ポリスのギタリストとして知られる
アンディ・サマーズが新バンド、
サーカ・ゼロ(CIRCA ZERO)を結成した。レスキューズのロブ・ジャイルズをシンガーに迎えたこのバンドは2014年3月、アルバム
『サーカス・ヒーロー』でデビューを果たしたが、アンディにとってひさしぶりにロックに向かいあう作品となっている。
近年はジャズ、アンビエント、ボサ・ノヴァなど、自由な表現を行なってきたアンディが2014年、ロック新世代に問う。
――サーカ・ゼロはどのように始まったのですか?
「ポリスのワールド・ツアー(2007〜2008年)が終わって、ホーム・スタジオでいろんな曲を書き始めたんだ。1年ぐらい一人でやっていたけど、ひさしぶりにロックの魅力を再確認したこともあって、ロック・テイストのある曲が多いことに気付いた。そんな時たまたま、友人がマネージャーをしているレスキューズのライヴを観に来ないかと誘われたんだ。4人のヴォーカル・ハーモニーや、それぞれが曲ごとに担当楽器を取り替えたりするのがユニークで、素晴らしいと思った。それからしばらくして、レスキューズのロブとたまたま会って、いろいろ話すうちに意気投合したんだ。その時期、私はかなりの曲を書きためていたけど、自分で歌うことには躊躇があった。そうしてロブとスタジオで一緒にやってみたことで、パズルのすべてのピースがピッタリはまったんだ」
――『サーカス・ヒーロー』はポリス以来、ひさしぶりにロック路線に向かった作品ですが、どんな方向性を志しましたか?
「ロックをやるという以外、方向は定めないことにしたんだ。作為的になることは避けたかった。ロック・アルバムだという点でポリスと共通しているし、自己模倣する気はなかったけど、避けて通ろうともしなかった。私がギターを弾いているんだから、ある程度似てしまうのは仕方ないだろう?〈サマー・ライズ〉のギター・サウンドは若干ポリス的だし、クリーンなジャズ・テイストもある」
――「セイ・グッドナイト」「アンダーウォーター」のレゲエ風カッティングなども、ポリスを思わせるものがありますね。
「そうだね。ただ、サーカ・ゼロの方が、よりロックしていると思う。エッジのある、ドライヴ感があるよ。まあもちろん、
フー・ファイターズや
クイーンズ・オブ・ザ・ストーン・エイジみたいなヘヴィな音楽をやるつもりはなかったけどね。それに『サーカス・ヒーロー』はポリスが作ったどのアルバムにもひけを取らない内容だ。まったく捨て曲がなく、最初から最後までエキサイティングな作品だし、2014年という時代において、かなり強力な部類に入るロック・アルバムだ」
――ロブ・ジャイルズとの共演はどんなものでしたか?
「ロブはポリスを聴いて育ったし、最初は少し緊張していたみたいだけど、すぐ打ち解けたよ。声質、フレーズ、タイミング、すべてが私のスタイルとぴったり合った。彼とは最高のパートナーシップを築けると思う。もう一度世界を獲るには少しばかり歳をとっているかもしれないけど、ポリスを結成したときだって“30代のおっさんが若者ぶっても成功するわけがない”って言われたんだ。今回もできない理由はないだろ(笑)?」
――1960年代、あなたが弾いているのを見て、エリック・クラプトンもギブソン・レスポールを弾くようになったのは有名なエピソードですが、『サーカス・ヒーロー』ではかなりレスポールを弾いていますね。 「うん、アルバムで主に弾いたのはフェンダー・ストラトキャスターとギブソン・レスポールだった。そう、私がレスポールを弾いているのを見たエリックが羨ましがったんで、“俺が買った楽器店にもう1本あったよ”と教えてあげたんだ。そうして彼が弾いたことで、レスポールはブリティッシュ・ブルースを象徴するギターになった。その後、エリックが
クリームを結成した頃に彼のレスポールが盗まれてしまったんで、私のを売ってほしいと言ってきたんだ。けっこうな値段を提示されたんで売ってしまったけど、今じゃヴィンテージもののギターは凄い値段だから、ちょっと後悔しているよ!」
――1970年代後半から80年代前半、ポリスではレスポールは弾いていましたか?
「いや、弾いていない。初期はテレキャスター、後期は赤のストラトがメインだった。フェンダーの乾いた音の方が、ポリスのサウンドに合うと思ったんだ。〈ネクスト・トゥ・ユー〉ではレスポールJrでスライドを弾いたりもしたけどね。ただ、ホーム・スタジオにはつねに1、2本レスポールがあるし、素晴らしいギターだと思うよ。『サーカス・ヒーロー』では3本のレスポールを弾いているんだ」
――『サーカス・ヒーロー』では多くの曲中でギター・ソロがフィーチャーされていますが、ソロについてこだわりはありますか?
「ギター主体のロック・アルバムなんだから、やっぱりソロがなくちゃね! ライヴでもソロを弾くと観客みんなが盛り上がるし、私自身も楽しんでいるよ」
――ポリス時代には意図的にギター・ソロは控えていましたか?
「私自身よりも、周囲があまり良い顔をしなかったな。1970年代、パンクがイギリスを乗っ取っていた3年間、ギター・ソロはクールではなかった。そんな時代にポリスはデビューしたんだ。パンクの全盛期、私たちはテクニックを隠して活動していたんだよ。ただ、私は初期からステージではソロを弾いていたし、後期になると、ポリスはパンクより大きな存在となっていた。誰が何と言おうと、気にせず自由に弾いていたよ」
――ポリスの活動休止以降、ロック・バンドから距離を置いていたのは何故ですか?
「私は世界最大のロック・バンドにいたんだ。その二番煎じをやることには意味がなかったし、別のことをやりたかった。あれほど理想的なバンドを見つけることができるとは思わなかったんだ。それで自分のギタリストとしての可能性を追求することにした。でもそろそろ、自分の楽しみのためにロック・バンドをやってみてもいいと思った。ポリス再結成を経たことで、ロックの興奮を思い出したんだ」
――サーカ・ゼロとしてライヴは行なっていますか? 今後の予定は?
「ロサンゼルスで2回、それから去年10月に上海で2回ライヴをやった。上海では〈ロクサーヌ〉〈孤独のメッセージ〉〈見つめていたい〉も演ってみたよ。ロブがどの曲も歌詞を知っているのに驚いたけど、彼は“当然でしょ?”って顔をしていた。今年も中国をツアーする可能性があるし、その流れで日本でもライヴをやりたいね。サーカ・ゼロでは長期的な活動を考えているんだ。もう新曲を書き始めているし、20曲ぶんのアイディアがある。何枚もアルバムを出して、世界をツアーするつもりだ。バンド以外でもヴィジュアル・アーティストのラルフ・ギブソンが手がけるバレエの音楽を書く予定だ」
――71歳にして新たなスタートを切るわけですが、その活力源は何でしょうか?
「“その歳まで音楽を続けられる秘訣は?”とか、よく訊かれるんだ。秘訣なんかないよ。好きなことをやっていたら、この歳になってしまった。もし秘訣があるとしたら、音楽に対する情熱を失わないことだろうな。そして何より、健康でいることが大事だ。まだしばらく音楽を続けるつもりだから、覚悟してほしいな(笑)」