふるいにかけられて僕の写真が残ったというのは客観的に見ても大したものだと。それで僕は本当の自信がついたというか。ストーンズ展写真提供者リストの“M”のコーナーには、MIKIO ARIGAの前はマイケル・プットランドや、ビートルズの『サージェント・ペパーズ・ロンリー・クラブ・ハーツ・バンド』を撮ったマイケル・クーパーがいるわけ。そういう顔ぶれの中に僕も入れたことで、本当の“オフィシャルの烙印”が押されたと思ったんです。
 それと日本でのストーンズ展の時には、カフェ・エリアで僕が撮った歴代日本公演の写真を飾る日本独自コンテンツのスペースがあり、それも大好評で、売ってほしいといった声がありました。ですので自分で言うとアレですが、日本代表のカメラマンの写真をいろんな場所で飾ってほしい、という気持ちにもなりました。それで今回、忌野清志郎さんの写真展で以前にご一緒したクリエイト・チームの方々発案の、写真販売企画への参加を求められたので、いいタイミングだと思い、このようにまとまりました。かなり大きなサイズの写真加工もあって迫力ありますよ。まる1年にわたって日本各地で開催させていただいた清志郎さん写真展で、苦楽を共にしたメンバーなので信頼感も強いです」
――有賀さんとストーンズとの関わりは、今後もまだまだ続くということですね。
 「ストーンズが終わってないってことは、僕もまだ終わってないということ。僕のストーンズの写真は、きっと50年経っても100年経っても価値は下がらない。そのくらいの自負を持って今後もやっていきたいです」
有賀幹夫
有賀幹夫
藤本国彦
藤本国彦
Photographers Art Japan
https://photographers-art.com/
有賀 幹夫
 80年代半ばより音楽フィールドを中心に活動を始め、RCサクセション、ザ・ブルーハーツ、浅川マキなどを撮影。1990年、ザ・ローリング・ストーンズ初来日にあたりオフィシャル・フォトグラファーとして採用され、以降2014年までのすべての来日公演を撮影する。これらの写真はバンド制作物に多数使用され、2019年に日本でも開催されたザ・ローリング・ストーンズ展〈Exhibitionism〉では唯一の日本人クリエイターとして作品提供者に名を刻む。
https://www.facebook.com/mikio.ariga
取材・文/藤本国彦
EVENT INFORMATION
〈有賀幹夫的ストーンズ・オフ会
〜1990年から30年!初来日公演を語り合おう!〉

2月14日(金)東京・高円寺バンデット
http://pundit.jp/events/4587/
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