2007年に行なわれたスケート・ブランドのパーティ・イベントで突然再結成した
COKEHEAD HIPSTERS(コークヘッド・ヒップスターズ、以下CHH)が、12年振りとなるミニ・アルバム
『FREE NOT FREE』をリリースした。多くの人々に“伝説的ミクスチャー・バンド”と称される彼らは、旧作と変わらないシニカルなポップ・センスで彩られた新しい音源を届けることにより、“過去の賞賛”を軽やかにぬりかえることだろう。CHHの再始動〜新作について、ヴォーカルのKOMATSUに話を訊いた。
――すでに再結成してからだいぶ時間が経っていますが、きっかけはなんだったんでしょうか?
KOMATSU(以下、同) 「ベースのKOBAが、スケート・ブランドのSKULL SKATES JAPANと付き合いがあって、“ちょうど13周年のパーティが岐阜であるから、CHHやらない?”って言い出したのが最初。ローカルでやるのは渋いかなっていう感覚もあったよね。海外のバンドで"金目当て"を自称する人たちが最近わりと多いじゃん。現にうちらはそうじゃないし、みんな仕事を持ちながらまたCHHを始めたわけだし、大々的にどーんと再結成するようなやり方はそんなにかっこいいとは思えなくてね」
――当初は岐阜でのイベント、一回限りの再結成だったんですか?
「それ、誤解されてるんだけど、気持ちの上ではちゃんとやるつもりであの時は集まってた。どういうタイミングでやっていくかっていう具体的なことはまだ決まっていなかったけど」
――CHHの一番最初のスタート、そもそもの結成はどんな経緯だったんですか?
「俺らは基本的にバンドをやっていた人たちではなくて、もともとクラブで遊んでた友人同士で。やれ
クラッシュみたいなバンドを、
オペレーション・アイヴィーみたいなバンドをやろうとかではなかったんだよね。コピーもやったことないし。プロ(メジャー)意識はとても薄くて。“今、ない音楽をやろう”っていうのがそもそもの動機」
――3枚のフル・アルバムを残して1999年に解散してしまいますが……。
「解散したのは“これ(CHH)で喰っていくのか”っていうことと向き合った結果で……。俺らはそういうつもりじゃなかったんだよね。バンドを仕事にして飯を食うと、もっと違うものを背負うことになるし、CHHとしての音楽性はやりきったっていう満足感もあった」
――解散してから、KOMATSUさんは
NIAGARA 33を始めるまでは音楽的な活動はしてなかったんですか?
「うん、そうだね。やめてからしばらくはライヴ・ハウスにも全然行かなかったしねぇ」
――CHHとNIAGARAはバンド内の雰囲気が違っていたように見えましたが、KOMATSUさんにとってCHHの活動はどう違いますか?
「CHHの方が楽。……っていうか違うな、もっと深いね。どっちが楽しいとかはないんだよね。これもよく誤解されているけど、CHHが再結成したから、NIAGARAをやめたわけではなくて、完全にメンバーの一身上の都合で解散ってことになってしまったからね。俺は並行してやっても良かったんだよね」
――CHH再結成とNIAGARAの解散が影響しあっているわけではない、ということですね。CHH音源を旧作から一通り聴いてみて感じたことなんですが、CHHは“ミクスチャー”“スカコア”って言われていることが多いけど、ミクスチャーはあくまでも90年代初頭に言われていた“ミクスチャー”であって、いわゆるラップ・メタル的なアプローチのバンドを指す、今のキッズたちがいうミクスチャーとは違いますよね。スカコアにしても、あくまでも“ミクスチャー”からのスカへのアプローチ、というスタンスだし。
「当時、スカコアが出てきたのはもうちょっと後の方だもんね。“ミクスチャー”っていう言葉もなくて。決まりごとがあるわけではなくて、あくまでもいろんなスタイルが混ざってクロスオーヴァーしたものをミクスチャーと呼び始めたんだろうね」
――解散後、これまでCHHがいなくなったポジションを埋めたバンドっていないな、と思って。
「“オンリーワンでなくてはならない”と思っていたし、それが一番カッコいいと思って進めていたし、いまでもそれは変わらないね。同じようなことやってる人たち、確かにいないんだよねえ。いたら俺ら出る幕ねーなって、再結成しなかったとも思うけど」
――CHHはパンクやスカ、ハードコア、それにメタルなんかをマニアックなものとしてではなく、全て並列に“ポップ・ミュージック”として受け止めて、吸収していると思うので、そのセンスを真似することは難しいんじゃないかとも思います。
「できあがった作品は常に“コークヘッドっぽい”って言われがちかも。いい意味で受けて止めてもらえれば、幸いです」
――解散していた期間があったとはいえ、これだけ長い間活動していたバンドの音源なのに『FREE NOT FREE』は、貫禄のある音、こなれた音が一切なくて。荒っぽさや熱さがそのまま残っていたのが印象的でした。
「曲作りをする時に難しいテクニックを、無理に自分たちの音に取り入れようとしたりはしていないこともあるし、よく言ったらブレてないってことなんだね。ブレないっていうのはうちらのキーワードだね。むしろ自分らの路線を忠実に守る方が、オレらにとってはイージーなのかも知れない。新曲があってバンドの生存も明らかにされるだろうし、過去の曲にすがって活動するのはすごく嫌だったし」
――たとえば1曲目の「I KNOW TOMORROW」は再結成以前からの印象通りのいかにもCHHらしい曲展開、遊びが感じられましたが、ラスト5曲目「YOU HAVE EVERYTHING」はいわゆる“ミクスチャー・ロック”の王道といってもいいような……あえて言うならば
レッド・ホット・チリ・ペッパーズを思わせる曲で、驚きました。
「あれは敢えてそういうところを狙って作った曲です。再結成するにあたって、ああいうことを俺はやりたくて。ああいう音楽……なかなか聞かないでしょ?(笑)
『ブラッド・シュガー・セックス・マジック』とか、あの頃のチリ・ペッパーズの音ってイージーに出来ないんだよ。そりゃ当時の俺らも、チリ・ペッパーズはもちろんアイドルだから意識はしてたけど、本当に上辺だけだった。今回はちょっとは“DIG”出来たような気がする。あのチョッパー・ベースとかグルーヴがある感じは俺らに言わせると大穴で。KOBAのケツ叩いて“やれ! やれ!”って。あの曲が出来たことが自分にとってはほんとに嬉しい。いい意味で年を取れたって思った」
――1993年に発表されたCHHの初音源、
SNUFF「THAT'S ENOUGH」のカヴァーが2009年、SNUFFとのスプリット盤につながったことや、スケート関連イベント、野外フェスへの出演など、解散前と再結成後、リンクしながらもより発展した形であらわれてることがいくつかあるな、と感じました。
「そう言われると確かに初心にもどりつつ、スケール・アップしてるかも。サウンドだけじゃなくて、活動のスタンスもブレてないんだね……(自問自答)。そんなスタンスごと理解してもらえたら本当に嬉しいです」
――今後の活動はどうなっていきますか?
「『FREE NOT FREE』のレコ発ライヴを終えて、実はまたレコーディングに入ります。今回のCDを焼かずに買ってくれた方! そんな愛情のある方限定に、ささやかなサプライズを用意しました。簡単に説明すると、今回のCDはコンセプト・アルバムです。CDケースは2枚入りなのに、盤が入ってるのは新譜の1枚だけ。“もう1枚、何入れるんだろう?”と思うのは当然。この機会にもうひとつの兄弟バンド、“カバーヘッド・ヒップスターズ”を立ち上げました。このCDはライヴ会場とCHHのオフィシャル・サイト(
www.cokheadhipsters.com)だけで買えます。実はこのCDをゲットしてこそ、コンプリートできる“2枚組”アルバムなのです。CDをコピーした人にはできない達成感を感じてもらいたいですね(笑)。こんな企画を用意しております。このCDのレコ発は4月2日(金)に渋谷O-NESTで決まっているんだけど、対バンは、なんとCHH(笑)。いわば裏ワンマンですな。……だからこの日までに、カバーヘッドのレコーディングを頑張って完成させます。一足先にWEBで売れるか? 当日現場で売るかはまだ未定です。そしてこのCDを握りしめて地方ライヴも行きます。さらにこの先の秋にも“仕掛け”を用意してあります」
取材・文/服部真由子(2010年1月)