バークリー音楽大学を首席で卒業、ASCAP Foundation Herb Alpert Young Jazz Composer Awardを2019年と2020年に連続受賞、ISJAC/USF Owen Prizeを2020年に日本人として初受賞などその才能が国際的にも高く評価されている天才コンポーザー、秩父英里が近年注目を集める編成のラージ・アンサンブルによる楽曲をメインにしたデビュー・アルバム『Crossing Reality』を発表する。彼女の音楽観や興味深い来歴などを、インタビューから得られた本人の発言を交えて紹介したい。
アルバムを通してリスナーを魅了するのは、秩父が描くアンサンブルのカラフルな彩りだ。そもそも、無限の選択肢の中からそれぞれの曲の楽器編成はどのようにして決まるのか、作曲と編成の関係について訊いてみた。
「最初にイメージのようなものが頭の中にあって、この曲はだいたいどれくらいの人数になるかなあというところを決めていく感じですね。そこにいま自分が面白いと思っているセクション、たとえば管楽器5人とか、かわりに少し弦楽器が入っている編成のうちどれが当てはまるだろうと検討しながら作曲しています。パスタを作る時に近いですかね(笑)。トマト系の味にしたい時に和風ソースは使わないですよね。隠し味として使う場合は別として。その味(サウンド)に合ったソース(編成)を選ぶという感じです」
本作を聴いて驚かされることの一つに、管楽器や弦楽器の非常にやわらかい音質がある。またそのことによりアンサンブル全体がものすごくふくよかな響きになっていて心地よい。個人的にはヴァイオリンやチェロも参加した「dreams of the wind」がおすすめだ。この音質は意図したものだったのだろうか?
「こういう感じ(手で直線を描くジェスチャー)っていうよりは、こんな感じで(両手で丸みのある形を描くジェスチャー)お願いしますみたいなことは言いました。奏者の方には、こういうタッチで演奏してほしいと言ったり言わなかったり、その時によりますね」
レコーディング・メンバーは、彼女の“これまで”と“これから”を感じさせる人選になっている。日本の音楽ファンにおなじみの凄腕たちも参加し、各人の個性豊かな演奏も聴きものだ。メンバーとのかかわりについて、ほんの少し紹介してもらった。
「石若駿さん(ds)やマーティ・ホロベックさん(b)は知り合いでしたが共演したことはなく、今回ぜひにということでスケジュールをおさえてもらって。管楽器は以前からつながりがある人が多く、たとえば菊田邦裕さん(tp)はバークリーに留学する前から仙台でずっと一緒に演奏していて私の楽曲をよくわかってくださっている人です。苗代尚寛さん(g)や佐々木はるかさん(Baritone Sax)、ミレナ・カサードさん(tp)はバークリー時代に一緒だった人たち。駒野逸美さん(tb)ははじめてでしたが音色にほわんとしたやわらかみがあって、繊細にスコアを読む方だなと感じました。レミー・ル・ブーフさん(Alto Sax)はアメリカにいるときに弦楽入りのラージとかやっているのをYouTubeで見つけてよく聴いていて、本人にも実際に会ったりしてぜひということで参加してもらいました」
ラージ・アンサンブルに類する編成で演奏された楽曲はアルバムに4曲あり、どれも6分前後の長さ。だが聴いた人のほとんどはいい意味でその倍以上の長さを体感するはずだ。映画のように起伏が激しく流れるように進んでいく曲構成には、たしかなストーリー性がある。
「今回収録した曲は作りためていたものがけっこうあるのですが、せっかくレコーディングできるんだったら自分がやりたい編成でという気持ちがありました。ラージ・アンサンブルは毎日演奏できる種類のものでもないですし。曲は、作品としての統一感を持たせつつ、同じセクションを繰り返さないで展開させたいという考え方で作曲しています。だから私の曲について“この曲のこの部分が好き”“ここからの流れが好き”と言ってくれる人がけっこういるんですよ(笑)」
地元仙台の大学院で臨床心理学を学ぶはずが、偶然の連続で入学直前にバークリー留学が決定。在学中に作曲した楽曲で数々の作曲賞を受賞し首席卒業。エレクトーン教室出身で、吹奏楽や軽音楽部で楽器を演奏していたものの、ジャズに携わったのも大学3年と遅く、そもそもプロの音楽家になるつもりもまったくなかったという彼女のコンポーザーとしての土壌は、バークリーで学ぶことによって急速に固められたと言ってもいいだろう。そのプロフィールで目を引くのはジャズ作曲科と並行して専攻した映像音楽科と副専攻のゲーム音楽科だ。
「ゲーム音楽科は、それまで音ゲーとかをやっていた程度だったのですが授業内容の概論みたいなのが面白かったので選びました。実際の授業では、たとえば花畑のシーンでどんな音楽が鳴っているかでその場の雰囲気が決定できるとか、あとはプレイヤーの動きに合わせて反応するインタラクティヴな音楽の作り方とかが印象に残っています。ゲーム音楽科にかぎらずですが、日本のゲームをふつうにアメリカ人が知っていたりするので、そういう状況を見て逆に日本の音楽は外からどういうふうに捉えられているんだろうと考えるようにもなりましたね」
ゲーム音楽科で学んだ経験も感じられる楽曲「Pa・Ta・Ra・Pa・Pa」の演奏がYouTubeに上がっている。今後こういうテイストの作品がアルバムの形にまとまるかどうかはわからないが、彼女がバークリーで吸収したものを想像するきっかけになるだろう。映像音楽科についても訊いてみよう。
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「バークリーではフィルム・スコアリングという名称でしたが、“フィルム”は映画にかぎらず映像全般です。ゲーム音楽科の場合と同じで、音楽がそれ以外のものと組み合わさった時にどうなるんだろうということや、映画や映像につける音楽、ということに興味があったので選択しました。あとは、それまで音楽作りに際してパソコンを使ったことがほとんどなかったので、そのあたりも学びたいなと」
アルバム『Crossing Reality』を聴くと、彼女の音楽のいい意味での“ジャンル感”の希薄さとジャズ以外の音楽ファンにも広くアピールするだろうポップなフィーリングを感じとれる。秩父英里ワールドとしか言いようのない、自由でのびやかな音がそこにある。
「バークリーは行ってみたら作曲科だけで5つくらいあるし、エンジニアリングとかセラピーとかほんとうにいろんな学科があって音楽の総合大学という感じです。まずそこで音楽広っ! と思いました(笑)。私は“音楽だけをずっと続けてきた”というバックグラウンドはないのですが、日本やアメリカでの経験を通して、ジャズやほかのジャンル / 分野の意識みたいなものを感じ取ったり、音楽そのものの自由なところも見えていったような気がします。あとは、ジャズ作曲科ではどの先生も自分のオリジナリティは何なんだという話をしていて、それならとにかく自由に書いて、それがどう聞こえるかってことをやってみればいいんじゃないかと考えるようになりました」
現在彼女は故郷の仙台市を拠点に活動し、ライヴ活動と並行してCM(本作収録「green and winds」〈NEXCO 東日本〉、「THE VENDING MACHINE - with DRINK music」〈サン・ベンディング東北〉など)、ゲーム音楽、朗読劇など驚くほど多様な媒体に楽曲を提供している。このデビュー作『Crossing Reality』はそんな彼女の多才ぶりのショウケースのようなアルバムにもなっている。次はいったいどんな音楽を作ってくれるのか、“のびしろ”が果てしないコンポーザーだ。
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たとえや言葉のチョイスのセンスなども含め、インタビューを通して彼女のとても明るく親しみやすい性格を感じられた。妥当な表現かどうかはわからないが、ときどき“ふつうの若者”と会話しているような錯覚もおぼえた。そんな彼女のキャラクターは音楽にもよく表れていて、それはとくにライヴで発揮されるように思う。
9月8日に東京 丸の内 COTTON CLUBで行なわれるアルバム発売記念ライヴはもちろん本作の参加メンバーを中心としたラージ・アンサンブル編成で、同じくReBorn Woodレーベルからアルバムをリリースしている曽根麻央(tp)の参加も要注目。「たんに指示を出すだけでなく、みんなと一緒に音楽を作り上げている感じ」という秩父の指揮も見ものだ。自由で楽しい秩父英里ワールドをぜひ体感しに行こう。
取材・文/オラシオ