22-20sが解散を発表した2006年1月、それは寝耳に水の情報だった。しかし、ブルースを基盤にした迫力ある音楽性と演奏力をすでに持っていたにせよ、彼らはまだ20代に入ったばかり。真摯さと希望の象徴であるはずのブルースが、しかし世界のシーンにおいてはカテゴライズの罠を生む諸刃の剣でもあった事実を、取材に応えてくれたマーティン・トリンブル(vo、g)は静かに振り返る。しかし、それでも音楽を愛する想いは変わらない。ゆっくりと、しかし確実に“自分たちにしか出せない音”を育んで22-20sは再結成アルバム
『シェイク/シヴァ/モウン』を完成させた。そして来るフジロックフェスティバルでは、あの伝説の名演奏を超えるであろうライヴが再び目撃できる。
photo by Sam Awad
――解散当時は、ブルースとはもう離れたかったんでしょうか。それとも、“ブルース”と括られる状況から離れたかった? 何があなたを不自由にしていましたか?
マーティン・トリンブル(以下、同)「そうだね……全てではないけれど、多くのジャーナリストが“このバンドはこうだ。
ホワイト・ストライプスを彷彿させる”と決め付けると、イギリスでは他のジャーナリストも口を揃えて同じことを言う。オレたちは、そういうのがどうしても居心地悪かった。昔から聴いていた音楽だから自分たちの演奏にブルースの影響はあったけど、実は“ブルース”という括りから逃れたかったんだと思う。自分たちからあえて、それに乗っからなくてよかったよ」
――そういうシーンがたしかにありました。
「うん、ホワイト・ストライプスの後を追うように、オーストラリアやイギリス、スカンジナビアから
ストゥージズっぽいサウンドのバンドが、数多く生まれてた。そのジャンルに自ら入っていかなかったのは、戦略的には間違いだったかもしれないけれど、そういう目で見られるのは居心地が悪かったし、最終的にはそうしなくてよかった。そうしなかったからこそこのアルバムができたからね」
――解散後、最初はあなた一人で音楽を作っていたけれど、比較的すぐにオリジナル・メンバー全員でレコーディングを始めたとか。
「その辺りから(再結成を)少し意識し始めたよ。サウンドが以前と変わってきているからにはバンド名を変更するべきなのか、だけど22-20sの元メンバーが3人もいるのに名前を変えるのもなんだか不純な気がしたりね。それで、やっぱりバンド名を残してアルバムをリリースしようということになった。一緒に演奏を始めて3、4ヵ月経った頃に、やっぱり22-20sの2ndアルバムを出したいとはっきり思うようになったよ。そんな経緯でギターのダン(・ヘア/新メンバー)を誘って2008年9月のヘヴンリー・レコーズのイベントに参加したんだ。ダンの演奏は最高だったよ。彼はオレたちと地元が同じで、学生時代からの知り合いでもあった。全てがうまくはまったよ」
――ダンの魅力を、どう捉えていますか?
「ダンの参加によって、曲に新たなメロディのエッジが加わったよね。彼は、オレとは全く違うタイプのギタリスト。オレはスリーコード系のギタリストだけど、ダンは技術的なことに凝るタイプさ。オレなんかよりも多分、音楽的な考え方をする。彼の加入により、バンドに新鮮な要素が加わったよ。まあ、そこからアルバムを完成させて、今があるってことだ」
――デビュー作のリリース後、あなたたちは「あれは自分たちが4年くらい前に夢中になっていた音」と、とにかく早く2ndアルバムを作りたがっていたことを覚えています。では、新作は当時あなたたちが作りたかった音と、どこが最も違いますか?
「今までのアティチュードや熱狂的な演奏、生っぽいロックンロール・サウンドは保ち続けたかった。人間の性質として過去にやったことを排除したがるところはあるよね。だけど自分たち、そしてプロデューサーのイアン(・ダヴェンポート)にも慣れてきた頃に、イアンはオレたちが以前やっていたことの最もピュアなエッセンスだけをどんどん取り入れるように推してくれたんだよ。ブルースっぽい曲から作り始め、レコーディングの終盤からメロディ色が強いサウンドを加えたのではなく、実はその逆だったんだ。〈トーク・トゥ・ミー〉や〈シェイク、シヴァ・アンド・モウン〉なんかは過去のサウンドと今後目指している音の完璧なハイブリッドだと思う。だから、アルバムの軸となる曲があるとしたら、この2曲だね」
取材・文/妹沢奈美(2010年3月)