日本のアイリッシュ・ミュージックに対する関心が爆発したのは2009年である。と、あるアメリカ人が書いていた。彼はその頃来日してそのことを目撃したし、アイルランドでもアイリッシュ・ミュージックのセッションに日本人の姿が目立ちはじめたことに気がついたそうだ。当然、その何年も前からことは始まっていたはずだが、現在の波が高まりはじめたのは、やはり世紀が変わってからだろう。
アイリッシュ・ミュージック、あるいはより広くケルト音楽を演奏したり、ダンスを楽しんだりすることが20世紀のわが国でまったく行なわれていなかったわけではない。早くからこれらを土台に、独自の質の高い音楽として提示していた人たちも少数ながらいたし、ブルーグラスやカントリーの演奏者でアイリッシュやスコティッシュをレパートリーにとりいれた人たちもいた。なんらかの理由でアイルランドに長期滞在して音楽やダンスに触れ、帰国後もこれらを楽しんでいた人たちもいた。在日のアイルランド人の存在もあった。1991年の
チーフタンズ初来日の会場で踊っていた人たちもいたのだ。
新世紀のゼロ年代も後半になって現れてきた演奏者やダンサーは、こうした人たちとはほぼまったく接点がない。それぞれ独自にアイリッシュ・ミュージックと出会い、惚れこみ、感化されてその世界に入っている。大きな流れとしては、1990年代後半以降のアイルランド本国の経済発展とそれに乗る形でのアイリッシュ文化の世界進出がきっかけではある。インターネットの普及もある。『リバーダンス』や映画『
タイタニック』の大ヒットもあった。本国からトップ・アーティストが毎年続々来日した。音楽をはじめとするアイルランドの文化に、それもその真髄に直接生で触れる機会はそれ以前とは比べものにならないほど増えた。こうした刺激によって、若い人のなかに本人たちも自覚していなかった嗜好が芽を出し、育ち、そして今、大きな花を咲かせている。ここで重要な役割を果たしたのは、『ファイナルファンタジー』などに代表されるゲームの音楽だというのが、ぼくの見立てだ。
若い人は楽器をとることにためらいがない。かつては楽器は幼い頃からきちんと訓練を受けなければ身につかないとされていた。アイリッシュ・ミュージックはその“規則”を根底から覆した。青年期になってから手にしてモノにできる楽器はせいぜいがギターとされていたのが、その選択肢もぐんと拡がった。フィドルでさえ、クラシックのヴァイオリンを経由せず、直接始める人が現れている。
また若い人は海外に渡るのにもためらいがない。アイルランドの音楽が好きとなると、簡単に現地へ行く。数からいえばアメリカにジャズを学びに行く人やヨーロッパにクラシックを学びに行く人のほうがおそらくずっと多いと思われるが、アイリッシュ・ミュージックのようなローカルな伝統音楽を学びに現地へ行くという現象はやはり新しい。民族音楽学を学ぶために、あるいはフィールドワークのために渡航するのではない。伝統音楽の実践、演奏やダンスを身につけるために行くのである。しかも仕事に役立てるためではない。純粋に楽しみのためなのだ。
加えてネットがある。たとえば、アイリッシュ・ミュージックでは、CDを出していないがミュージシャンとして尊敬を集める人はいくらでもいる。むしろそのほうがはるかに多い。そうした人たちの演奏もネットで視聴できるようになった。伝統音楽は耳で聴くだけではわからず、演奏する姿を見てようやく全体像がつかめる。近年はネットを通じての通信教育も行なわれだした。
かくして、2010年代も後半の現在、わが国のネイティヴによるアイリッシュの音楽演奏、ダンスがかつてなく、次元を異にして大きな規模で盛り上がるということになった。伝統から遠いことの強味で、ケルト圏ばかりでなく、東欧や北欧などの伝統も貪欲に吸収し、現地ではありえないような成果も出はじめている。
定期的にライヴを行ない、ツアーをし、CDをリリースするプロの人たちが大挙して出現し、アイリッシュ・ミュージックの土台である“セッション”も全国各地で定期的に開かれ、アイリッシュ・ミュージック・サークルがやはり全国の大学に続々と誕生して、その波は高校にも波及しはじめた。いまや、海外からのミュージシャンの来日には、ワークショップやセッションが付き物になったことも興味深い。先日来日したスコットランドのジョイ・ダンロップによるスコティッシュ・ゲール語による伝統歌謡のワークショップが満席になったのには、正直仰天した。
日本のアイリッシュ/ケルト音楽シーンは最初の位相が一段落して、次の位相に移ろうとしているところにある。お楽しみはこれからだ。
アルバムで聴く21世紀の日本のアイリッシュ / ケルト音楽
奈加靖子
『Beyond』 2015年ピアノ担当でプロデューサーの永田雅代と組んで、耳タコのうたを生々しく提示するシンガーの最新作。前作の布陣に向島ゆり子、橋本 歩、関根真理が加わり、一層強力になったバックが、さらに大胆不敵な演奏で、耳に快いヴォーカルを盛りたてる。 tricolor
『うたう日々』 2016年うたにこだわってきたトリオが、森ゆに、優河、中川理沙、ハンツ・アラキ、コリーン・レイニィをゲストに迎えたうたのアルバム。いずれ劣らず個性的なシンガーを際だたせ、聴く者をうたに引き込みながら、独自の世界もしっかり作る懐の深さが光る。 na ba na
『はじまりの花』 2015年アイルランド、ケルト・ベースのオリジナルを、しっとりとみずみずしく、たおやかに聴かせる須貝知世、梅田千晶、中藤由佳によるトリオのデビュー作。美しいメロディが楽器の奥から魂を導き出すように響いて、美の三女神が優雅に舞う姿がまぶたに浮かぶ。 ハモニカクリームズ
『アルケミー』 2016年ケルトとブルースの融合・発展をめざしたバンドの一つの到達点。二つのダイナミズムが衝突し、格闘し、絡みあって爆発する。ミュージシャンたち自身が化ければ、バンドはキント雲と化して、大宇宙を翔けめぐる。ハードコアにして最先端の音楽。 hatao & nami
『SILVER LINE』 2014年卓越した技量と想像力の豊かさでは右に出る者のない、各種の笛とハープ&ピアノのデュオの、ケルト志向がもっとも濃い1st。打ち込みまで含む多種多様なサウンドを入念なアレンジで重ねる実験に挑んで、スリリングな地平を新たに開拓している。 山崎 明
『SAXELT』 2015年中村大史のギターを相手に、サクソフォン本来の木管楽器としての柔らかい音と、これまたリード楽器本来の音の膨らみによって、見事にダンス・チューンのグルーヴを聴かせる稀有の録音。アイルランドでもこれに近いものすらない。伝統への見事な貢献。 きゃめる
『Op.1』 2016年フィドルの酒井絵美、ホイッスルの高梨菖子、バゥロンの成田有佳里、ブズーキの岡 皆実のカルテット。高梨を中心として、闊達で元気のよい、そして質のきわめて高いオリジナルを聴かせる。これからの季節、屋外で聴けば足取りも軽くなる。 O'phan
『Jugem』 2014年フィドルの大渕愛子、ギター&アコーディオンの中村大史、バゥロンの長濱武明のトリオ。ほかでは冒険することが多い3人が、ここでは脇目も振らずにオーセンティックな演奏で真向勝負する。一方、大渕が披露するヴォーカルからは巧まざるユーモアが滲み出る。 RINKA
『Rambling』 2013年アイルランドに似た北海道の風土に育まれ、伝統の奥深くからの音楽を聴かせるフィドルの小松崎操とブズーキ、ギターの星 直樹のデュオ。異邦の地にあって、急がず、たゆまず、伝統の真髄にかぎりなく近づき、これを突破して、独自かつ普遍の域に到った。