ボディの中央に共鳴板が配された特徴的な見た目をもつドブロ・ギター(リゾネーター・ギター)を片手に、ブルースをはじめとしたルーツ・ミュージックに根ざした音楽を奏でる
Chihana が、前作
『RED and BLUE』 から約3年ぶりとなる3rdアルバム
『Blue Moon Saloon』 を10月19日にリリース。カントリーやフォークの要素を色濃く取り入れ、前作よりもさらにポップな仕上がりとなっています。
アルバムのリリース後、9月から11月にかけてアメリカを横断しながら各地でライヴを行ない、“ホンモノ”の風景を体験してきたという彼女に、ユニークな出自や今回の作品についてたっぷりと話を聞きました。
――HP のプロフィールを読んでまず驚くのが、 〈2003年高校入学と共にロックバンド「むらさき」結成。ギタリストデビュー。(中略)2005年、自主リリースと共に、惜しまれつつバンドは解散。行き場を無くしたギタリストは、間もなくして、加藤義明 (ex.村八分 )氏とのデュオで活動再開。〉 っていうところで。 「いきなりきたなって感じですよね(笑)」
――むらさきっていうバンド自体が村八分のコピー・バンドだったんですよね。
「そうですね。むらさきをやってる時点で、もうよっちゃんとは知り合ってて。16、7歳のときですね」
――ファーストチョイスが村八分のコピーっていうのも凄いです。
「ベースをやってた女の子が、これやりたいって持ってきて。私は洋楽ばっかり聴いてたので知らなかったんですけど、こんなのあるんだって」
――そのときはギターに専念?
「そうですね。歌いたくなかったです。ギターだけ弾いてる人がカッコいいなと思ってて。
X JAPAN の
hide とか」
――どちらかというと、激しめの音楽を聴いてたんですね。
――いわゆるギター・ヒーロー的なものに憧れていた。
「
エース・フレーリー みたいな感じにずっとなりたくて。だからバンドを解散してからも、私がギターだけを弾くバンドを作りたかったんですけど、うまくメンバーが見つからなくてっていうときに、よっちゃんが一緒にやろうかって言ってくれて。もともとよっちゃんは弾き語りをやってたので、私がそこに入るって感じで」
――……よっちゃんっていう呼び方にもややビックリしてはいます。
「孫って言うか、介護っていうか(笑)。よっちゃんも自分で言ってますけど。もう10年以上の付き合いですからね」
――ははは(笑)。出会いはどういう形だったんですか?
「私がバイトしていたところの常連だったんですよ。最初は常連だっていうことは知らなかったんですけど、店の人に教えてもらって声をかけて、ライヴに来てもらって。不思議ですよね」
――設定がむちゃくちゃですね(笑)。
「私もヘコヘコしたりしなかったから。あの年代の人ってそういうふうにするのを嫌がる感じがあるから、いいなって思ってもらえたんだと思います」
――加藤さんとデュオでやるようになって、いわゆるリゾネーター・ギターを手にしたんですか?
「そうですね。最初はエレキで弾いてたんですけど、18くらいのときに、最初のリゾネーターを譲ってもらって。そこからずっとですね」
――こういう音が欲しいから弾いてみてよ、みたいな感じで?
「いや、それもバイト先のマスターが持ってて。こういうギターを弾いてる女の子いないからおもしろいかもよって譲ってもらいました」
――環境がちょっと……。
「特殊ですよねぇ。おかしいんですよ。もともと、音楽一家なんですよね。スタートがロックとかパンクとかで、よっちゃんの影響でそこからどんどん遡って、カントリーとかブルースとかに入っていった感じですね」
――なるほど。そこから2009年に1stアルバム『sweet nothings』 をリリースすることになるんですが、プロフィールには 〈この頃より、メインギターは'70 Dobro社製リゾネーターに。(生前の加藤和彦 氏より譲られたもの)〉 って記述があって。これもまた、急な話ではあるなと。 「
Tom's Cabin っていう、
エルヴィス・コステロ とかを日本に呼んだり、〈SXSW(サウスバイサウスウエスト)〉なんかにも関わっているところのヘッドの人が1stを聴いてくれて、加藤さんに紹介してくれたみたいで。加藤さんがちょうどそのときにバンドを、実質的には最後になった
VITAMIN-Q をやっていて、ライヴがあるからオープニング・アクトをやってほしいと言われて」
――それが渋谷AXだった。
「そうなんです。同じ日に吉祥寺の曼荼羅でライヴだったんですよ。だから、AXでオープニング・アクトをやってから曼荼羅でライヴやって、そのあと打ち上げでAXに行くという1日で。そのときに、加藤さんがギターを楽屋に置いてくださっていて。加藤さんとはそれが最初で最後だったんですけど」
――AXから曼荼羅っていうはしごもなかなかできることではないですね(笑)。
「そのときは、私も若かったのでなんにも考えてなかった。すごい現場だったんですけどね」
――だからこそ、物怖じすることもなく。
「だと思います」
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――『Sweet Nothings』というアルバムの作風も含め、ドブロギターって聞くとどうしてもブルースをやってる人だというイメージが強くなるんですが、2nd『RED and BLUE』、今作と、ポップな色合いが強いですよね。
「そうですね。2ndくらいから個人的にカントリーとかフォークとか、そういう白人音楽のほうが好きになってきて。もともとは、ポップな音楽がすごい好きなんですよ。ラモーンズとか」
――“ポップな音楽”の象徴がラモーンズなんですね(笑)。
「ああいう漫画みたいな、というか。自分がやる音楽も、どんなにマニアックなことをやっていても、そういう要素がないといけないなっていうことを考えるようになって。今回もそうですね」
――意識して、ポップなものを取り入れて。
「でも、普通に作ってそうなるので、自分のなかにあるんだと思います」
――ドブロの弾き方も、いわゆるドブロっぽい硬い音というよりも、どちらかというと柔らかい感じですよね。
「コテコテにはしたくないですね。そういうことをやる人はいるので、自分は媚びるじゃないですけど、もうちょっと大衆的なことをやったほうがいいのかなと」
――今回のアルバムには加藤和彦さんの「光る詩」や平野愛子 さんの「港が見える丘」のカヴァーが入っていますが、そういう歌謡曲的なものも取り入れつつ。 「〈光る詩〉は、いただいたギターで弾きました。歌謡曲は、ここ2〜3年でよく聴くようになったんですよ。あまり古いものはわからないんですが、70年代のものを。自分が曲をたくさん書くようになったから、構成がどうなっているかとか、どういう音が入っているかとか、そういう視点でも聴いてて。すごくクオリティが高くて、いろいろ発見がありました」
――多くがビッグバンド編成になっていて、サウンド的にもすごく凝っていますよね。あの時代は、アニメとか特撮のサントラもすごい。
「今より録音技術はないはずなのに、本当に手抜きなしですよね。作詞する人、作曲する人、演奏する人、歌う人、全部が一流」
――でもそういった歌謡曲も、Chihanaさんがやると土臭い感じがするんですよね。
「よく言われます(笑)。自覚はないんですが……」
――「港が見える丘」に関しては、ドブロは使ってないわけじゃないですか。
「アルバム通して、じつは2〜3曲くらいしか使ってないですからね。気持ちとしては、ルーツ・ミュージックを織り交ぜたいっていう部分は持っているんですが」
――土臭い感じは聴いていてひしひしと感じますが、ルーツ・ミュージックとはなんなのか、という話にもなりますよね。広い意味を持つ言葉ですし、歌謡曲にもそういった部分はあるのかもしれない。
「そうなんですよね。私はアメリカの古き良き音楽がいちばん好きなので、そういうものをベースに置いて、自分がやりたいポップな感じを乗せていく、というスタイルで。カントリーとかブルースっぽいのをやりたいっていうのはあるんですけど、そういうことは関係なしにいい曲を作っていきたいですね」
――「夢だったみたいに」とか「Good Good Times」とか、メロディとしては本当にポップなものですよね。音作りという面ではなにか意識したことは?
「アルバムやレコ発ライヴでは安定の、なにも心配しなくていいっていうメンバーに参加してもらったんですが、ひとつの方面で固めたくなかったんですよね。ギターの
山口玉三郎 さんとかペダルスティールの
尾崎博志 さんはカントリーの人なんですけど、ベースの
櫻井陸来 は私が前にやってたバンド(The Chihanna)のベースで、アメリカン・ルーツは全然通ってない。そういうミクスチャーにしたほうが、ベタじゃないのができるかなと思って。とくに〈夢だったみたいに〉はロックっぽくしたかったので」
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――アルバムをリリースしたあと、アメリカ横断ツアーをされていたんですよね。横断しながら、その土地土地でライヴをやって?
「いや、ライヴはニューヨーク、ナッシュヴィル、サンフランシスコで2本、LAで3本くらいですかね。バーでやったりとか、ゆるい感じのもあったりして。メンフィスとかは観光に近い感じだったんですけど、ほんとに素晴らしかったですね。間違いない感じ。全部ホンモノだし、感動しました」
――お客さんの反応も上々で?
「すごい感激してくれて。こんな見た目の日本人がドブロ弾いて、っていうのがかなり珍しかったとは思うんですけど」
――間違いなく、インパクトは抜群ですよね。とはいえ、音楽の種類としてはアメリカでやるっていうのがいちばん自然な形に感じます。
「向こうでやったほうがウケるとはずっと言われてましたし、本当に有意義でしたね。日本と同じ形でやるっていうのは難しいと思うんですけど、向こうのカルチャーには昔から憧れがあるし」
――アメリカでライヴをやったのは初めてなんですか?
「手ぶらでは行ってたんですけど、ちゃんとしたライヴは初めてでした。だから今回はセッションしたりして」
――向こうのミュージシャンに演奏してもらったりしても、おもしろそうですよね。
「レコーディングもしたいなと思ってます」
――街中でも、こういう音楽をやってる人は多いんですかね?
「西海岸はすごい多いと思います。サンフランシスコとかLAとか、リベラルなエリア。街のライヴハウスとか酒場とかは、毎週何曜日にこの人がやってます、みたいな感じなんですよね。毎晩誰かしら出てて、投げ銭でやってるから、気軽に見に行ける。西海岸のほうがやりやすい感じはしましたね」
――W.C.カラス さんとツアーで九州を回ったりと、シーンでのさまざまな繋がりもあるみたいですね。 「そうですね。カラスとは去年と一昨年もツアーをやっていて」
――W.C.カラスさん自身は、かなりブルース色が強めなアーティストですよね。
「そうですね。もちろんブルース大好きなんだけど、私がやりたいポップなものもすごくわかってくれて。カラスも歌謡曲を歌うし、考え方が一緒で。もちろん歌も素晴らしいですし、心からいいなと思ってる人です」
――ライヴで共演して、それから繋がっているんですか?
「私のCDを買って、ずっと聴いていてくれたみたいなんですよ。知り合った後に“ファンだったんですよ!”と言われて。カラスが東京でライヴを頻繁にやるようになって、私と一緒にやりたいって言ってて、そこから。今回のアルバムも聴いてくれて、アメリカの昔の音楽をこういうアプローチで、しかもヴォーカルスタイルもポップス寄りの歌い方でやってるのを素晴らしいって言ってくれて。大変救われました」
――救われた、ということはやはり葛藤もあったんですかね。
「もともとコテコテにやりたいとは思ってないんですけどね。ただ、こういうやり方が嫌いな人もいるだろうし、期待して買ったのに歌い方がポップスっぽいって思ってる人もいるでしょうけど……」
――ブルースだったりルーツだったり、ということよりも、好きなことをやっているという感じですよね。
「好きなことをやるというのがいちばんですね。そのなかで、こういうブルースとかルーツ音楽をやってる若者がいるんだって思ってくれて、それが広がれば一石二鳥というか」
――カラスさんとのツアーは、毎年恒例という感じなんですか?
「1年に1回はやろうっていう感じで。じつは、WILD CHILLUNっていうバンドも一緒にやってるんですよ。
夜のストレンジャーズ のドラムのテッちゃん(宮坂テツオ)と、
アンジー の岡本(有史)さんと4人で。完全にエレキでロック・バンドで、これまで2回くらいライヴやってるんですけど。それも、来年やる予定です」
――影響を受ける部分もあるんじゃないですか?
「ありますね。演奏もですけど、カラスはすべて自然体なんですよね。喋ってるときも無理がないっていうか。だから、こっちも無理なく居られる」
――先ほどのエピソードも聞いていると、そう感じるのはChihanaさんの距離感の取りかたもありそうな気がしますけどね。
「そうですね。目上の人だからってビビッたりしちゃうとずっと一人だと思うので。入りがよっちゃんですからね(笑)」
――相当に脂っこいところを通ってきてますからね(笑)。世代的には下の人も出てきてるんじゃないですか?
「出てきてますね。対バンして、年齢を聞いて、平成生まれ!?みたいな。私はギリギリ昭和なんですけど、まぁそういう年だよなと思いますね」
――全然若いんですけどね(笑)。ルーツ・ミュージックの取り入れ方の感覚もだいぶ違うでしょうからね。
――ポップスの手法としては昔からあったことかもしれないですが、西野カナ さんとかもカントリーっぽいサウンドを取り入れて、大ヒットしたりしてますからね。 「いいことですよね。受け入れられやすくなってきてるなとは感じます」
――たしかに。Chihanaさんとしては来年以降、どういった音楽に向かうんでしょうか。
「前作、今作とポップなことをやるのに成功したかな、と個人的には思ってるんですけど、次にどっちにいこうかなっていう(笑)。アイリッシュっぽいトラッドなものとか、いろんなジャンルでやりたいことがあって。そういう風にするかは別として、新しい感じにできたらいいなとは思いますね。あとは、アメリカで本格的なツアーをやりたいです」