不安や焦りや苦しみをポジティヴに変換していく 杏沙子、初のシングルを発表

杏沙子   2019/07/17掲載
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 今年2月にすばらしいファースト・フル・アルバム『フェルマータ』を発表した杏沙子が、初めてのシングル「ファーストフライト」を8月7日にリリースする。
 7月17日から先行配信される表題曲は、女性パイロットを主役に据えたドラマ『ランウェイ24』(ABCテレビ)の主題歌。杏沙子にとって初めてのタイアップ書き下ろしである。これまで重要な曲をいくつも彼女に提供してきた幕須介人との初共作(幕須作曲、杏沙子作詞)で、夢のキャプテンを目指す主人公に力強くエールを送っている。
 ただし「ファーストフライト」はそれだけの曲ではない。そこがポイントだ。ではどんな曲なのか、どうしてそうなったのかは、杏沙子自身の言葉で語ってもらおう。
 カップリングはインディーズ時代からライヴで歌ってきた「青春という名の季節」と、『NHKみんなのうた(2019年4-5月)』で流れた「ケチャップチャップ」。配信版には「アップルティー」のライヴ・ヴァージョンもバンドルされている(これがまた持ち前の表現力が発揮された楽しい出来)。杏沙子の現在地を伝える充実のシングル。本記事がそのサイドリーダーになれば幸いである。
2019年8月7日(水)発売
※7月17日(水)より先行配信
――「ファーストフライト」はドラマ主題歌ということで内容に寄り添いつつ、杏沙子さん自身のテーマとうまく重ねている印象を受けました。
 「そのとおりです。とくにサビの部分はいつも自分で考えてることでもありますね。昔は不安なときは“不安だなぁ”、焦ってたら“焦ってるなぁ”、苦しければ“苦しいなぁ”というだけで終わってましたけど、デビューして1年経って、そういう感情が生まれるのは自分がたどり着きたい場所があるからこそで、それを感じることで前進してる実感を得てるんだな……ってよく思うようになったんです。不安や焦りや苦しみを“今、未来を見てるから”みたいにポジティヴに変換していくということを、これからの自分自身のためにもしていきたいし、それを言葉にして残していきたい、という思いがありました。始まりはドラマ主題歌ですけど、結局はすごく自分に向けた曲になったなと思ってます」
――お題をもらって曲を作るのは好きなほうじゃないですか?
 「はい、そのとおりです。って、“そのとおりです”しか言ってないですね(笑)。たぶん得意なほうに入るんじゃないかな。今回のテーマも、わたしが普通に生活していただけでは出てこなかったものですし。お題があると、ふだんの自分だったら絶対に使わないような言葉やメロディが出てくるので面白いですね。わりと楽しんで作れるタイプかなと思います」
――そもそも主題歌を担当することになった経緯を教えていただけますか?
 「“書いてください”ということではまったくなくて、“探している”というお話で、コンペみたいな感じでした。ぜひ書き下ろしてみたいと思って、資料をいただいて読んだら、主人公は26歳の女の子でわたしとほぼ同世代だし、亡くなった元パイロットのお父さんに憧れてキャプテンを目指すという内容も、すごく自分と重なったんですよね。わたしも小さいときに母が運転するクルマの中で、母がかけていた曲を聴いて抱いた歌手への憧れからすべてが始まったし、取るに足らない小さな憧れが人生の原動力になっているという意味では一緒だな、と思って。その憧れに近づこうとするのはすばらしいことなんですけど、それはベースにありつつも、やっぱりすごく不安だったり苦しかったりする。そういうところにめちゃくちゃ共感したんですね。だから主人公へのエールとしても書きたいし、もう半分は自分のためにも書きたいと思って、書き始めました」
――それでストーリーや言葉遣いが自然なものになったんですね。
 「もう他人事とは思えなかったというか。主人公はパイロットですけど、空を音楽の世界に置き換えれば、自分が行きたいところに向かって進んでいく道のりは結局、孤独だし、決めるのは自分だし……って考えたら、目線も似てるなと思って。これはもう空を飛ぶものの視点で、夢に向かって飛んでいくというテーマで書けるなって」
――作詞が杏沙子さんで、作曲は『花火の魔法』と『フェルマータ』に2曲ずつ提供している幕須介人さんですね。
 「ドラマ主題歌のお話が来る前に、幕須さんと共作する話があったんです。これまでの曲では作詞もしてくださっていたので、詞曲を分担してみようと。それで送っていただいたメロディを聴いたときに浮かんだイメージが、完全な主観映像が曲の最初から最後までワンカットで続いていくっていうものだったんですね。わたしがひとりで曲を書くときは、いろんなアングルから映画を撮っていくみたいな作り方をするので、すごく新鮮でした。そこにちょうどこのお話をいただいて、わたしが抱いていたイメージがドラマの内容ともめちゃくちゃ合致するなと思ったので、このメロディで書いてみよう、って。幕須さんの曲には、作詞も作曲もしていただいたものでも、まるで自分が書いたかのようなフィット感があるので、なんの迷いもなくスラスラと、自然に書けました」
――1番が“真っ白で静寂な世界”、2番が“真っ青で喧騒の世界”となっていますが、それぞれ雲の上と下みたいな感じでしょうか。
 「雲の中と、雲の下の空ですね。わたしの中では、空はそもそも孤独な場所ってイメージなんです。だから雲の中も下も孤独なんですけど、雲の中はまわりが何も見えないから完全に自分ひとりになる空間。雲の下はいろんなものが目に入るし、“偏見 世間的常識 可能性 信憑性/理想を投げつけられる”って歌っているように、まわりから飛んできたり投げつけられるものもたくさんある場所、っていう感じです」
――歌い出しが“どれだけ進んできたんだろうか”と自問で始まることで、さっき言った杏沙子さん自身のテーマと重ねている印象がしょっぱなから立ち上がって、とてもインパクトがあります。これは素直に出てきたものですか?
 「そうです。いつか物語に寄り添うような曲を作ってみたいなと思ってはいたので、ぜひ採用していただきたいと思って書き始めましたけど、正直、タイアップ曲としてどうかとか主題歌らしさみたいなものって何もわからないし、たまたま内容が自分とリンクしていたこともあって、思ったことをそのまま書きました。だからいわゆる大人の考えみたいなものはいっさい入ってなくて、ウソのない言葉しか書いてないです」
――だから歌にも迫力があるんですね。“飛べるか? まだ飛べるか?”のところは、ちょっと息切れっぽかったり。
 「ふふ。あらためて言われると恥ずかしいですね。レコーディングが終わったあと、力が抜けてヘロヘロになりました。すっごい集中してたんだなと思って」
――大サビで“限界は随分前に越えてきた/さぁ もう少し飛べるよ”と歌っていますが、この部分だけちょっと浮いているというか、飛躍がありますよね。
 「ちょうど歌詞を書いていた時期にイチロー選手の引退会見を見たんです。そのとき、この人も孤独だったんだな、って思ったんですよね。“自分の量りを使いながら、限界をちょっと超えていく。少しずつの積み重ねでしか、自分を超えていけない”みたいなことを話されていて、この人も誰が決めたわけでもない自分自身が求めるゴールをひたすら目指して、ひとりで闘ってきたんだなって。そこから、これは孤独の中で限界を少しずつ超えていく人の曲なんだ、という確信みたいなものを抱いたので、イメージに取り入れさせていただきました」
――なるほど!“限界”はどこから出てきたんだろう? と思っていました。
 「完全にイチローさんです(笑)。不安や焦りや苦しみの理由を“未来を見てるから”“変わろうとしてるから”と変換することで前に進んでいけるんだとしたら、それは自分を更新してるってことだと考えれば、"限界を超える”ということもテーマになってるんじゃないかなと思って。最後のサビの“今を変えたいから”“今、越えられるから”というのも、その意味で置いたんです」
――杏沙子さんのレパートリーには、大きく分けて「アップルティー」「恋の予防接種」などフィクショナルな曲と、「道」「とっとりのうた」といったリアルな心情を歌った曲がありますが、「ファーストフライト」は両者を折衷した新機軸といえるかもしれませんね。カップリングの「青春という名の季節」も負けず劣らずの大熱唱ですが、これはデビュー前からライヴで歌っていた曲だとか。
 「はい。この曲を作った清家寛さんは〈アップルティー〉や〈道〉のアレンジもしてくれましたし、一緒にライヴに出たりもして、インディーズ活動をともにしてきたような人なんです。その彼が作った曲なんですけど、初めて聴いたとき衝撃を受けて“歌ってみたい”と言ったら“じゃあ歌えばいいじゃん”と言ってくれて、そのうち“あげるよ、もう”って(笑)。“ありがとうございます!”と言って、デビューしてからもずっと歌ってました」
――音は高いしテンポは速いし、6分半にわたって休みなく歌っている感じだから、ものすごく体力を消耗しそう。
 「人類が歌う曲じゃないですよね(笑)。“自分が歌わないからって、こんな高いとこまでいかないでよ”ってよく言ってました。レコーディング、だいぶがんばったなぁ。前日から青春の気持ちでいましたから」
――あはは。どうして歌いたいと思ったんですか?
 「とにかくパワーがすごいんですよ、この曲は。“あなたは私の私の青春なんです”って、一回聴いたら耳に残るじゃないですか。こんなに言葉がどストレートにくる曲ってなかなかないんじゃないかと思います。メロディもすごくきれいだし、わたしがライヴで歌ったらお客さんの反応もよくて、“音源化してほしい”みたいな声も多かったので、今回入れようかと。あと、いま歌いたいなと思ったんです」
杏沙子
――杏沙子さんからはまず出てこないであろう表現がいっぱいですね。“オール明けのハイテンション”とか(笑)。
 「絶対に選ばない言葉が多いですね。なんなら(レコーディングのときに歌詞を)“変えたほうがいいんじゃないか”って話もあったくらいです。“もらった曲だし、これが清家さんの色だから、いいと思う”と言って、変えませんでしたけど」
――正解ですね。いま歌いたいと思ったのはなぜ?
 「〈ファーストフライト〉もそうですけど、パワーのある曲を歌いたい時期なのかな。飛びたい、走りたい、みたいな(笑)。この2曲は並びもよくて、似ているというか、エモみが強いっていう意味で同じジャンルだと思います。だから〈ケチャップチャップ〉の突然のフヌケ感が笑えるってディレクターと言ってたんですけど……大丈夫でした?」
――僕はいいバランスだと思いましたよ。最初の2曲だけだったら、聴き終わったあとヘトヘトになっちゃいそうですし。
 「あははは。息切れしますよね」
――飛んで、走って、おなかがすいて……。
 「オムライスを食べる、みたいな(笑)」
――それです(笑)。〈ケチャップチャップ〉は純粋に楽しんで作れたのでは?
 「楽しかったですね。レコーディングが特に。山口ともさんが面白すぎました。これも『NHKみんなのうた』からお誘いいただいたわけじゃなくてコンペで、まさか通るとは思ってなかったんですけど。サビはわたしが実際にオムライスを作ろうと思ったらケチャップがなくて、スーパーに買いに行くときに歌ってたんです(笑)。それをふくらませて物語みたいにしていったらいいかな、と思って作って提出したら、気に入ってくださって。振り切っていいですよ! と言われた感じがして、何も難しいこと考えないで、紙芝居みたいな感じで作れました。面白かったですね、歌詞を書くのも」
――山口ともさんは“日本廃品打楽器協会会長”を名乗るパーカッション奏者ですよね。ステージにガラクタをたくさん持ち込んで面白い音を鳴らすライヴを何度か見たことがありますが、このときもそんな感じ?
 「そんな感じでした(笑)。すっごい量のガラクタという名の楽器をスタジオに持ってきてくださって、“この音は違いますか?”“違います”“この音ですかね?”“んー、もうちょっと高いほうがいいですね”みたいなやりとりを延々として、遊びみたいなレコーディングでしたね。“絶対絶対絶対言えないわ”というところで“絶対絶対絶対”のあとに“クォン”みたいな音が入ってるんですけど、何回も何回も鳴らしてもらって“3回目の音がいいです!”とか言って」
――クイーカ(※サンバなどブラジル音楽でよく使われる打楽器)ですね。
 「そうそう。濡らして引っ張るやつです。おなかがすいたような、ちょっと笑えるような音を探して。いろんな音を出してくれて、みんなで爆笑してました」
――3曲まとめて、いいシングルだと思いました。
 「よかったー」
――えっ、自信満々じゃないんですか?
 「いつだってわたしは不安ですよ(笑)。凡人なんで」
――“よし! わたし無敵だわ”と“わたしもうダメ……”の間を目まぐるしく往復していそうだな、とは思いますけど。
 「ほんとそれです。振り幅がすごくて、そういう自分らしさが〈ファーストフライト〉にはめっちゃ入ってるなと思います。いつだって不安だし、いつだってひとと比べて焦ってるし。そういう人間臭さみたいなものを、きれいに書けたなって」
――“きれいに”っていうのが杏沙子さんらしいですね(笑)。不安や焦りや迷いを生のまま放り出しちゃうんじゃなくて、“○○だから”と理性的かつポジティヴに解決しようとするのは、賢くてまじめな杏沙子さんならではだなと思います。
 「あはは。そこがコンプレックスでもあるんですけどね」
――むしろチャームポイントだと思いますよ。そういえば、前回のインタビューで“着ぐるみを全力で脱ぎ捨てて、やっかいな人みたいになっていこうと思って”と言っていましたが、なれていますか?
 「うん。なれてると思います。少なくとも〈ファーストフライト〉に関しては、きれいにまとめてはいますけど、こんなに迷いなく書けたのはひさしぶりかなっていうくらい、ウソのない言葉をそのまま並べられたし、言いたいことが全部言えたなと思います。だからすごく満足だし、すっきりしてますね」
――『フェルマータ』を作ったことがいい影響を及ぼしているんじゃないですか?
 「そう思ってもらえてるならよかったです。『フェルマータ』を作ったのはすごく大きいですね。いまも新曲を書いたりレコーディングしたりしてますけど、なんか楽になりました、作るのが。前よりも迷いがなくなったっていうか、“いいと思ってるんだから、いいんだ”っていう根拠のない自信が持てるようになったと思いますね。自分で“あ、いま固まったな、ここ”とか、“ここはまだグラグラしてるな”みたいなのが、感覚的に見えるようになったっていうか。うまく言えないんですけど」
――イチローさんの言う“自分の量り”ですかね。前は自信が持てなかった?
 「持てなかったし、まわりから見てどうなんだろう、とすごく考えてました。孤独って言うとマイナスな印象を与えちゃうかもしれないけど、自分ひとりの心の中だけで曲を作れるようになってきたと思うんです。“どう思いますか?”って相談するにしても、前は自信がないからしていたけど、今回は自信を持ってできたし、できたものをディレクターに送って、一発でオールOKだったのは初めてだったかもしれないです。“ここ、もっと別の言葉ないかな?”みたいに言われることもなく」
――今後がますます楽しみですね。最近、ひさしぶりに『フェルマータ』を聴き直したんですが、あらためていいアルバムだなと思いました。ほぼケチのつけどころがない。
 「ほんとに〜?」
――いや、細かいことは少しありますけど……。
 「そうじゃないと困ります(笑)。つねにケチつけられてたい人なんで。だって、急にみんなにほめられたら気持ち悪いじゃないですか。かといってディスられても傷つくから、どうすればいいんだって話ですけど。ただ、だんだんとわたしを知ってくれている人が増えてくると、やっぱり微妙な反応も目に入るようになって、いちいち落ち込んだりするんです。そういう気分の波は〈ファーストフライト〉の歌詞にもちょっと入ってますけど、結局、音楽もファッションとか食べ物と同じで、好みなのかなと思って。Aさんはおいしいって言うけど、Bさんは味が濃いって言うとか、それぐらいの違いなんだなっていうことに最近、気づきました」
――うん。一定の水準をクリアしていれば、あとは好みだと僕も思います。
 「〈ファーストフライト〉は、そうしてひとから投げられたものにいちいち揺れてしまう不安定な自分にとってのお守りみたいな曲になるんじゃないかなって思います。書き上げたあとにも、例によって落ち込んだり悩んだりすることはあったんですけど、自分が書いたこの言葉たちに救われてる自分がすでにいたりするんですよ。自分のお守りってだけじゃひとりよがりすぎるから、何かに向かって進んでいく中で苦しんだり悩んだりしている人たちのお守りにもなっていったら、すごくうれしいですね」
――自分のお守りにならないものは、ひとのお守りにもなりませんからね。
 「そう。わたしが大切にしてる言葉で“自分が感動するものじゃないと、ひとは感動しない”っていうのがあるんです。高校の吹奏楽部の顧問の先生の言葉なんですけど」
――杏沙子さんにトランペットをやめろって言った先生ですね。
 「よく覚えてますね(笑)。“だから自分が感動するものを作れ”とよくおっしゃってて、それはいまも根本のテーマとしてあります。自分で“めっちゃいいわ、この曲!”と思うのは、ナルシストって言われるかもしれないけど、やっぱり正解だと思うし、自分が感動する曲を毎回、作っていきたいし、そこをクリアしてないものは出しちゃいけないなと思ってます」
――ひとからの評価は自分じゃどうにもできないから、自分が大好きなものを作ることが第一歩だし、作れればひとまず大成功だと思いますよ。感動している人を見ているだけで感動してしまったり、笑っている人を見ると自分もつい笑顔になったりしませんか?
 「わかる! マイナスの感情もそうですよね。怒りとか悲しみとか。とくにいまは伝染していく力がすごく強い時代だと思うんです。ウソがすごくバレやすくなっちゃってる。自分が曲を作るときにも、ちょっとでもウソが混じってたら、かならずリスナーの方にバレると思うんですよ。〈ファーストフライト〉ではそこも意識してるかもしれないですね。“絶対にウソは書きたくない”って気持ちで書きましたから」
取材・文/高岡洋詞
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