音楽活動だけでなく幅広い分野でクリエイティヴな展開をしているアーティスト / ジャズ・シンガーのakikoが、人気ジャズ・ピアニストの海野雅威を共同プロデューサーに迎え、“akiko with 海野雅威 TRIO”名義のアルバム『ジャズを詠む』を完成させた。幅広いジャンルのレパートリーを持つ彼女が、今回、真摯に向き合ったのはスタンダード曲である。歌い継がれてきた名曲をオーセンティックなスタイルで収録した新作の背景を中心に、ジャズとの向き合い方など多岐にわたって語ってくれた。
――2005年発売のアルバム『simply blue』のレコーディングで、当時、20代半ばの海野さんと出逢ったそうですね。
「あの時は、大好きなジャズ・ベーシストのチンさん(鈴木良雄)とライヴ・アルバムを作りたくてメンバーも含めご相談したら、ピアノは海野くんを推薦してくれました(ドラムはトミー・キャンベル&セシル・モンロー)。モーション・ブルー・ヨコハマ(2022年8月閉店)で3日間、合計6セット録音し、その中から厳選したトラックをまとめて一枚の作品に仕上げたのが『simply blue』です。このCDを今、聴き直してみても、海野くんが当時から自分のスタイルを確立していた素晴らしいピアニストだったことがわかります」
――海野さんといえば、コロナ禍の2020年9月に拠点としているニューヨークでヘイトクライムによる暴行に遭い、ピアニスト生命を絶たれるかもしれないほどの重傷を負いました。衝撃的な事件は各方面で報道され、彼と彼の家族を支援する輪が世界中に広がり、日本で親しいジャズ・ミュージシャンを中心とした支援コンサート「Look For The Silver Lining」が企画・配信された際には、akikoさんも主催メンバーのひとりとして活躍されていましたよね。その後、海野さんは大手術と過酷なリハビリを乗り越えて見事、復帰され、現在は精力的に音楽活動を行なっています。
「2021年に大阪と東京で行なわれた彼の復帰ライヴに私もゲスト出演しましたが、ひさしぶりに海野くんのピアノで唄って、あらためてすごいミュージシャンだと実感しました。何がすごいって、渡米前の2008年から本質的な部分が変わっていないんです。変わらないでいられるというのは本当にすごいことだと思います。それと、こんなにも愛を持ってスタンダード曲を演奏するピアニストはなかなかいない、非常に稀有な存在だと感じました。そして、もうひとつ。彼はインストゥルメンタルだろうが、ヴォーカル入りだろうが、同じようにピアノを弾いていて、しかも、唄っていてまったくストレスがないんです。だから、海野くんと一緒にスタンダード曲を軸にしたアルバムを作りたくなりました」
――それがニュー・アルバム『ジャズを詠む』ですね。収録曲は、akikoさんが2018年に発表したエッセイ本『ジャズを詠む 人生を幸せにする、25のスタンダード・ナンバー』(DU BOOKS)で取り上げていた楽曲からのセレクトとなっています。
「エッセイ本では、好きなスタンダード曲をピックアップしつつ、それをテーマにして自分のライフスタイルや人生観などを綴りました。いつか、この本と繋がりのあるCDを作りたいと思っていましたが、奇を衒っていない“普通の”ジャズ・スタンダード集にしたかったんです。でも、それって意外と難しい。ジャズ・ミュージシャンというのは、どうしても自分の個性を出したくなったり、現代風にアップデイトしたくなるものですからね。私がイメージしているアルバムを海野くんとなら作れると思い、プロデュースもあわせて依頼しました。ベーシストは、アルバム『simply blue』でお世話になったチンさんにお願いしようとふたりの意見が一致しまして」
――鈴木さんは1946年生まれ、アート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズのレギュラー・ベーシストとして活躍していたこともある、日本ジャズ・シーンのリーダー的存在ですよね。
「抜群のスウィング感、素晴らしい音色、そして、つねに歌っているベース! 今回、ご一緒して気が付いたことがあります。私はずっとチンさんに片想いしていたんだなって(笑)。そんなチンさんと海野くんが推したドラマーはジーン(・ジャクソン)でした。ジーンとは不思議な縁がありまして、じつは、私がジャズを唄い始めたばかりのハタチ頃、ひとり旅したニューヨークで偶然、彼と出逢っているんです。たまたま入ったジャズ・クラブでドラムを叩いていたのがジーンだったんですよ。終演後、何故か言葉を交わし、互いの連絡先を交換しました。当時、彼はハービー・ハンコック・グループのレギュラー・メンバーで世界各地をまわっている多忙なミュージシャンでしたが、ブルーノート東京の来日公演時には連絡をくれて、ライヴにも招待してくれました。ジーンはその後、拠点を日本に移しましたが、イベントでチラリとご一緒した程度で、長いこと会っていなかったんです。だから、今回の再会は本当にうれしかった。言うまでもなく、ジーンは最高で“こんなこともできるんだぜ!”というようなプレイではなく、素晴らしい音楽を作ることに重きを置いた演奏でした」
レコーディング・スタジオにて。左からジーン・ジャクソン、鈴木良雄、akiko、海野雅威
――ニューヨーク在住のベテラン・ギタリスト、増尾好秋さんが3曲、ゲスト参加されています。
「海野くんのリクエストで入っていただきました。私はほぼ初共演で、しかも、これまでお付き合いがなかったため、ふだん、どのようなプレイをするのかあまり存じ上げていなかったのですが、その温かい音色やレコーディングに取り組む姿勢に感銘を受けました」
――さて、新作のオープニング・ナンバー「Jazz - introducing“How High The Moon”」は、2008年発売のアルバム『What's Jazz? - STYLE - 』で発表されたakikoさんのオリジナル作品ですよね?
「はい、あのアルバム用に書き下ろしました。いろいろなミュージシャンが演奏し、唄っている〈ハウ・ハイ・ザ・ムーン〉を紹介しながら、最後に私なりの〈ハウ・ハイ・ザ・ムーン〉を唄うコンセプトで作ったんです。“エラ・フィッツジェラルドはこんな感じでスキャットしているのよ”“サラ・ヴォーンはこんな風に唄っているの”“チャーリー・パーカーはこの曲のコードを使って〈オーニソロジー〉という別の曲を作って”なんていうようなことを説明し、“そんな風にジャズ・ジャイアンツに愛されたこの曲を、これから私のバンドが演奏するからちょっと聴いてね”という内容です。ジャズ・スタンダード曲というのは、どんなに時間が経っても魅力を失わず、さまざまなメッセージを伝えてくれているという、私の気持ちを表している曲でもあるので、今回のアルバムの冒頭に置きたいと思いました。だったら、ラストは海野くんのオリジナル曲で締めくくるのもいいんじゃないかって」
――海野さんの復帰第1弾アルバム『Get My Mojo Back』(2022年発売)のラストに収録されていた「Enjoy It While You Can」がヴォーカル曲として収められていたので驚きました。
「レコーディングの5日前に行ったリハーサル時に、海野くんから“タイトルの〈Enjoy It While You Can〉というワードも織り交ぜた歌詞を付けてほしい”と言われ、その2〜3日後に日本語で書いた大まかな歌詞が届きました。事件を乗り越え、さまざまな経験をし、そこから行き着いた海野くんの人生哲学を反映した内容で、それを尊重しながら急遽、英語詞を書いて録音したんです。つまり、歌詞の大枠は完全に海野くんのアイディア。私だったら、こんなにも前向きなことは書けません(笑)。それにしても、レコーディングの2日前に歌詞を書くことになり、一度もバンドと合わせて歌ったことのない曲を録音するって、けっこう痺れますよね(笑)」
――タイトなスケジュールだったんですね。
「進行過程でハプニングもありましたが、それでも、ジャケットにもこだわりを持って制作しました。いわゆる、一般的なプラスチック・ケースに入ったCDではなく、アルバム『Ukulele Lady』(2021年)と『Ukulele Lady 2』(2022年)同様、見た目は本のような仕様でA5サイズにしています。というのも、蓮井幹生さんに撮影していただいたメンバーの写真やレコーディング風景のショットをより良い形でブックレットに載せたかったのです」
――エッセイ本『ジャズを詠む』でコラボレーションされたジャズにも造詣の深い世界的にも著名な写真家さんですよね。
「素晴らしい写真を見ていただくなら、少しでも大きいサイズのほうがいいと思いました。そのブックレットには、蓮井さん、海野くん、私の3人が書き下ろしたコラムと収録した楽曲の歌詞も載っています。それぞれの想いや歌の意図していることを理解していただきながら、リスナーの方々にジャズを楽しんでもらいたかったんです。歌詞というのはとても大事で、シンガーはもちろんのこと、名プレイヤーはみな、それを理解して演奏しています。海野くんが言っていましたが、彼がレギュラー・ピアニストとして活動していたバンド・リーダー&トランぺッターのロイ・ハーグローヴも含め、優れたプレイヤーというのはシンガーの気持ちになって演奏している、と。それは海野くんも然りです。しかも、自由に表現できるのがジャズ。そのジャズを通して私は真理に近づきたいと思っているところがあって……」
――真理?
「じつは、子供の頃から哲学的に物事を考える節があり、その延長で量子力学や科学にも関心がありました。いずれも“真理”を追求するための“道(TAO)”だと感じていて、音楽もそのひとつではないかと思っています。自分は哲学者にならなかったけれど、武道や書道、茶道などと同じように、“ジャズ”という即興性の高い音楽に携わる中で、音使いやリズムといった表面的なコミュニケーションだけではなく、もう少し深い次元でのエネルギーをキャッチする鍛錬をしているような気がするんです。なんだか、難しい話になってしましましたね(笑)」
――いえ、とても興味深いです。9月17日にビルボードライブ横浜で開催されるアルバム発売記念ライヴがますます楽しみになりました。
「みなさん、ぜひ、会場でお会いしましょう。その後も各地でライヴをしたいと思っていて、ツアーを計画中です。ちなみに、音楽以外の活動も積極的に行なっていく予定です。そのひとつが、友人の陶芸家、鈴木麻起子さんと一緒に立ち上げる雑貨ブランド。私のプロデュースしたアイテムが秋口にはお披露目できると思いますので、そちらも注目していただけるとうれしいです」
取材・文/菅野 聖
Photo by Mikio Hasui