2006年の紅白歌合戦出場を機に
シングル「千の風になって」がヒット・チャートを急上昇、その歌声が一気に全国に広まることとなった
秋川雅史。「けれども自分の中では何も変化がないんです。まだ世間についていけてない」と笑う、今もっとも注目を集めるテノール歌手に、歌への熱い思いを語ってもらった。
「千の風になって」(作者不詳の米詩、日本語詞作は新井満)は、亡くなった人が生者に語りかけるという悲愴感をともなう内容の詩である。だがそこには、目をつむって気弱にあきらめることでは得られない、万人の心の底に届く希望が込められている。
「最初にこの曲を歌い始めたのが2005年の7月。初めて出会った時から、詩の力をひじょうに強く感じた」と秋川雅史はふり返る。「この曲を歌うようになってから、歌にとっての詩の大切さを今まで以上に感じるようになりました」
しかし、歌い手として詩と向き合う方法は以前と変わらない。「詩に感情を込めて歌うのではなく、ひとつひとつの言葉を丁寧にメロディに当てはめることだけを考える」と強調する。感動を誘う歌唱からすれば逆説的にも聞こえるが、「そうすることで詩の持つ力を一層引き出すことができる。音楽の詩は聴く人が解釈するもの。歌い手がどう感じるかじゃなくて、聴く人がどう感じるかが大切だと思っています」
愛媛県西条市の出身。父親が声楽家だったこともあり、幼い頃からクラシック、特にカンツォーネに親しんだ。そんな環境に育ったおかげでクラシック・テノールの声が自然に出せた。小・中学生時代は歌謡曲も好きで聴いたが「歌ったら歌謡曲の声にならない、テノールの声なんです(笑)」
音大に進んだ頃は「とりつかれたようにクラシック・オンリーの世界。クラシックを毎日聴いて、友達の部屋でたわいのない話をするときも、やっぱりクラシックの話題になる」。その後はイタリアへ留学、帰国後、1998年カンツォーネコンクール第1位、日本クラシック音楽コンクール最高位受賞など受賞歴も華々しい。2001年にはCDデビューを果たした。
その経歴だけをみると、テノール歌手としてクラシックの王道を歩んでいるようにみえる。しかし実は、コンサートでは早くから日本の歌やポピュラー曲を歌い続けてきた。
「イタリアにいた頃は確かにクラシック畑だけでやってきたんですけど、自分のコンサートを始めるようになってから、少しずつ自分の形が変わってきた。コンサートの目的は、聴いてくれる方たちが歌を通して元気になってもらうこと。お客さんがパワーを持って帰るには、自分がどういう曲を歌えば一番いいのか? と研究を続けるうちに、今のレパートリーになったんです」
アルバム
『威風堂々』は、秋川の幅広いレパートリーを知らしめるクラシカル・クロスオーヴァー作品。クラシックの有名曲を軸にしながらも、ボサ・ノヴァ風のリズムやドラムのビートが効いたサウンドも取り入れた。「ジャンルにはこだわらない」という彼特有のしなやかさが表われた一枚だ。
「何を歌っても、声は結局のところテノールの声、クラシックの声楽の声なんです。その声を、どんな曲を使ってより多くの人に届けていくかということが自分の中では大きなテーマなんです」
アルバムには「津軽のふるさと」や「いい日旅立ち」など日本の歌が含まれている。全12曲のうち、半数以上が日本語詞。日本語を歌うことに力を注いでいる。
「きっかけは
、ドミンゴ、
カレーラス、
パヴァロッティの3大テノールが来日公演で、
美空ひばりさんの<川の流れのように>を歌ったこと。それを聴いた時に鳥肌が立って、“こういうのもあるんだ”と日本の歌を取り入れるようになりました」
日々訓練を惜しまず「声に磨きがかかることに喜びを感じる」と語るさまは、まさに“全身テノール歌手”といった印象だ。
「テノールの声の響きっていうのは、人間が普通出さない声、歌い手が作り上げて磨いていった声なんです。つまり人間の体を楽器にするわけなんですけど、今後もずっと体を楽器にする究極を追い求めていきたい。それをベースにいろんな表現方法を探っていきたい」
記録的ヒットの追い風を受けてコンサートツアーが始まる。最後にその意気込みを聞いた。
「今までは“こんなにいい曲があるんです”と千の風を歌っていたんですが、今では“千の風を聴きたい”とたくさんの人が来てくれる。望まれて歌うというのは、本当に歌い手冥利につきるんです。なので、今回はテノールの魅力をより知ってもらえるコンサートにしたいですね」
取材・文/吉井孝(2007年1月収録)
●コンサート情報
秋川雅史 千の風になってコンサートツアー’07
スケジュール等の詳細は
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