繊細に揺れる感情を丁寧に集め、心地よい洗練と美しい憂鬱、そして、微かに存在する希望を含んだポップ・ミュージックへと昇華していく。
安藤裕子は新作
『JAPANESE POP』において、自らのスタイルをさらに深いレベルで描き出している。前作
『chronicle.』以降の精神的な移ろい、音楽への愛着と“救われた”という実感、“この文化を守りたい”という強い思いまで。『JAPANESE POP』をめぐる、彼女の真摯な思いにぜひ触れてみてほしい。
――とても丁寧に作られた、素晴らしいアルバムだと思います。
安藤裕子(以下、同) 「はい。私も楽しかったです」
――“楽しい”というのは、どういうところが?
「作業そのものがホントに楽しくて。『chronicle.』以降の私の2年間っていうのは、精神的にはどんどん落ちていくというか、いっぱいいっぱいだったんです。『chronicle.』のときは何かの終わりと始まりを感じていたんだけど、案の定、すごい喪失感もあって。目の前には土地があって、時間も広がっていて、それまで築いてきたものもちゃんと後ろにあるのに、呆然としてしまったんですよね。自分の生活的にも“人生が見えない”っていう時間が続いていたし。でも、曲作りやプリプロ、レコーディング、ライヴっていうのは、すごく楽しかったんですよね。そのときだけは束の間の夢みたいで、救いになったわけ」
――音楽に救われた、と。
「でも、そういうのが気持ち悪かったんだよね、ずっと。歌に救われるとか、自分で言うのはすごくイヤだった。恥ずかしいと思ってたから。だけど、自分が実際に救われていく様をあまりにも感じてしまって。“もうダメ。機能しない”なんて思って、24時間ずっとテレビの前でボーッとしてたときがったんだけど、お笑い芸人が喋ったことがツボに入って、絶望してたはずなのに、ひとりで大爆笑したことがあったのね。落ちてる自分がバカみたいっていうか、“ああ、これで明日も生きていけるな”って思えて」
――よくわかります。
「娯楽があることで、人って生きていけるんだなって。音楽もしかり、なんだよね。ホントにすべての風景が色褪せてしまって、大好きな自然のなかにいてもぜんぜん綺麗だと思えないときでも、自分の作った曲を聴いているだけで、とたんに小さいことが気にならなくなることもあるんですよ。自分の人生が華やかになるというか、ドラマや映画のエンディングみたいな瞬間を作ってあげられることができる――それを体験する時間でもあって。誰しもつまらない人生を送ってるっていったら可笑しいけど、報われない時間を多く生きてると思うんですよ。でも、ラジオから漏れ聴こえてくる音楽やテレビから流れてくる音楽、好きな洋服を手に入れたときの喜びによって、どれだけ救われるんだろう? って」
――個人的にはすごくわかります。僕もかなり鬱々と暮らしてますが、テレビに荒川良々が出てくるだけで、いい気分になるし。
「(笑)私は要潤と沢村一輝だな! あの2人が芸能界にいるってことだけで生きていける」
――(笑)。つまり、そういうものをたくさん揃えることで、なんとかやり過ごしてるんですよね。
「そうかもね。いまはホントに混沌の時代で、心の置き場所、夢の置き場所、生活の置き場所っていうのが、自由すぎて過酷だと思うわけ。自己責任が多すぎるっていうのかな、個人の自由を押し付けられすぎてる。それを埋めるためにドラマやお笑いや映画や音楽があるのかもしれないね。だからこそ、大切にしていかなくちゃいけないと思うし」
――そういう話と『JAPANESE POP』というタイトルは、きっと関係してますよね。 「たぶん、すごい関係してて。私、ひどいアマノジャクで頭が固いタイプじゃないですか」
――アマノジャクはともかく(笑)、頭固いかな?
「すぐ政治論争始めたりとか」
――あーなるほど。
「友達にも“うるさいよね”って言われるからね。タバコを道に捨てたりすると、糾弾するから。まあ、それはさておき(笑)、今回はね、音楽的に新しいことはやってないと思うんですよね。新しいアレンジャーがいたとしても、それは“安藤裕子の音楽である”ってことを確認しただけだと思う。もちろん、作業中は何度もいい思いをさせてもらったけど、楽曲としては何かを尖らせたり、ヒリつかせたりはしてない。すごく自然なんだよね」
――それが心地よかったわけですからね、安藤さんにとって。もちろん、聴く側も同じですが。
「だからね、もっとみんなと曲作りを続けたい、大事にしたいと思うんだよね。現状の商業化しすぎた音楽業界に警鐘を鳴らしたいという意味でも、『JAPANESE POP』というタイトルにしたかったし。いまの業界のなかで、私は端っこにいる人間だけど、自分のやってることは正しいという認識はあって。まわりにいる人たち――ミュージシャン、エンジニア、スタッフ――がやっていることを尊敬しているし、だからこそ、いま自分がやってることは間違っているとは言えないんだよね」
――強い気持ちですね。
「そうですね。人によっては“安藤裕子、カチンと来るな”って人もいると思うわけ。もしかしたら“うるせえ、ババア”って言われれるかもしれない。ホントに言われたら泣いちゃうけど、それも覚悟してるから。だって、私はもう、日本を支える立派な成人女性だから、意見があったらちゃんと言うの――っていう生き方に変えてみた」
――なるほど。
「いままでずっと逃げてきたし、自分と自分の周りの人が平穏無事だったらいいって思ってたけど、そうもいかなくなってきたからね。これからは自分が大好きなものを守るために、意見を発していこうって。何もね、“CDを買ってほしい”って思ってるわけじゃないの。そんなことじゃなくて、みんなでザワザワ会話してほしいんだよね。“CD売れなくて大変だよね”でもいいし、“ミュージシャンがそんなこと言うべきじゃない”でもいい。文化を守るために、意見を発して欲しいんだよね。私もね、それを音楽に反映させるつもりはぜんぜんないし」
――そうですよね。このアルバムも音楽として美しいし、すごく質が高いし。聴いていて、とても良い気持ちになります。
「ありがとうございます。嬉しいな。でも、このアルバムがあったから、こういう言動が取れるんだと思う。作品に自信というか、信頼がなかったら、怖くて出来ないから。自分はいっぱいいっぱいだし、小さい器の人間だけど、作品はすごい余裕でそこに佇んでくれてる。ジャイアンの後ろでスネオが吠える、みたいなイメージだよね(笑)」
――(笑)。安藤さんと同じように、救いの感覚を覚える人も多いと思いますよ。
「あの、やっぱり、なかなか抜け出せない穴っぽこに入っちゃう人――12年くらい前かな、14歳くらいの女の子から“死にたい”っていう手紙をもらったことがあって。そのとき、どうやって返事を書いていいかわからなかったんだよね。私だって死にたいって何度も思ったことがあるし、でも、そこから這い上がってきたからこそ、いまの私があって。結果、死ななくて良かったなって思うけど、その子に対して簡単に“生きなよ”とは言えなかった」
――うん。
「ただね、もうちょっと待ってほしいとは思うんだよね。そこで自分が出来ることって何だろう?って考えたら、やっぱり優しい歌を歌ってあげることかなって。何かこう、わからないんですけど、穴っぽこに落ちた人に手を差し伸べることはできないと思うんです。でも、一緒に時間を潰すことはできるかもしれない。その人が立ち上がれる瞬間、穴から出られる瞬間を一緒に待ちたいなって」
――歌う動機につながりますよね、それは。
「え、そうなのかな? あれ、私なんで歌ってるんだろう? いま、わかんなくなった(笑)」
取材・文/森 朋之(2010年7月)
01. 「私は雨の日の夕暮れみたいだ」 抑制の効いた、ほんのりとブルー(憂鬱)なメロディ、世界と自分の関係を美しい表現で描き出すリリック。デビュー前、20代前半のころに書いたというこの楽曲から伝わってくるのは、“ソングライター・安藤裕子”の世界観がこの時期からしっかりと確立していたということだろう。矢部浩志(元カーネーション/ds)による凛とした手触りのビートも、この曲の魅力を鮮やかに彩っている。
02. 「健忘症」 寓話的・童話的なイメージと(少しずつ記憶から消えそうになる)恋の思い出がゆったりと重なるポップ・チューン。豊かな物語性を感じさせてくれる歌詞、どこかドラマティックなメロディ・ラインのバランスが気持ちいい。楽曲の世界観をきちんと支えるバンド・サウンド(特に間奏/エンディングにおける、山本タカシのディストーション・ギターは印象的)も秀逸。
03. 「マミーオーケストラ」 フリューゲルホルン、フレンチホルン、オーボエによるクラシカルなホーン・セクション、美しくも切ないストリングス・アレンジ(編曲は宮川弾)の素晴らしさにまず、心を奪われる。あまりにも上質なサウンドメイクのなかで歌われるのは「ずっとずっといっしょにいたい」という(少しだけ照れのある)切実な思い。彼女のポップ・サイドが瑞々しく描きこまれた、愛らしいナンバーだと思う。
04. 「New World」 ダンス・ミュージックの先鋭性、AOR〜ソフト・ロックを想起させるポップ・マジックを併せ持つベニー・シングスのセンスがたっぷりと活かされたミディアム・ポップ・チューン。日本語の語感が心地よく響くリリック、弾むようなリズムを感じさせるメロディ、シックな色合いをたたえたヴォーカリゼーションなど、彼女シンガー・ソングライターとしての魅力がまっすぐに伝わってくる。
05. 「Dreams in the dark」 どこか祈りにも似た旋律によって、まさに“暗闇のなかの夢”と呼ぶに相応しいイメージがゆったりと広がっていく。特にグロッケンシュピュールの響きとともに聴こえてくる“Merry Merry/sweet dreams in the dark”というフレーズからは、まるで絶望と希望の間で揺れめくような、抗いがたい快楽が伝わってくる。前衛的にしてポップなベニー・シングスによる編曲もじつに魅力的。
06. 「アネモネ」 80年代前半のニューミュージックが持っていた、大人の官能を感じさせるようなメロディラインに心が揺れ、何かが終わっていく様をリリカルに映し出す歌に旋律を覚える。編曲は宮川弾。美しさと危うさを同時に感じさせてくれるストリングス・アレンジ、幾重にも重ねられ、まるで夢のなかにいるような感覚をもたらすコーラス・ワークも、楽曲のイメージを増幅させることに成功している。
07. 「court」 春の終わり、“さよなら”の季節を迎えたはずの“私”は、いまも微かな痛みを感じたまま、在りし日の思い出に浸っている――そんな景色がメランコリックなムードのなかで広がっていくバラード・ナンバー。楽器はピアノのみ。音数を抑えたシンプルなアレンジのなかで彼女は、奥深いイマジネーションをたたえた楽曲の世界観をしっかりと立ち上げていく。そこにあるのは歌い手としての類まれな感性だろう。
08. 「青い空」 どんなに絶望的な状況があったとしても、私はずっとそばにいて、優しい歌を歌い続ける。自分の存在に確かな手触りを感じることができず、生きる意味を見出せない人たちにとってこの曲は、ひとつの救いとして響くことだろう。震えるほどに綺麗なストリングス、しっかりとした生命力を感じさせるバンド・サウンドが共存したアレンジメントも本当に素晴らしい。
09. 「Sleep Tight Mr.Hollow」 彼女自身のコーラス・ワークだけで成立しているア・カペラ・ナンバー。ふんわりとエアリーでありつつ、体の芯をしっかりと支えるような太さもあり、どこか儚い雰囲気と女性としての強さを共存させる彼女の“声”の魅力をたっぷりと堪能できる。眠りに入る直前の、現実と夢の間を彷徨っているようなメロディ・ラインも、彼女のヴォーカリゼーションによく似合う。
10. 「摩天楼トゥナイト」 ソウル・ミュージックのエッセンスをさりげなく取り入れたサウンド、軽やかにスウィングするような気持ちよさをたたえたメロディが一つになった、2010年のシティ・ポップ(作曲は宮川弾)。80sテイストが楽しい歌の世界、キュートな表情を見せるヴォーカル、そして、沼澤尚(ds)、沖山優司(b)による、洗練と生々しさを同時に感じさせてくれるリズム・セクションも最高。
11. 「問うてる」 命とは? 涙とは? 僕らって? という(あまりにもスケールの大きい)テーマを掲げながら、決して重くなりすぎず、最終的には親しみやすいポップ・チューンへと結びつけていく。これもまた、彼女の天性のセンスなのだと思う。ゴスペルを思い起こさせる風通しのいいバンド・サウンド、現実と向き合いながら、それでも前に進もうとする気持ちを伝える歌も強く胸に響く。
12. 「Paxmaveiti ラフマベティ―君が僕にくれたもの―」 伝えたいことは、ぜんぶ伝える。2人のメロディに乗せて――リスナーへの思い、歌い続けることの動機を感じさせてくれるこの曲は、アルバム『JAPANESE POP』における一つの本質を体現していると思う。華やかなドラマ性を備えた楽曲構成、切実でありながらも同時に質の高いポップネスを感じさせるヴォーカルを含め、彼女の音楽性が鮮やかに結晶化された名曲。
13. 「歩く」 大切な人の思い出、そのなかで教わったことを胸に刻みながら、私は明日に向かって生きていく。いまは亡き、幼なじみの母親のことを思って書いたという、真摯にして穏やかなミディアム・バラード。最後の大サビにおける、エモーショナル/パワフルなヴォーカルからは、彼女がいま、シンガーとして新しい段階に入っていることがはっきりと伝わってくるはずだ。
コメント/森 朋之