“音源女王”の異名をとる赤頬思春期(通称BOL4=ボルサ)は、アン・ジヨン(ヴォーカル)とウ・ジユン(ギター、ラップなど)の高校の同級生2人組。韓国では2016年にデビューし、人懐っこいメロディと優しい音色、爽快感と温かみを併せ持ったハスキー・ヴォイス、恋愛などの少女心理を描いた歌詞が広く共感を集めている。昨年2月と8月にすでに東京でコンサートを開催したが、去る6月5日にミニ・アルバム『RED PLANET(JAPAN EDITION)』を発売し、待望の日本デビューを飾った。
『RED PLANET(JAPAN EDITION)』は本国での同名ファースト・アルバムと、その後に『RED PLANET 'Hidden Track'』と銘打って配信された計11曲から6曲を選び、日本語詞で歌い直した内容。歌って踊るアイドル・グループが多くを占めるK-POP勢のなかで異彩を放つアコースティックな音楽性はもちろん、ファッション性でも注目を集めそうな2人の本誌初登場。片言とはいえ発音の巧みな日本語も交えながら答えてくれた。
ウ・ジユン(g), アン・ジヨン(vo)
まずはグループ名の由来から
――まずグループの名前や成り立ちといった基本的なことからお聞きできますか?
ジヨン「思春期のときに(日本語)、グループを組んだんです。当時わたしたちは高校生で、赤い頬ってかわいらしいんじゃないかなと思って、思春期のように純粋で率直な音楽を作りたいと思いを込めて名づけました」
――オーディション番組に出演したときの映像で、審査員にリンゴを渡していたのを見て、2人の出身地であるヨンジュ市の名産品、リンゴとかけたのかなと思いました。
ジユン「ご名答です(笑)」
――ヨンジュ市はどんな街ですか?
ジヨン「小都市っていう感じですね。ジユン、説明して」
ジユン「小さな町で、どっちかというと田舎町っていうか」
ジヨン「田舎じゃないよ!」
ジユン「人もあんまりいなくて……」
ジヨン「けっこういるよ!」
ジユン「ソウルに比べるとね。自然が豊かなところで、おいしいリンゴが穫れます」
――バンドを組む前の2人はどんな女の子でしたか?
ジヨン「高校のクラスが一緒になって知り合ったんですけど、苗字がアン(ジヨン)とウ(ジユン)で出席番号が近いから席がそばで親しくなりました。夢の話をしていたら2人とも歌手になりたいと思っていたことがわかって、まずジユンが友達とバンドを組んだので、そこにわたしも加入しました。彼女は面白い子でした。髪はベリーショートで、大きなメガネをかけていて、個性的なタイプ」
ジユン「髪が明るいから(日本語)。ジヨンは当時は黒髪で、制服の着方もきちんとしていて勉強も一所懸命やる、おとなしい子でした」
――現在とは印象が逆ですね(笑)。
ジヨン「20歳になって自由に自己表現をするようになったら、性格もこうなっちゃったんです(笑)」
――ジヨンさんがメイン・ヴォーカルでジユンさんがギターとラップ、というパート分けはどんなふうに決まったんでしょう?
ジユン「バンドを組んだときヴォーカルがいなくて、それでジヨンに頼んで入ってもらったんですけど、そのときのパートのまま現在に至ります」
ジヨン「ジユンはもともとベースを習っていたんですよ」
ジユン「メンバーがどんどん抜けていったので、歌とギターをやるようになりました」
ジヨン「わたしは歌しかできないんですけど、ジユンは歌もラップもギターもベースもできて多才なんです。それぞれ自分のやりたいことをやっている感じじゃないかなと」
――ジヨンさんの歌声はとてもすてきですが、子供のころから歌は得意でしたか?
ジヨン「小さいころ合唱団に入っていました。中学校がミッションスクールだったので聖歌隊に入っていたり、高校時代はバンド部でしたし、ずっと歌は好きだったんです。両親やまわりの人たちからはありふれた声だと言われていて、そんなものかと納得していましたけど、曲がリリースされたらいろんな人たちに“不思議な声だね”と言われて、自分でもいいなと思いました」
――そしてオーディション番組に出て現在の事務所に入ったわけですが、デビューまで1年ぐらいかかっていますよね。その間、焦りはありませんでしたか?
ジヨン「ありませんでした。1週間に1曲ずつ作れと宿題を出されていて、すごく苦労しましたけど、希望にあふれていたし、楽しみながら準備をしていた感じで、いま思い返しても楽しかったです。今回のアルバムに入っている曲はほとんど当時作ったものです。いまのほうが“この曲が気に入られなかったらどうしよう”と思っちゃったりしますね」
――2016年にデビューして「宇宙をあげる」がいきなり大ヒット。そのときの気分は?
ジヨン「Kチャートのトップ100に入ってから、1位になるまですごく時間がかかったんです。トップ10に入ってからは毎日ワクワクして緊張してました(日本語)。1位になったときは自分たちの夢が叶ったと思って幸せでしたし、満足でしたし、最高の気分。その記憶しかないですね。1位になったときの画像をキャプチャーして、いまもクラウドに保存してあります(笑)」
――出だしが最高すぎてプレッシャーに感じるようなことは?
ジヨン「いまもすごくあります」
ジユン「最初は不思議な気分でした。街中で自分たちの曲を耳にしたりして。いまは多くの人たちがわたしたちの音楽を好きでいてくれるので、期待に沿うような曲を作らないと、という気持ちです。プレッシャーはあるけど、楽しみたいですね」
――すばらしい。曲のアイディアはどんなときに湧いてきますか?
ジヨン「日々の生活からインスピレーションを得ています。映画やドラマや本を見たり、友達と話をしたり。いろんな人と話をすると、その人の日常を共有することができます。だからこそたくさんの人たちに共感してもらえるような曲が作れるんだと思います」
ジユン「いいアイディアが浮かんだら、携帯にメモしておくんです」
ジヨン「言葉もメモしておいて、歌詞を書くときはそこから引用したりします」
――メロディに関しては?
ジヨン「即興で作るほうです。大衆的な曲が好きなのでそういうメロディが多いです」
――プロデューサーであり、共作者にもクレジットされているヴァニラマンさん(ヴァニラ・アコースティックのメンバーでもある)はどう関わっているんでしょうか。
ジヨン「最初は外部から曲を書いてもらうつもりだったんですけど、わたしたちのカラーに合わなくて、会社にも自分たちで書いてみなさいと言われたので自作し始めたんです。それをヴァニラマンさんに編曲していただいたら、わたしたちの感性をうまく出してくださったので、以来一緒にやっています」
ジユン「彼とはしょっちゅう会って会議を重ねています。意見も合いますし、わたしたちの話もよく聞いてくれるんですよ」
ジヨン「意見が衝突したときは、2つ作ってみて比較するんです。それからすり合わせていくんですけど、その過程も楽しいです」
――楽しそうですね。
ジヨン「お互いに自分のアイディアのほうがいいと思う! って言い合います(笑)」
最終的には全国制覇したいです
――去年の2月と8月に来日公演を開催しましたよね。思い出はありますか?
ジユン「とりあえずハイタッチが不思議ですから(日本語)。ファンの人たちと身近で会えて、短い時間ですけど、挨拶して目を合わせることができてとても楽しかったです」
ジヨン「どれくらい受け入れられるか不安もありましたけど、たくさんの人が一緒に歌ってくれたり踊ってくれたり、共感して涙しながら聴いてくれたりしたのが印象に残っています。プレゼントを贈ってくれたり、慣れない韓国語で手紙を書いてくれたりするので、とても感動でした。あと、おいしいものがたくさんあるので、日本に来るときは何日も前から楽しみにしているんです(笑)」
――ハイタッチ会があったんですか?
ジユン「2回ありました」
――そのときは日本語で歌ったりはしなかった?
ジヨン「はい。韓国語だけです」
――それでもお客さんはちゃんと歌詞の意味をわかって聴いてくれていたんですね。今年の初めに初めて韓国のアーティストのライヴに行ったんですが、韓国語のMCを同時通訳する前に客席から笑いが起こるんですよね。言葉ができる人がこんなにたくさんいるんだ! と驚きました。
ジユン「そうなんですよ。去年はいまよりも日本語ができなかったので韓国語でMCしたんですけど、みなさんちゃんと理解してくれていて」
ジヨン「すごい!(日本語)」
――ちなみに食べ物は何が気に入りましたか?
ジユン「8月に来たとき、もんじゃ焼きを食べました。おいしかったです」
ジヨン「ジユンのいちばん好きな食べ物はすき焼きです(日本語)」
ジユン「あと納豆も」
ジヨン「わたしはうどん、すし……好き嫌いがひどいです(日本語)。でもなぜか日本に来ると何を食べてもおいしいんですよね。毎回、たくさん食べて帰ります」
――東京の街はどこか行ってみたりしましたか?
ジヨン「まだ(日本語)」
ジユン「昨日、到着しました(日本語)」
――去年コンサートで来たときは?
ジユン「お台場」
ジヨン「でもわたしたちが旅行来ました(日本語)。東京、京都、大阪、北海道、福岡」
ジユン「あとミュージック・ビデオの撮影で沖縄も」
――どこが好きですか?
ジヨン「わたしは北海道ですね。冬に来たんですが、きれいだし食べ物もおいしくて、ジンギスカンの味は忘れられません(笑)」
――日本でデビューするよと聞いたのはいつごろ?
ジヨン「今年の初めに聞きました。またおいしいものを食べられる! と思って、うれしかったです(笑)」
――最新の曲を日本語で歌うとか、あるいは韓国語のままでデビューするとか、いろいろな選択肢はあったと思うんですが、デビュー作がこういう形になったのはどうして?
ジヨン「わたしたちの世界観がもっともうまく表現できていて、かつ韓国で人気のある曲ということで、この6曲を選びました。わたしたちはアルバムが一枚出るごとに音楽性が変わっていくので、まずはこの6曲を聴いていただいて、次にはまた変わった赤頬思春期を楽しんでほしいですね」
――ということはこの後の作品もどんどん日本語で歌ってくれる?
ジユン「ヒミツ!(日本語)」
――日本語で歌うのは難しかったですか?
ジヨン「韓国語にない音があるんです。たとえばタ、ツ、カ、ザ、ズ、ウ。いろいろな発音がありますよね(日本語)。外国語で自分たちの曲を歌うのは初めてでしたから、難しかった……。でも楽しかったです」
――ラップは大変じゃなかったですか?
ジユン「ツですね。“待つのは嫌だから”(〈宇宙をあげる〉)の歌詞が難しい(日本語)。でも“おつかれさまでした”のツは上手だって言われます(笑)」
ジヨン「オリジナルよりも一所懸命レコーディングしていました(笑)」
――日本の音楽もお好きだそうですが、誰がお気に入りですか?
ジヨン「清水翔太さん」
ジユン「わたしは詳しくないので、これから聴いて勉強します(笑)」
ジヨン「RADWIMPS好きじゃなかった?」
ジユン「あ、そうだ。『君の名は。』が韓国でも大ヒットしたんですけど、RADWIMPSの主題歌(〈前前前世〉)が気に入りました」
――日本でデビューしたミュージシャン仲間から話を聞いたりしたことは?
ジユン「音楽業界に友達がいないんです(笑)」
――じゃあ日本の市場についての予備知識はなかった?
ジヨン「日本のアニメやドラマは見ていましたし、嵐のファンの友達がいるので話は聞いたことがあります。BoAさんや東方神起さんなど日本で人気のある先輩がたくさんいるので、わたしたちも一所懸命活動していい音楽を出し続ければきっと結果は残せると」
――おっしゃるとおり日本で人気のある韓国のアーティストはいますが、赤頬思春期だけが持っているものは何だと思いますか?
ジヨン「それがじつはいちばん心配なところなんですけど(笑)、わたしたちは感性の赴くままにストーリーを描くシンガー・ソングライター。なので、ファンのみなさんと感性を共有して、近い距離から癒すことができるのが長所かなと思っています」
――今後、日本でどんなことをやってみたいですか?
ジヨン「日本では公演会場がちょっとずつ大きくなっていくと聞いています。最初から大きな場所でやることは望まないんですけど、東京だけじゃなく各地で徐々に大きい会場でやれるようになって、最終的には全国制覇したいです」
――外国での活動は日本が初めてですよね。ほかの国でも活躍したいですか?
ジユン「はい。いろんな国でいろんなことを見聞きして視野を広げていきたいですね」
――(川上編集長)日本でオフをもらえたらどこへ行きたいですか?
ジユン「ショッピング!」
ジヨン「Tシャツぐらいしか持ってきていないので……(笑)」
ジユン「あと、青山のブルーボトルカフェには絶対に行かなきゃ。韓国ではまだ少し前に一軒オープンしただけなんですよ」
ジヨン「東京ディズニーシーにも行きたいです!」
取材・文/高岡洋詞
Interview & Text by Takaoka Hiroshi
撮影/西田周平
Photo by Nishida Shuhei