さる11月19日にマキシ・シングル
「時間旅行」を発表した
アン・サリー。現役の医師として、そして母親として、人の生死や子供の成長と日々、向き合うことによって自然に辿りついた“諸行無常”というテーマ。移ろいゆく時間のなかで、いかに“今”という一瞬を大切に生きることができるのか──。そんな真摯なメッセージを彼女は、自らが紡ぎ上げた言葉とメロディに託して、まっすぐに優しく、歌い届ける。表現者として新たな境地に突入した感のあるアン・サリーに話を訊いた。
忘れられないメロディが生まれた。一度聴けば、記憶やらいろんなものと結びついて、胸のなかで豊かな膨らみをみせる――アン・サリーの作詞・作曲による初シングル「時間旅行」はそんな曲。きっとこの先、スタンダード・ナンバーになるだろうが、受け取ったばかりの今は、まるで懐メロに出会ったような感蝕を抱いている。
「フフフ、それは目指してました。
『こころうた』の曲作りのときは、思いついたら曲にするという書き下ろし感やドキュメンタリー性みたいな部分を大切にした作り方でした。でも今回は譜面を何度か手直しもして、少しマメにやってみた初めての曲です(笑)。この曲はエンディング・テーマ(ニンテンドーDS用ゲームソフト『レイトン教授と最後の時間旅行』)と決まっていて、ストーリーから浮かぶ場面を頭に描きながら、曲を紡いでいくという音楽のスケッチのような気持ちで作りました。また、せっかくなら、このようなゲームの音楽という場を借りて、なるべく心を捉えるメロディにして、曲の持つ普遍的なメッセージを多くの方の心にじわじわ浸透させられたら、と思って臨みました」
2007年発表の5作目『こころうた』で初披露された自作曲の数々は、アン・サリー的世界の広がりの可能性を感じさせてくれた。いわゆるカフェのムードにフィットする曲ばかりでなく、街の商店街の賑わいと混じり合って良さを発揮する曲も目立ち、嬉しくなった。しかし今回の嬉しさはそれ以上。まずメロディ・メイカーとしての確かな才能を示してくれたこと。そしてシンガー、アン・サリーの魅力を引き立たせるための術を申し分なく発揮していること。
「自分が聴きたい曲を自分で作っているって感覚が強いんです。“なかなか着たい服が見つからないから作っちゃえ”って人がいるように、“歌いたい曲が見つからないなら自分の手で”って発想に近い」
何より良いのは、曲のスケール感の大きさ。
ミルトン・ナシメントの名曲「トラヴェシア」に引けを取らない風格を有している。また自らが描き出した世界のもう一歩先に行くことができないか、というような表現者としての貪欲な姿勢も窺える。思うに、この曲が伝えてくれるのは、アン・サリーの“勇ましさ”だ。そして歌詞だが、彼女が最近関心を寄せる仏教書から得た教えが反映しているという。
「子供が生まれたことがきっかけで本を読むようになって。授乳とかしていると、“この子は一生ずっとこのまま……”なんて感覚になったりするんです。でも実際は刻一刻と変化している。物事は一定だと思いたいのは人間の性質だと思う。この曲でテーマにしている“諸行無常”について、心底理解できているとは思わないけど、歌ったり考えることで、自覚するきっかけにしたかった。魔法のようにある日突然わかるはずはないし、年を取りながらいろんな経験をして、なんとなく“こういうことなのかな”って思えたときに寿命がきて死んじゃう……そういう感じだろうなって思いますけどね」
タイトルにかけて、「時空を旅することができるなら過去と未来、どちらがいい?」と訊くと、「絶対、未来。誰も体験したことがないわけだし」と答えた彼女。絶えず好奇心を膨らませながら予測のつかないスリルに満ちた旅を続けるアーティスト、アン・サリーらしい答えだ。その旅の途中でこんな魔法のような音楽を届けてくれた彼女に、ホントいい旅してるなぁと、うらやましく思わずにはいられなかった。
取材・文/桑原シロー(2008年11月)