アキバから電波ソングを世界にお届けするアイドル・グループ、
でんぱ組.incが、新メンバーが加わり6人組となって、初の両A面シングルをリリース。バンド・サウンドの勢いが全開となったアッパーな
「でんぱれーどJAPAN」と、もう1曲は、なんと
小沢健二の名曲を
前山田健一が強烈アレンジした
「強い気持ち・強い愛」である。アキバ系と渋谷系が2012年に遂に結びついた奇跡。その鍵を握るのは、渋谷系の影響大というメンバーの
夢眠ねむ。彼女独自の目線で渋谷系の魅力についてたっぷりと語ってもらった。
学校で電波ソングを聴いて、フリッパーズを聴きながら帰るって感じでしたね(笑)。
当時は自分のことを誰も分かってくれない、とか思ってたんです。
だからフリッパーズが友達みたいな。
――ねむさんが最初に渋谷系を知ったきっかけは? そもそも世代的にかなり下ですよね。
「そうなんですよ。雑誌で渋谷系のこととか話してるから、もしかして夢眠ねむは40代なんじゃないかって噂が立ってて(笑)。“19歳か43歳のどっちかだよ”って(笑)」
――ダハハハ。今日は40代であることを証明しましょう。
「違います(笑)。19歳だってことを証明します(笑)」
――19ってのも若干引っ掛かりますが(笑)、まあ、話を進めましょうか。
「まず渋谷系を知ったきっかけなんですけど、私にはかなり年上の姉がいて、その影響で聴きはじめたんです。で、この取材のお話をいただいたんで、姉がどういうふうに影響を受けたかっていうのをインタビューしてきたんですよ」
――わざわざお姉さんに。ありがとうございます。
「お姉ちゃんはもともと
BAKUの大ファンで、その流れでメンバーだった車谷浩司さんの
スパイラル・ライフを好きになって、私はまだ保育園に通ってる頃から一緒にスパイラルの<GAME OVER〜魅惑のモンキーマジック〜>とかを聴いてたんですね。で、お姉ちゃんは、塾で出会った友達のお姉さんから
L⇔Rを教えてもらい、メンバーだった
嶺川貴子ちゃんを知り、そこから
小山田圭吾さんに行き、
フリッパーズ・ギターを聴くようになったらしいです」
――後追いでフリッパーズに辿り着いたわけですね。ねむさんもお姉さんの影響で、保育園の頃に、すでに渋谷系の洗礼を浴びてたと。
「そうみたいです。保育園の頃、L⇔Rの大ファンになって、お姉ちゃんにもらったポスターを部屋に貼ってました(笑)。そこがスタートですね。小学生の頃は、お姉ちゃんの部屋に忍び込んでCD棚から引っ張り出していろいろ聴いてました。怒られながら(笑)。だから、お姉ちゃんの部屋のお香の匂いと、フリッパーズのCDが記憶の中で一緒くたになってるんです。でも、“渋谷系”って言葉は大人になるまで知らなかったんですよ。だから全然意識せずに、好きで聴いてたのが渋谷系と呼ばれる音楽だったんです」
――そこから、どういう変遷を辿っていったんですか?
「進学で上京した頃、
かせきさいだぁさんが大好きになったんです。その頃、カフェのお手伝いをしていたんですけど、お店でかかっていたミックスCDに、かせきさんの“アスピリン片手のジェットマシーン”の曲(<冬へと走り出そう>)が入っていて。そこから、かせきさんに異様に深くハマって、とりあえずバファリンじゃなくてアスピリンを買うようになりました(笑)」
――(笑)。物から入るってのは、よーくありますね。
「でも私、普段はそういうことってないんです。もともと誰かに憧れるのってかっこ悪いと思って生きてきたから(笑)。でも、渋谷系周辺のアーティストにはすごく憧れたんです。オザケンとか、かせきさんとか、みんな総じて賢いイメージがあることに気づいて。私、昔から色男とかよりも賢い人が好きで(笑)、そこが惹かれるポイントでしたね。もう、めっちゃドップリハマって」
――その頃に再燃した感じですか?
「というか“分かった”って感じです。ずっとオザケンとか渋谷系周辺の音楽は聴いてたんですけど、それほど深く考えることもなくて。実はネットも進学するまでちゃんと触ったことがなかったんですよ。もちろん40代ではないんですけど(笑)。で、進学して、ネットでオザケンの考察みたいなものを読んだりして、“なるほど〜”って、いろいろ知っていった感じなんです。でんぱ組のメンバーって、みんな引きこもりだったんですけど、私もそうで、しかも結構、言えない感じの引きこもり方だったんです。ホントいろいろこじらせちゃった感じというか。そんなとき、フリッパーズ時代のオザケンの歌詞にすごく共感する瞬間があって。これはあくまでも私のイメージなんですけど、フリッパーズの歌詞って、結構自分のことしか書いてないような印象があって」
――そんな感じにも受け取れますよね。
「当時のフリッパーズのインタビューを読むと、大人をバカにしたりしてるじゃないですか。そういう尖り方に共感して。学生時代に学校やギャラリーとかに本当に腹が立っていたんですけど(笑)、当時の自分のモードと、フリッパーズの雰囲気がバシっと合ったんです。私、自分のことを天才だと思ったり、世界が自分のものだと思ってるようなところを通って、それに挫けて優しくなっていったみたいな人じゃないと信用できないんですよ。だから、オザケンがフリッパーズからソロに移行する流れって、すごくなめらかに理解できたんです。自分に重ね合わせて」
――自分のマインドの変化とシンクロしたと。じゃあ、学校でぽつんと電波ソング聴いて憂さ晴らしをしてた時期にフリッパーズも聴いてたんですか。
「はい。学校で電波ソングを聴いて、フリッパーズを聴きながら帰るって感じでしたね(笑)。当時は自分のことを誰も分かってくれないとか思ってたんです。だからフリッパーズが友達みたいな。周りが物腰が柔らかくて協調性がある人たちばかりだったんですけど、私はそれが超イヤで。みんなご飯とか誘ってくれるんですけど、全部断って。ひとりでご飯食べながら、“私はなんて友達が少ないんだ!”とかいって泣く、みたいな(笑)。とにかく自分勝手だったんです」
――ヒドい人ですね(笑)。
「今思うと最低の人間なんです(笑)。でも、そこを通ったからこそ、今は人と触れ合うだけで泣けるっていうか。そういう感覚が(ソロ活動以降の)大人のオザケンにはある気がして。あと、お姉ちゃんから教わった音楽以外って、単に夢とか希望を歌っているようものばかりで、学校の友達はみんなそっちを聴いてて、それにすごく違和感があったんです。だから、小学生の時みんながJ-POPとか聴いてるのに、私は
Coccoと
カヒミ・カリィを聴いてました(笑)。ハッピーな歌詞とかに全然共感できなかったんです。“こんなの嘘じゃん! 奇跡起こりすぎだし!”って(笑)」
元ネタを自分なりの解釈で取り込んでしまえば、
何か新しいものが作れるんじゃないかと思っていたんです。
それを“当たり前じゃん”と思えたのは、
フリッパーズに触れていたからかもしれませんね。
――今の話を聞いて、世代に関係なく小沢くんの曲が支持されてる理由が分かった気がします。結局、核心突いたものを書いてたんだなって。
「そう! きっとフリッパーズ・ギターが活動してた時代って世の中的にハッピーだったと思うんです」
――まさにバブルの時期でしたからね。
「だから、自分に目を向けてない人が多かったと思うんです。みんな社交とかそういうものに目を向けていたというか。そういう雰囲気が嫌いだったんじゃないかって」
――たしかにそういうところはあったかも。世の中的な空気は僕も大嫌いでした。
「嫌いでした? わー。だって土屋さん渋谷系ですもんね?」
(編注:インタビュアーの土屋氏は90年代中盤から00年代初頭にかけて渋谷の輸入レコード店ZESTに勤務。フリッパーズ・ギター周辺のアーティストと親交があった)
――浮かれたものが街に溢れてたから、“僕ら別で楽しみます”みたいな感じで、自分らの面白いと思う音楽を探してレコードばんばん買って、ロリポップ・ソニック(改名前のフリッパーズ)のライヴに行ったり、下北沢のクラブZOOとかに遊びにいったりしてました。
「渋谷系のミュージシャンって自分に熱中してる人って感じがするんです。自分の哲学に則っていかに生きるか、みたいな。何かに集中してガーッて突き進むっていうのが渋谷系のイメージです。そういう人じゃないと私はカッコいいと思えないんです。あと、渋谷系の人って、“●●が嫌いだ!”とかよく言ってました?」
――みんなガンガン言ってましたよ。まあ、若かったっていうのもあるだろうけど。価値観を共有できる人が少ないがゆえの裏返し的な行動というか。
「ああ、分かります。私は幸いオタクだからってイジめられたことはないんですけど、実は結構気持ち悪いオタクなんですよ(笑)。えいたそ(でんぱ組の成瀬瑛美)とかはアニメ、漫画とか、分かりやすいけど、私はラノベ(ライトノベル)なら『フォーチュン・クエスト』とか、自分の絶対好きなもの以外は全く興味ないっていうタイプなんです」
――あー、一点集中型だ。
「『中華一番』と『ハイスクール!奇面組』とか、ピンポイントで何かを好きになる傾向があるんです。ジャンルの中でも限られたものしか好きにならないから、他人と価値観を共有するのが難しいんですよ。そこを助けられたっていうか。フリッパーズやオザケンを聴いて“ああ、こういう人もいるんだ”って思ってました」
――そういう意味でも、ねむさんの中で小沢くんの存在は大きかったんですね。
「超大きいです。特にソロになってから。フリッパーズ時代とは違うぞって、あえて曲とかでそういう雰囲気を出してるところにも、すごく共感できるし」
――ソロになって完全に方向性を変えましたからね。それまでをキッパリ捨てて、違う方向に行くんだなって。あのときは正直ビックリだったけど、あとから分かったというか。でもそういう人っていますよね。
「いるいる。いるし、しなきゃいけない感じもすごく分かる。たぶん、いろいろ嫉妬とかモヤモヤとかあったと思うんです。あとオザケンはやっぱり歌詞ですね。オザケンの書く歌詞が本当に大好きなんです」
――小沢くんは作る音楽もすごいけど、その一方で、言葉の人でもありますからね。それこそ“小沢語”ってのもあったぐらいだし。
「私、小さい頃からめちゃめちゃ本が好きで、哲学書とか超好きだったんです。どこかオザケンの歌詞にも同じ匂いを感じて。だから、たぶん歌詞に惹かれて、フリッパーズやオザケンを聴いてたんだと思うんです」
――じゃあ、シンプルな質問で、フリッパーズで好きな曲は?
「フリッパーズは後期が好きです。曲だと<午前3時のオプ>、<スライド>が好きです! あと<GROOVE TUBE>は、ちっちゃいと“エロい!”って思いながら聴いてました(笑)。アルバムだと『ヘッド博士の世界塔』! 私が好きなクラフト・エヴィング商會って作家・装丁家のユニットに『クラウド・コレクター』って本があるんですけど、その世界観と『ヘッド博士〜』が自分の中ですごくカブるんです。“塔”って異次元系じゃないですか。ちょっとダンジョンみたいなところもあるし。『ヘッド博士〜』を聴いてると、塔についてとか、ヘッド博士の人生についてとか、ひとつひとつの要素について、すごく考えちゃうんです。あのアルバムって異次元の物語みたいなのに、超パーソナルな思考もブチ込まれていて、鬱陶しいものがない中で、自分をぶつけてるイメージがあるんですよね。なんかパラレルみたいな……(フッと我に返り)私、ただ気持ち悪いだけじゃないですか?(笑)」
――いやいや、面白いですよ。
「いつもの取材では分かってることを話すことが多いけど、渋谷系って今までちゃんと考えたことがなかったテーマで、言ってみれば自分を探る作業なんですよ。そうそう、あと、これも聞きたかったんですけど、フリッパーズの曲って、いろんなものからアイディアをピックアップして、エディットして繋げてるって聞くんですけど、やっぱりそういう感じなんですか?」
――基本、好きな音楽にインスパイアされて曲を書くってスタイルで、以前の時代だと“パクりじゃん!”で終わってたけど、時代的にサンプリングって概念が出始めた頃だったから、引用もサンプリングと一緒だよって定義付けたっていう。
「カッコいい!」
――“後付けじゃん”っていわれたらそうだけど、でも、フリッパーズはそれを押し通してアリにしちゃったのがすごいなと。
「私も、コンセプトは後付けのほうが絶対にいいと思うんです。コンセプトを考えて考えて、世の中に出ないものはいくらでもあるし、それを直感でできてるってことは、もう(自分の中に)コンセプトを持ってるってことなんですよね。それに後で自分で気付くって作業がいちばん大事だと思ってるんです」
――小沢くんの歌詞も、SF作家のレイ・ブラッドベリとか、いろんなところからの引用で新しい言葉にしちゃってたし。
「影響を受けたもののコラージュですね」
――そう、コラージュですよ。言ってみたら、音のポップアートみたいな。
「受験のとき、みんな“無から何かを作りたい”って悩んでたけど、私は元ネタを自分なりの解釈で取り込んでしまえば、何か新しいものが作れるんじゃないかと思っていたんです。それを“当たり前じゃん”と思えたのは、フリッパーズに触れていたからかもしれませんね」
――また普通の質問を。小沢くんの曲だと何が好きですか。
「<夜と日時計>が好きです。最初はただ普通に好きだったんですけど、
渡辺満里奈さんに書いた曲だということを聞いて、さらに気になるようになって
(編注:原曲は1992年に発表された渡辺満里奈のシングル『BIRTHDAY BOY』に収録。のちに歌詞の一部とアレンジを変え、同タイトルでシングル『暗闇から手を伸ばせ』にカップリング曲として収録)。オザケンがアイドルに曲を書いたことが最大級に羨ましくて……私にも書いてほしい(笑)」
――そこに来ましたか(笑)。
『夢眠ねむの考察』みたいな小冊子を出してほしいです(笑)。
オザケンに、“夢眠ねむってどんなヤツなんだろう?”って
思ってもらえるくらい頑張ります(笑)!
――ねむさんは、先日行なわれた小沢くんのコンサートを観にいったんですよね。
「2曲目の<さよならなんて云えないよ>で泣きました(笑)。なんかもう言葉が強くて。オザケンって私、音楽として聴いてないのかもしれないですね。言葉がガツンガツンって響いてきて。あと、<強い気持ち・強い愛>を歌いました、一緒に、勝手に(笑)。しかも私が観にいった日に、<夜と日時計>もやってくれたんですよぉぉ!」
――それは嬉しいですよね。実際、生で小沢くんのコンサートを観た感想はどうでしたか?
「フリッパーズとかソロでばりばり歌ってる頃の写真しか見たことなかったから、めっちゃ大人でびっくりしました。リアルタイムで見てない分、急に、“あ、人間なんだ”みたいな感覚になって。自分の中では偉人というか、ペリーとか大塩平八郎的な存在だったので(笑)、本当に存在してるってだけで泣けてきて。私の目標は、オザケンのここ(隣を指して)に行って“どーも”っていうことです(笑)」
――普通に挨拶を交わすと(笑)。でも、偉人みたいな人が、人間っぽく思えたのは、ちょっと寂しさもありましたか?
「う〜ん、しっかりした大人みたいな感じになってるのは、ちょっとショックだったけど、ただ、アメリカに行っていろいろ経験したんだろうなって純粋に思いました(笑)。なんか昔と違う尖り方というか、攻撃的じゃなく、根っこを張るみたいな強さを感じましたね。こんな小娘が言うのもなんですが(笑)、金属が木になったって感じがしました」
――いいこと言いますね。では、でんぱ組.incのニュー・シングルで、小沢くんの「強い気持ち・強い愛」をカヴァーしてみてどうでしたか?
「渋谷系に影響を受けている前山田健一さんがアレンジをやってくださるってことで、私は安心感を感じてたんです。カヴァーすることが決まったとき、“やった!”と思ったと同時に、オザケンファンの気持ちも考えちゃったんですよ。好きだからこそ、変なカヴァーをされたら腹が立つと思うし。ある意味、聖域じゃないですか。でも、渋谷系を好きな人がアレンジするんだから、もちろんリスペクトを持ってやってくださってると思うし、悪いようにはしないだろうって」
――突如、高速になるアレンジは衝撃でした(笑)。
「『オリーブ』読んでた人、激怒みたいな(笑)。でもあれがすごくいいなあと思ったんです。スピードが速いっていうのは、今の時代にしっくりきてるし、(高速になる)3番からが2012年の感じだと思うんです。 しかも、小沢健二を通ってない子達が歌ってるっていうのがいいなって。私以外のメンバーはオザケンを知らないんです。なので私も歌うときは、あえて思い入れはゼロにして、でんぱ組.incの夢眠ねむとして歌いました」
――結果、でんぱ組らしさ全開の面白いカヴァーになったと思います。
「やっぱり、オザケンや小山田さんがやっていたように、私も影響を受けたものを自分なりに咀嚼して表現していきたいなって思うんです。せっかくそういうやり方を学んだのに、それを出さなきゃ意味がないと思ったんですよ」
――ぶっ壊さないと意味がない。
「そう。<強い気持ち・強い愛>もぶっ壊したけど、超・愛があるみたいな感じでやりました。普通やんないだろうみたいなことを(笑)。でんぱ組って結構そういう感じでやることが多くて、それって渋谷系に通じてるなって。だから私は、あえてやってるって感じをチラチラ出してるんですけどね」
――確信犯的な感覚ですね。
「そうです。あ! (小声で)これ自分で言っちゃダメなやつですね(笑)」
――(笑)。でも今回カヴァーして、小沢くんに挨拶する野望に一歩近づけたんじゃないですか。
「そうだといいな。でも、もっといえば、オザケンに分析されるのが夢ですね」
――分析!? さっきよりもさらに踏み込んでますよ(笑)。
「で、『夢眠ねむの考察』みたいな小冊子を出してほしいです(笑)。オザケンに、“夢眠ねむってどんなヤツなんだろう?”って思ってもらえるくらい頑張ります(笑)!」
取材・文/土屋恵介(2012年5月)
撮影/SUSIE