聴覚の記憶を辿り直すことを未知の音場の構築に結びつけてゆく。それは様々な場面で様々な人が成してきたことである。
デヴィッド・シルヴィアンは記憶の奥を幾層も巡ってゆく旅路の中でこれまでに幾多の未知を提示し開拓してきたが新作
『マナフォン』は完全な即興演奏によるトラックを聴きそこで歌を湧き立たせることで作り出された。恐るべきことである。直感を研ぎ上げていくことで出現する歌。
大友良英や
フェネスらの紡ぎ出し発光させた音はゆらめき膨張し淡く溶けてゆきもする。音の中に分け入ってゆくシルヴィアンは過去も未来も現在も区別のない柔らかい歌の空間を鮮やかに切り開いてみせた。これも重要な音楽の未来である。
――まず最初に、どのように考えてこのアルバムの制作に取り組み始めたのですか?
「これまでの作品では、スタジオに入る前の段階で自分の中に描かれた感情の風景のようなものがあって、それをガイドラインとして作品をどのような方向に持っていきたいか考えていく、というアプローチを取っていたけど、今回のアルバムは違う。ただ自分の直感に従って、湧いてくるアイディアをとにかく試してみたんだ」
――ずいぶんと制作期間が長かったようですが、その原因は?
「単純にいろいろなプロジェクトに参加していて、同時進行だったから。
ナイン・ホーセスのアルバムや
『ウェン・ラウド・ウェザー・バフィッテッド・ナオシマ』、ほかにも制作期間が限られているものがあったから、それらを作っている合間にウィーンや東京で『マナフォン』のセッションのレコーディングを行なっていたんだ。けれど、その度に集中してやっていたから、合わせた期間は実質2ヵ月くらいかな」
――曲作りはどのように行なわれているのですか?
「曲作りのプロセスは前作の
『ブレミッシュ』と『マナフォン』で大きく変わったよ。“オートマティック・ライティング”と言って、トラックを聴いてまず思い付いた歌詞やメロディを同時に作っていくんだ。だから、一曲の歌詞とメロディを作ってレコーディングし終わるまでわずか2〜4時間くらいで済んでたよ。僕なりの即興的な作曲法だね」
――先にメロディを作って、サウンドのイメージを演奏者に伝えた曲はありますか?
「ないです」
「そうだね。『ブレミッシュ』の曲は素材としていろいろなことに順応できる可能性を感じていて、今後のコラボレーションも意識した上でアーティストがどのように仕上げるか見たい、という実験的な作品だった。たとえばバーント・フリードマンとはとても上手くいって、その後も一緒に曲を作っているし、さまざまな役割を果たした作品だったよ。『マナフォン』に関してはリミックス・アルバムを出すかはまだわからないけれど、いくつかのトラックでストリングのアレンジを担当した藤倉大が、それらのトラックをリミックスしていたりして、そのアイディアから広げてオーケストラでアレンジするのはおもしろいと思う。『マナフォン』で何かをするならば、リミックスよりそっちのほうかな」
――リミックスされた音源にまた新たに歌詞を付ける、などということもありえますか?
「リミックスはほかのアーティストが自分の作品をどのように解釈するかだから、それはない。
池田亮司のリミックスなどは素晴らしかったけど、それはすでに原曲とは異なるものであって、一度手から離れた作品に再び踏み込むことはないね」
――『マナフォン』でのヴォーカルは聴き手との距離が非常に近く、全体のヴォーカルの位置づけがエルヴィス・プレスリーなど、たとえば50年前ぐらいの録音物に似ていると感じました。 「たしかにそうだね。もちろん昔のものだけでなくいろいろな音源に影響されて、この“距離感”を意識しているけど、昔のようにその距離が近いヴォーカルが最近の音楽ではあまりないことが残念だよ。スポークン・ワードにも似ている部分はあるかもしれないけれど、自分ではまったく別のものだと思っている。スポークン・ワードは先に詩が存在していて、すでに世界観が出来上がっているのにも関わらず、後から音楽を流す必要が果たしてあるのだろうか? 本当に詩と音楽は融合しているのだろうか? という思いも『マナフォン』には込めている」
――アルバム全体を通して、ヴォーカルは歌っている感じがするのですが、“語る”という形で曲にしようと思った曲はありましたか?
「どの曲でも“語る”という形になる可能性はあったと思うけれど、トラックと対面したときに何がベストかって考えた結果、こういうヴォーカルになったんだ。何度も歌い直してハマるヴォーカルを探すけれど、自分を少し抑えたほうがだいたいちょうどよかったりする」
――今回参加しているアーティストはどのように選択したのですか?
「90年代半ば〜後半にかけて、即興音楽にもエレクトロニックやミニマルな要素を取り入れた新たな若いアーティストが出てきて、ジャンル自体が広がったことによって自分もそれに興味を持ち始めたし、踏み込める余地ができたんだ。みんなの過去の作品も聴いて長年知っていたから、このジャンルで鍵となるアーティストたちを選ぶのは簡単だったよ。即興音楽のアーティストの理念とは基本的に真反対に向かっているシンガー・ソングライターである僕と彼らがぶつかることによって、どっちにも属さない新たな“ハイブリッド・ジャンル”ができたと思う」
――このような作品では演奏者から歌手へ参加を依頼することはよくありますが、このアルバムはデヴィッド・シルヴィアン名義で、歌手であるデヴィッドさんが演奏者を招集しているという点も新しいと思います。
「そこはとくに意識したことはないけれども、たしかにそうかもしれないね。でもこのアルバムに参加してくれたアーティストには本当に感謝しているよ。彼らも新しいものを作ることに積極的に臨んでくれたから仕事がしやすかった。たとえば、クリスチャン(・フェネス)はウィーンのセッションで積極的にほかのアーティストも紹介してくれたりして。そして、みんな自分のセッションが終わったらなんの抵抗もなく僕にその音源を渡してくれる気前のよさ。ヴォーカルを加えて完成したこのアルバムに満足しているかは分からないけれども、それとは別にこのプロジェクトに取り組む姿勢にすごく助けられたよ」
――歌詞のテーマを先に決めているのですか?
「普段はつねにメモ帳とかを持ち歩いて、思いついたことをその場で書き留めたりしているんだけど、今回は極力そういうのに頼らず、トラックを聴いた第一印象で歌詞を書いている。だからこのアルバムのほとんどの曲の最初の歌詞は一回目にトラックを聴いて思いついた言葉がそのまま残っているんだ。曲のコンセプトが見えてくるのも何度か聴き直してからであって、とにかく自分を信じて流れに任せて歌詞を書いていったよ」
――アルバムのタイトルはどのように付けたのですか?
「マナフォンというのはウェールズにある小さな村の名前で、そこに英国国教会の牧師として暮らしていたR.S.トマスという詩人が歩んだ人生にインスパイアされ、クリエイティヴな面とその裏に存在する幻滅的な現実の表現したメタファーとして『マナフォン』というタイトルを付けたんだ」
――ジャケットのイメージはどのように生まれたのですか。
「このアートワークはオランダのアーティストによるもので、たまたま見つけたんだ。まるで心の中の景色を描いたようなジャケットにしたいと思っていて、これを見たときに不思議とイメージと一致したんだ。このパソコンで作られた存在しえない景色が空想的で逆にリアルというか。ちなみに、中のアートワークで僕がうさぎを捕まえている絵があるけど、それは動物を狩るときと同じように、自分が頭の中でアイディアを探す、狩るということを表現しているんだ。自分のレーベルを持つことで、このようにアートワークの方向性や作品のすべてにちゃんと関われるから楽しいよ」
――『マナフォン』の曲をライヴで演奏する予定はありますか?
「今のところはライヴで演奏する予定はないけれど、新たな挑戦としてはやってみたいと思っている。けれど、このような即興で作られた曲なので、もしツアーでもしたら、終わる頃にはまったく違うものに進化しているかもしれないし、構成された曲と即興の両方を行き来できるアーティストを集めるのも大変そうだな」
取材・文/湯浅 学(2009年11月)