昨年、みずからの名を冠した
デビュー・アルバム を名門ラフ・トレードよりリリースし、大きな話題を集めた
ベンジャミン・ブッカー 。彼の鳴らす音楽は、古いブルースがベースになっているのは確かだが、そこから伝わって来る感性はきわめて現代的で、素晴らしくヴィヴィッドなきらめきがあふれている。いったいどうしてこんな音を響かせることができるのか、以下のインタビューを読んでいただければ、そのアーティストとしての有り様がきわめて独自なものであることがお分かりいただけると思う。今年2月の初来日公演も強烈だったが、早くも7月の〈FUJI ROCK FESTIVAL '15 〉で再来日。いま目撃しておきたいアクトNo.1として強力に推薦したい。
――ヴァージニアに生まれ、フロリダで育って、現在はルイジアナ州ニューオーリンズに住んでいるそうですが、どんな音楽環境で育ってきたのですか?
「14歳の時にスケートボードをはじめたんだけど、アメリカでスケボーをやるやつはみんなパンク・ミュージックを聴いてるから、自然と地元フロリダのハードコア・パンク・シーンに入り込んでいったんだ。そこがスタートだね」
――ちなみに大学ではジャーナリズムを専攻していたそうですね。
「ジャーナリズムを選べば、自分の好きなミュージシャンにインタビューできるかもって思ったんだ。今じゃ逆の立場になっちゃったけど(笑)。実際に大学時代は、週に2日くらい授業に出たら、あとはひたすらいろんなバンドのインタビューをしていたし、あとライヴのブッキングとかもしていたよ。音楽業界について“演奏以外のこと”を学んだんだ」
――では、そんなあなたが自分自身でも音楽をやるようになったのは、何がきっかけだったんでしょう。
「友だちのために曲を書いて、それを相手に渡したら、いつのまにか地元のラジオで流れて、そしたらいきなりメールがばんばん届き始めて。驚いてるうちに、あっという間にここまで来てしまったという感じなんだ。バスルームで録音したようなデモ音源だったんだけどね。ギター以外ホントに何もなくて、鉛筆をカポタストの代わりにしてたし(笑)」
――じゃあ、べつにミュージシャンになろうとしたことはなくて、いつのまにかなっていたという感じなんですね。
「目指して音楽家になる人もいるけど、単に好きでやってていつのまにか自然になってしまう人もいる。自分は後者のタイプだね。14歳の誕生日にギターをプレゼントされて、それから単に趣味として続けていたんだけど、自分の部屋の中でしか弾いたことがなかったから、アルバムが出たときまで僕がギターを弾くって周囲でも知らない人がいたくらいなんだ(笑)」
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――曲を作ったりしなかったんですか?
「ぜんぜん作ってなかったね。とくに書く内容もなかったしさ。ただ、僕はコミュニケーションが得意じゃないというか、友だちと真剣な話をするのが苦手なんで、そういうときに自分の気持ちを音楽にして渡すっていうことを考えついて、それで曲を書くようになったんだよ」
――では、1stアルバムをレコーディングする時点で、持ち曲はどれくらいあったのでしょう?
「実際のアルバムに入ってるだけの曲があった(笑)。つまり、その時点で自分がそれまでに書いた曲のすべてが入っているんだ。2曲くらいを除いて、どれも友だちに向けて書いた曲だよ。なにしろアルバムを作ろうなんて考えたこともなかったからね」
――ちなみに曲はどんな風に書くのですか?
「さあ書こうって曲を作るのは自分には無理で、何かが起こったとき、友だちに言いたいことができたときとかに初めてギターを手にとって曲にする。〈Violent Shiver〉っていう曲は5分くらいでできてしまったんだけど、早く作った方が自分の正直な心からの気持ちが出るはずだし、逆に時間をかけてしまうと考えすぎちゃったり、考え直したりしてしまってよくないと思う。そうやって書いた歌詞を後から読んで、あらためて自分の気持ちがこうだったんだ、ってことに気付いたりもするよ」
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――アルバムの録音にも6日間しかかけなかったそうですね?
「それより短かったと言っていいと思う。〈Have You Seen My Son?〉とかワン・テイクだし、アルバムのほとんどを実質2日間で録ってしまったんだ。あと4日は細かい調整をしただけだった。そうやって瞬間を捉えたレコードの方がオーガニックに聴こえるし、自分が聴いてほしいのもそういうものだしね。各パートをバラバラに録音して作ったようなレコードは好きじゃない。ミスした箇所もそのまま残して、そうすることで音楽にパーソナリティが反映されると思う。自分が昔から好きで聴いてきているレコードも、完璧さ以上にエモーションが大事なものばかりだし」
――こうして話を聞いていると、あなたというアーティストは、膨大な情報があふれる現代の音楽事情の中で、自分がやる音楽を選んだというよりも、鳴らされるべき音楽から選ばれてしまった、という印象を受けます。
「うーん、うまく説明できないんだけど、ある時パッと今のスタイルが思い浮かんでね。自分がこのメロディをこういうギターで演奏している姿が完全に想像できて、しかもものすごくしっくりきたんだ。たくさんの種類の音楽を聴いてきたから、自分がどうやるかを決めるのは大変なはずなんだけど、ある日突然すぐに決まってしまったんだよね。やっぱり大勢の人に聴かせたいと思ってやってたわけではなかったことがよかったんじゃないかな。1人か2人の友だち以外には誰にも聴いてもらおうと考えていなかったし、なにも気にしてなかったからこそ自分の音楽スタイルを確立できたんだと思う」
――ただ、そんなあなたも、デビュー・アルバムを発表して以来、世界中で大きな注目を浴びるようになったわけですから、こうした環境の変化から、音楽にも影響があるのではないでしょうか?
「自分では何かが変わったとは思っていない。いまだに同じ友だちと遊んでいるし、これまでと同じように車の中で曲を思いついたりするしね。ツアー先でもほかのバンドと知り合いになったり夢中になりすぎないように気をつけてるよ。そうしないと2ndアルバムがダメになってしまうと思うからさ。いろんな場所を回って人前でプレイしてるわけだけど、自分がツアー先で誰とパーティをやったとか、どんなホテルに泊まったとか、そんなことを歌にしてしまったら、誰も興味が持てない内容のアルバムになっちゃうよ(笑)」
――なるほど。では次の作品について、こうなりそうだというヴィジョンは現時点で何かありますか?
「いくつか曲は作ってあるけど、基本的にツアー中に書くのは難しいね。なかなか気持ちが落ち着かなくて。でも次作のアイディアはいくつかあるよ。まだ自分ではどういうものになるかまでわからないけど、まあ願わくばファーストよりもうちょっとハッピーな作品になったらいいなと思う。このアルバムを書いた時は自分の人生でも最悪の時期だったから(笑)。9月にはツアーが終わるんで、今年の終わりまでにはレコーディングがはじめられたらいいな」
――では最後に、将来どんなミュージシャンになりたいと思っていますか?
「僕はどんなミュージシャンも目指していない。とくに崇拝しているような人もいないんだ。尊敬している人物はミュージシャン以外のジャンルが多いね。ひとりあげるとすれば、
ジェイムズ・ボールドウィン かな。小説家なんだけど公民権運動家でもあって、その作品は鋭いメッセージ性を持っていた。自分の音楽もエンターテインメントだけにはしたくないんだけど、彼はそういうことをやってみせている。きっと僕にもミュージシャンであるからこそ、できる何かがあると思うんだ」