芸術とテクノロジーの掛け合わせで新しい価値観を提示する注目のAIアーティスト、岸裕真。みずからをAIの「触媒」として位置づけ、知性を持ったAIによる創作活動を自身の体を通して具現化。「GAN」と呼ばれるAIを利用し、読み込んだ絵画や画像を自由に解釈し形を変容させていき、二次元作品だけでなく立体作品の構築にも取り組んでいる。なぜAIと芸術を掛け合わせたアートを志向したのか。初の作品集『Imaginary Bones』を2022年3月28日に出版する岸に、ルーツを訊くとともに、作品への向かい合い方について話を聞いた。
New Book
岸 裕真
『Imaginary Bones』
(ポニーキャニオン)
――岸さんは、どうしてAIを研究しようと思ったんでしょう?
「大学で研究室を選ぶ直前の2016年に、第3次AIブームが起きたんです。AIがホットトピックのタイミングだったこともあって、なんとなく面白そうだなと思って。もともとSF的なフィクション映画や漫画でも好んでいたので、この分野なら自分のやりたいことが見つかるのかもと思いAI研究に足を踏み入れました」
――プロフィールや作品のステートメントを拝見すると、岸さんはAIに対してポジティブに捉えてらっしゃいますよね。
「基本的に人って未知のものが怖いんです。よくホラー映画でも、何か得体の知れないモノが潜んでいる状態が怖くて、モンスターが目の前に出てきてしまうと違うスリルに変わるじゃないですか?AIも定義の広い、目新しい概念なので、不可解なものとして現代人が怖いと感じるのはわかるんですけど、ある程度AIを研究していると一概に恐れるべきものではないというか。恐怖で目をつぶってしまうことで何か見落としてしまう可能性があると研究を通じて感じることが大きくて。人がまだ目を向けられてないAIの可能性を僕が触媒となって世の中にプレゼンテーションする。それが今の時代において重要なことなんじゃないかなと思い、恣意的にポジティブな印象を与えるようにステートメントを書いています」
――ちなみに、芸術への興味関心はいつぐらいから持ち始めたんでしょう。ある意味、AIと対極にある存在とも思えるのですが。
「元々父親が油絵画家で、僕が小さい頃からアトリエにこもって製作してたんです。ただ、我が家でアートは暗黙的にタブーとされていて。不安定な職ということもあって、母親から"お前は弁護士か公務員になれ"と言われていたんです。なので、ずっと憧れつつ、触っちゃいけないものとして幼少期から接していました。地元に印象派とかの巡回展が来ていた覚えはありますけど、正直ゴッホをギリギリ知っているぐらいの状況でした」
――ポップ:ミュージックなど大衆芸術に関してもタブーだったんでしょうか。
「むしろ、ポップなものに触れることはよしとされてましたね。中学生の頃はよく好きなバンドのライヴに行ったり、ギターを弾いたりしていて。勉強していればって感じで、音楽は許容されていました。アートや絵画が良しとされていなかった反面、音楽や映画に逃げ込んでたのかもしれないです。あと、インターネット黎明期と重なってたので、ニコニコ動画とか、そういうものにもどっぷり浸かっていた中高生時代だったと思います」
――2010年前後のインターネットは良くも悪くも著作権なども整備されていなかったので、グレーな中でさまざまなミクスチャーな文化が生まれていましたよね。
「面白かったですよね。基本的に中高生って、学校という閉じた社会の中でもやっとしたものを抱えながら生きてると思うんですけど、インターネットにある普段属してないコミュニティの狂乱というか、自分が通ってるクラスの出来事もネットに逃げ込んじゃえばどうでもいい些細なことなのかなと思えたというか。ある種、第二の現実みたいなものとして機能していたんじゃないかなと思いますね」
――近年、岸さんがPERIMETRONやBrainfeederとプロジェクトを一緒に行なったのも、岸さんのリアルタイムの音楽体験から繋がっているんでしょうか。
「なにかをつくることにずっと一人でコンプレックスを抱いていた思春期だったので、チームで何か一つの制作をすることに憧れがあって。僕は大学浪人をしているんですけど、そのときceroがデビューしたくらいで。彼らの音楽への取り組み方がすごく格好良くて、メンバーを有機的に構成しながら自由に制作するスタイルに憧れました。大学4年生ぐらいのときに cero主催の〈Traffic〉というフェスに行ったんですね。メンバーがイケてると思う人を呼んでStudioCOASTでやるフェスだったんですけど、トップバッターが常田大希さんがやってるMillennium Paradeの前身のソロ・プロジェクトのDTMPで、めちゃくちゃ格好よかったんです。舞台に向けてソファーを後ろ向きに置く、今もやっているスタイルだと思うでんすけど、ソファに座ってデスクトップを一人でいじって、その場で曲を演奏していく。大きい画面では女性のポートレートが不気味にぐにゃぐにゃ動いてて、石若駿さんの超絶技巧のドラムが鳴っていたり、ミュージシャンたちが組み合わさってパフォーマンスする姿に圧倒されて。ライヴの直後からPERIMETRONにすぐ"僕は今AIを研究してて、アートに憧れがあって、もし何かやれるのであればやりたいです"みたいなメールをして。そしたら、プロデューサーの佐々木集さんが会ってくださって、制作をご一緒させていただいたんです。そのあたりからだんだん、アートに自分の技術を使うことに対して抵抗感がなくなっていった印象があります」
――音楽からテクノロジーにアプローチしている人たちとの出会いが、逆に岸さんのスタンスを作り上げていったんですね。
「トラウマがあったというか。中高生のときって、ギターを持った少年少女は自分で作曲しようとするじゃないですか?自分の楽曲はイケてないと思ったし、作曲できないとバンドマンなれないし、弁護士みたいな固い職種をとりあえず目指さないといけない環境にいたりして。異業種と自分のエンジニアリングをコラボレーションさせることで何か一つの作品ができた体験は、今思えば衝撃というか、現在に繋がる重要な出来事だったと思います」
――ほかのインタビューなどでも発言されていますが、米WIRED誌の創刊編集長であるケヴィン・ケリーの思想に大きな影響を受けているんですよね。
「ケヴィン・ケリーが2016年に出してベストセラーになった『〈インターネット〉の次に来るもの』で書かれている思想が素敵だなと思ったんです。AIって、元を正せば1951年にアラン・チューリングが、人の知的活動をいかにコンピュータを使って論理的に解明するか、人の営みをどうプログラミングするかを探求した学問で、人の下位互換みたいな位置付けだったんですね。ケヴィン・ケリーの"エイリアン・インテリジェンス"という考え方を引くと、AIを人の下位互換から開放できる、いろんな使い方ができるんじゃないかなって。固定観念からちょっと外れてるような新しい流れの思想だなと思って、そっから好きになりました。シンギュラリティとか言われてますけど、2045年問題でプログラマブルな知性が人のジェネラルな知的能力を凌駕するとき何が起きるのか。自分が生きてるうちに到来する、人が特権的な知性ではなくなった世界に、どう人が生きるのかは十分議論されるべきトピックだし、そこにエイリアン・インテリジェンスって考えを持ち込むのが有効なんじゃないかなと思っています」
――そこで、アートはどのように機能するんでしょう。
「僕は優れたアートは、経済的にも政治的にもメタな存在であるものだと思うんです。例えば、人が書いた地図の中でお金を動かすのが政治や経済だとするならば、アートの役割は、その地図の外に点を打つこと。お前らの世界はそこで終わってないんだぞとか、もしかしたらここに点が打てるのかもしれないぞって。社会に対して問いを投げかけるときにいちばん有効なフィールドが現代アートだと感じているんです。もう一つ、今後AIが加速度的に進化していく中で、脅かすことができないものの一つが表現分野だと思うんです。AIを表現分野に持ち込むことは、強度の高い問いが作れるんじゃないかと考えていて。いかにAIを使って芸術が芸術たりえるのか。それは今後、何十年か、もしかしたら何百年も有効な問いになりえると思う。さきほど、AIは芸術と対極にあるとおっしゃってたと思うんですけどまさにその通りで、相反するものを繋いだ方が面白いし興味深い化学反応になるんじゃないかなと考えています」
――岸さんのアーティスト写真も、AIによって生成されたものなんでしょうか。
「セルフィーの動画をAIに学ばせて自分のポートレートを描かせたんです。2018年に作ったのでだいぶ古いものなんですけど、さっきの非人間中心主義みたいな思想を自分の制作に持ち込んでいて。岸裕真という作家名で自分の顔を出すと、人のクリエイションになってしまいかねないので、半分くらいは匿名性というか、AIたちの領分を取っておくようなものとして、あのアーティスト写真を使ってます」
――人を写したポートレートをAIが描くと、大体顔がぐちゃっとなるのには理由があるんでしょうか。
「彼らは人の持つ常識がないので、顔にある2つの黒点を見て目と認識しないというか。与えられた学習素材から概念を獲得してポートレートを生成しえるんです。それに対して、見ている側が人の顔が崩れてると強い違和感を覚えるのは、それだけ人がそこに執着というか、愛着を持っていることの裏返しだと思うんですよ。人が潜在的に持ってる愛着とか固定観念を暴露するように、AIたちを機能させていて。人が持っている固定観念をAIたちは持っていないから目とか鼻を崩してしまう。我々はそこになぜ違和感を覚えるのが、僕は興味深いことだなと感じています。どうしても人は、ルールを決めて生きてくんですよね。ある程度の決まり事を常に暗黙的に了解して生活していく。例えば、青いものは口に入れないとか。座るときにその椅子は何でできていて、どこから買われてきて、どうしてここにあってとか考えないじゃないですか?座るための機能の出っ張りとしてしか人は捉えていない。そういう、人が暗黙的にルール化してしまう制度に対して無邪気に刺激してくるのがAIたちの面白い点なんです。それを美術領域に持ち込むと、どんな刺激を喚起できるのかを今回の展示では、いろんなフォーマットでやらせていただいています」
――立体と二次元で表現することには、どのような意図の違いがあるんでしょう。
「若干話が迂回するんですけど、今後AIが発達していく中で、彼らが絶対的に持ち得ないのが歴史性なんですよね。どんなに頑張っても、彼らは1950年代から登場した概念であることに変わりない。それに対して、美術史は紀元前3万年前からあって、ラスコーの洞窟から人の表現の歴史は脈々と続いている。それはAIたちが絶対持ち得ない領域なんですよね。僕の興味は、AIの表現をラスコーの洞窟からの美術史にどうAIたちの表現を繋げることができるか。それを考えたときに、美術には油絵のお作法もあるし、彫刻のお作法もあるし、映像のお作法もある。そのお作法の中で、いかにAIたちが新しい表現をできるかを絵画や、彫刻、インスタレーションといったお作法に則って展開していくかを試しているんです」
――今回の展示で、骨をモチーフにしているのはどういう理由があるんでしょう。
「スタンリー・キューブリックの映画『2001年宇宙の旅』の冒頭シーン、サルたちの前にモノリスっていう物質が現れて、猿が啓示を得る。一部のサルがその辺に落ちてる牛の死骸の骨を拾って武器として使うことで、サルの間に格差が生まれて社会ができる有名なシーンがあるんですけど、その骨を宙に投げると一瞬で宇宙船にカットチェンジするんですよね。映画史上もっともタイムスケールの長いカットチェンジと言われているんですけど、今我々が直面しているテクノロジーも、元をただせば1本の骨で始まったというキューブリックのメタファーだと解釈していて。AIも元をただせば1本だったんじゃないかってとこで、骨をモチーフとして使おうと考えたんです」
――来年出版される初の作品集には、どういったものが収録される予定でしょう。
「キャリア全部をまとめた一冊になっています。データで作品を作っていた頃のデジタルなものから、2020年7月にやらせていただいた初めての個展風景、今回の大きい個展の様子もまとめています。今後、海外留学を検討していて、日本での活動はひと段階にしようと思ってるので、ターニングポイントをまとめたものになるのかなと思っています」
――過去のインタビューでは、「愛」がキーワードとして登場します。それはどういう理由からなんでしょう。
「アインシュタインが愛娘に対して出した手紙に、“愛”についての興味深い記述があります。相対性理論を証明した年ぐらいに出してるんですけど、"まだ科学で解明されていない、だがこの宇宙を支配するとても強大なエネルギーがある。それは愛だ"って言葉を残してて。本質的な素晴らしい言葉だと思います。あと『インターステラー』という映画が好きで、あれもその次元を超えるシーンがある。時空を超えて地球に住む娘の部屋にメッセージを送ることに成功するんですけど、なぜそれができたかというと、そこに愛というエネルギーが機能してたからだという意図があって。そういう意味でも、僕と別次元の知性が交互作用するためには、愛というエネルギーが必要なんです。あと美術という、人の生産活動だけ考えれば無駄なものがどうして残っているのかというと、そこには人の表現に対する喜怒哀楽の感情と愛情があったからなんじゃないかと考えているんです。AIを普通に読むと"愛"だなって駄洒落もあったり。最後はちょっと蛇足でしたね(笑)」
――(笑)。こどもが生まれると、人が変わったくらい愛を注ぐ方たちも多いですよね。
「今回、画集を出版させていただくにあたって、いろいろな方に推薦コメントを書いていただいたんですけど、長久允監督が"Yuma KishiはAIと生殖活動をしている!彼の作品群は、二人の子供たちに違いない!"と書いてくださったのが、すごく嬉しくて。子供が愛の体現だっていうのと近くて、自分と他者を繋ぐエネルギーとしての愛の結果というか。作品を子供と捉えると愛の体現といえるのかもしれないですね」
――最後に、2022年以降でどんなことを構想されているのか教えてください。
「今は2点ぐらい構想があって。ひとつは犬ですね。人間のもっとも古いパートナーと言われている犬という登場人物を入れるとどうなるのか。今回の展示が骨だったんですけど、骨を犬が加えていく様子もビジュアル的に面白いなって。あとは、もっと巨大な空間で自由度の高い作品を作りたくて。たとえば、入ってきた人それぞれがチェスの駒になってしまうような何か大きい部屋を使ったインスタレーションを作りたいなと考えてます。テクノロジーを巨大な空間で使ったら、瞑想的というか、人を別次元飛ばすような作品ができると思うので、そういう作品も作っていきたいなと考えております」
取材・文/西澤裕郎
撮影/斎藤大嗣
作品撮影/中山祐之介
取材協力/√K Contemporary