日本語と英語を駆使するバイリンガルラッパー、CYPRUS(サイプラス)。オーストラリア、ゴールドコースト生まれの彼は、10代の頃から日本のヒップホップに惹かれ、留学をきっかけに日本で活動することを決意した。コロナ渦を経て届けられた新作『Digital Hearts』は、心地よいメロウネスをたたえたラップとせつない恋愛シーンを描いたリリックが印象的な作品。自由奔放なアイディアと音楽性を武器に進化を続けるCYPRUSにこれまでのキャリアと『Digital Hearts』の制作、今後のビジョンについて聞いた。
――オーストラリア、ゴールドコースト出身で、活動の拠点は東京。日本語と英語を駆使するスタイルを含めて、CYPRUSさんはきわめて個性的なスタイルを持ったラッパーだと思います。ヒップホップに興味を持ったきっかけは?
「最初はアコースティックなスタイルだったんです。バンドのヴォーカルもやってたんですけど、13歳くらいから“ヒップホップってカッコいいな”と思い始めて。オーストラリアはロックやインディ・ポップが人気だから、ヒップホップを聴いてる友達もあまりいなかったんですけど。最初に好きになったのは、エイサップ・ロッキーやKohhさん。Keith Apeの〈It G Ma ft. JayAllday, loota, Okasian, Kohh〉がけっこう流行っていて、すごくカッコいいなと思って。Kohhさんのラップを聴いて、“こんなにカマしてる日本人のラッパーがいるんだ?!”と衝撃を受けたんですよね。ちょうどその頃、高校の授業で日本語を習っていたので、“日本語を混ぜてラップしたらどうだろう?”と思いました」
――その頃から日本語と英語を混ぜてラップしていたんですね。
「そうですね。当時から日本のカルチャーにも興味があったし、日本に行ってみたいと思うようになって。高校の修学旅行で、姉妹校があった岐阜県に行きました。岐阜市からもっと奥に行った田舎だったんですけど、最高な友達もできて、ちょっとずつ日本語も喋れるようになって。滞在していたのは2週間くらいだったんだけど、“日本に住みたい。東京でカマしたい”と思うようになりました」
――オーストラリアで活動することは考えなかった?
「それは考えなかったですね。ゴールドコーストはビーチな街で、すごくゆったりしてるんですよ。遊びに来るにはいいところだと思うけど、僕はもっとペースが早くて、刺激がある場所に行きたいとずっと思ってて。初めて日本に行ったときに、いろいろと新しい経験ができて、今までとは違う世界を見られたという感じがすごくあって。そのとき“助かった”と思ったんですよね。新しい人生のミーニングが見つかったし、だからこそ、“ここで生きられるようにしたい”と思って。翌年も高校の校長先生に頼んで、夏休みにまた日本に来たんです。そのときは1ヵ月くらいいて、もっと仲間が増えて。日本語も少しずつ上達して――まだそんなにうまくないけど――曲も増えてきて。知り合った人たちにInstagramで曲を送ったりもしていて、“今度一緒に何かやろうよ”みたいなメッセージをくれる人もいたんですよ」
――その時点で際立った個性があったんでしょうね。
「ポテンシャルはあったみたいですね。英語と日本語を混ぜてラップする人はほかにもいたと思うんですけど、“フル外国人”でやってるのは自分だけじゃないかなって。とにかく“音楽だけで食えるようになりたい”“ラップでカマしたい”という気持ちが強かったんです」
「はい。DMでやり取りしていた一人に藤田織也というR&Bシンガーがいて。いちばん最初に“CYPRUSの音楽はカッコいい”と言ってくれた人なんですが、2018年の2月くらいに“ワンマンライヴをやるんだけど、オープニングアクトをやってくれない?”と連絡が来て。絶対やりたいと思って、バイトでお金を貯めて。パパとママに“東京でライヴやってくる”と言って、東京に来ました。2人とも“この子、何言ってるんだ?”ってよくわかってなかったみたいですけど(笑)」
――最初のライヴはどうでした?
「初台のライヴハウスだったんですよ。始まる前はちょっと怖かったけど、ステージに立った瞬間、“これだ!”と。“新しい自分じゃん”“このために生まれてきた”と思ったし、やっぱり音楽しかないなとはっきり感じました。そこから何本からライヴをやって、ファンベースを1から作り始めて。その頃からずっとフォローしてくれてる人も多いし、本当にファミリーみたいな感じになってますね」
――2019年からは楽曲のリリースもスタートさせました。
「そうですね。映像ディレクターのSpikey Johnさんと出会って、〈ISSEKI NICHO〉という曲を聴いてもらったら、“これはヤバいね”って言ってくれて、動画を録ってもらったんです。それが初めてのミュージック・ビデオだったんですけど、かなりバズって、新しいファンも増えて。日本で活動するようになってからの成長感もすごくあるなって思ってます。もちろん、まだまだ上に上がらないといけないんですけど」
――活動が上昇気流に入った時期に、コロナ渦に突入。もちろんCYPRUSさんも大きな影響を受けたと思うのですが、今振り返ってみてどうですか?
「きつかったです、やっぱり。2018年から2020年の2年間で、“日本で新しい自分のライフを作った”という感じがあって。この先も日本でやっていこうと思っていたし、準備をしているタイミングでコロナが流行ってしまったので。オーストラリア政府から“ビザが切れそうな人は、とりあえず帰国してください”みたいなメールが来て。そのときは“3ヵ月くらいで状況は良くなるだろう”と思っていったん帰国したんですけど、結局、2年以上戻れなかったんですよ。2020年7月に1stアルバム『ELFBOY』をリリースしたんですが、どれくらいバズっているのか実感できなかったのは悲しかったです。ちょっと希望が見えてきたと思ったら、また違うタイプのコロナが流行ったり……。もちろんライヴはできないし、“今リリースしても意味がないな”と思うこともありました」
――2022年にリリースされた「Kumo No Ue」には、コロナ渦で経験したことが反映されてますね。
「曲はずっと作ってたんですよ。音楽は薬だと思ってるんですよね、自分の精神的に。作っていないとちょっとヤバいというか、自分のヒーリングのために曲を作って、歌わないとダメなんです。音楽がないと前に進めないんですよね。コロナの時期はすごく落ち込みましたけど、今思うと、そのおかげで強くなれたところもあったと思う。音楽は絶対にあきらめたくなかったし、“こんなことで諦めるようなら、スーパースターにはなれない”と思ってたので」
VIDEO
――そして今年4月にはEP『Digital Hearts』をリリース。制作は東京ですか?
「もちろん東京でも作りましたけど、僕はどこにいても曲を作れるんですよ。ビートに関しては、地元のビートメイカーのANHに任せることが多くて。彼はヨーロッパやアジアのメロディメイカーともつながっているんですよ。ANHから送られてくるトラックにメロディとリリックを乗せるので、チームで作ってる感じですね」
――なるほど。『Digital Hearts』は全体を通して、メロディアスな楽曲が多い印象がありました。
「今まではけっこうハード系な楽曲が多かったんですけど、今回はちょっとポップスの要素を混ぜたり、キャッチ―なフックを作ったりしたいなと思ったんです。これまでよりは聴きやすい感じになっていると思います。歌詞はラブソングが多いです。シングルカットした〈OCH1K0MU〉〈05AKA G1RL5〉もそうですけど、リリックを書いたときに、そういう経験があったので」
――リアルな感情を描いたリリックなんですね。「05AKA G1RL5」のMVはSpikey Johnがディレクション。たくさんの仲間が出演してますね。
「そうなんですよ。Spikeyさんをはじめ、プロデューサーの方や出演してくれた人たちを含めて、チームでやってる感じというか。一緒に楽曲を作ってる人たちもそうなんですけど、“CYPRUS、東京でがんばってるよね。協力するよ”という気持ちでサポートしてくれてるんですよね。今のチームはたぶん50人くらいなんですよ。このスタイルが好きだし、みんなが応援してくれてるからこそ、“もっとカマさないとダメだな”と思ってます。もっともっとがんばりたいし、やり切るしなかいですね」
――トラックメイクの幅、日本語と英語の混ぜ方を含めて、音楽性も進化していると思います。
「ありがとうございます。自分のスタイルができつつあると思うし、誰もやっていないサウンドだと思うし、ここから新しいウェイヴを作れたらなと。ジャンルは関係なくて、いろんなタイプの曲を作ってるんですよ。EDMも好きだし、アコギ1本で歌えるような曲も好きなので、どんどん変化していきたいと思ってます」
「音楽だけじゃなくて、漫画も作りたい。以前から頭の中にストーリーがあって、まずはそれに合わせた曲を作って。さらに漫画を作ることで、視覚的にも楽しんでもらえたらいなと」
――面白い! 映像化もできそうですね。
「そうなんですよ。僕がイメージしているのは音楽だけではなくて。自分が考えていることは本当に面白いと思うので、それをいろんな形で表現したいんですよね。デカい会場でライブをやりたいという気持ちもあります。スクリーンに映像を映して、ストーリーを表現して。前のほうのモッシュピットではみんなが思い切り盛り上がっていて……」
――CYPRUSさんのなかには“絵”が見えているんですね。
「はい。僕の音楽を知らなくても楽しめるようなライヴをやりたい。“面白いことやるから、武道館に来なよ”って言いたいですね」
取材・文/森 朋之 撮影/宮本七生