“低迷する日本を元気にしたい!”という錦の御旗を掲げ、2006年3月にシングル
「アゲ♂アゲ♂EVERY★騎士」でCDデビューを果たして以来、スキャンダラスな話題を振りまきながら、日本全国に 文字どおり“アゲ♂アゲ♂旋風”を巻き起こしてきた
DJ OZMA。そんな彼が、なんと3rdアルバム
『I PARTY PEOPLE3』を発表する2008年12月31日をもって芸能界から引退することを発表! 電撃的引退の裏側に潜む彼のパンキッシュな美学とは? 謎に包まれた2代目DJ OZMAの正体とは? そして誰もが気になる今後の展開とは? 噂の渦中にあるDJ OZMAを直撃した。
K-POPを取り上げることで日本の音楽シーンに一石を投じられるんじゃないだろうかと
――11月27日に行なわれた芸能界引退記者会見、僕もお邪魔させていただいたんですが、最後までOZMAワールド全開でしたね。
DJ OZMA 「ありがとうございます。お忙しい中、お越しいただいたのに、あんな茶番劇をお見せしてしまって……大変、失礼いたしました(笑)」
――面白かったので問題ナシです(笑)。翌日のスポーツ紙やワイドショーも見事に総ナメだったし、それだけ、みんなが食いついてたってことで。
DJ OZMA 「僕のところにも、友達や知り合いから、ひっきりなしに電話やメールが入っています。ちなみに、
しょこたん(中川翔子)のママからは、“OZMAとしょこたんの共演を紅白で観たかった”と言われました(笑)」
――やっぱり、OZMAさんの周りでも “残念だ”っていう意見が多いんですか?
DJ OZMA 「そうですね。でも、このタイミングでの引退に関しては、前から決めていたことなんですよ。もともとDJ OZMAは1年限定で始めたプロジェクトですから」
――それが予想以上にブレイクして……。
DJ OZMA 「3年も続いちゃいましたね(笑)。デビュー曲の〈アゲ♂アゲ♂EVERY★騎士〉が、ある程度、ヒットしたこともあったんですけど」
――「アゲ♂アゲ♂EVERY★騎士」は、DJ OZMAの代名詞ともいえる曲になったわけですが、そもそも、あの曲を取り上げようと思ったキッカケはなんだったんですか?
DJ OZMA 「仕事で台湾に行ったときに、夜、お姉ちゃんたちがいっぱいいるカラオケに遊びにいったことがあって。そのときに、向こうの人が、今流行ってる曲として歌ったのが〈アゲ♂アゲ♂EVERY★騎士〉の原曲になってる、アレックス・トゥの〈TAKE OFF〉という曲だったんですよ。それを聴いたときに“あれ? この曲、こんなヴァージョンもあるんだ!”って」
――「TAKE OFF」は、韓国のヒップホップ・グループDJ DOCの楽曲「RUN TO YOU」のカヴァーなんですよね。
DJ OZMA 「そうなんです。で、もともと、僕、〈RUN TO YOU〉を知ってたし、PVもカッコ良かったから、帰国するときに空港でアレックス・トゥのVCDを買って“これは格好いいわ〜”って家で〈TAKE OFF〉のPVを何度も観てたんですよ。その後、調べてみたら、アジア各国に無数のヴァージョンが存在してることが判明して。だったら日本語のヴァージョンがあってもいいんじゃないかと思って、自分でカヴァーすることにしたんです。ちょうど、K-POPにハマってる時期でもあったんで」
――OZMAさんはK-POPのどのあたりにグッときたんですか?
DJ OZMA 「1曲の中にサビがいくつもあるような “詰め込み感”ですね。実は、DJ OZMAをスタートさせる少し前、どんな音楽を聴いてもツマラなく思えてしまう時期があったんですよ。周りに流れている音楽といえば、Aメロ→Bメロ→サビみたいに、曲のパターンが決まりきったものばかりで。自分が作る曲に対しても、“1曲にいろんな要素を詰め込みすぎてる”とかスタッフから散々言われたり、そういう状況に腹が立っていたんですね。そんな頃にK-POPと出会って“やっぱり俺は間違っていないんだ!”と勇気づけられたんです。それとともに、最初から最後までサビみたいなK-POPのナンバーを自分が取り上げることによって、日本の音楽シーンに一石を投じることができないだろうかと思うようになって。それで “こういうアイディアがあるんだけど”ってレーベルに相談して1年限定でプロジェクトをスタートさせたんです」
DJ OZMAではヒール(悪役)として、とことん嫌われてやろうじゃないかと思った
――「アゲ♂アゲ♂EVERY★騎士」のヒットは、ある程度、計算済みだったんですか?
DJ OZMA 「いえ、急に売れてしまったことに関しては計算外でしたね。自分の中では、のんびりジワジワ売れていけばいいなと思っていたので」
――それが予想外に芯を食って(笑)。
DJ OZMA 「ええ。完全にバットの芯でボールを捕らえてしまいました(笑)。ダイレクトにフェンスにぶつかって外野手から、すぐにボールが返ってきて、一塁どまりみたいな(笑)。自分としてはエンタイトル・ツーベースぐらいを狙っていたんですけど」
――エンタイトル・ツーベース的な売れ方ですか(笑)。
DJ OZMA 「実は当時、〈恋のマイアヒ〉をライバル視してたんですよ。〈アゲ♂アゲ♂EVERY★騎士〉を出した前年に、あの曲が大ヒットしたんですけど、あんな感じで、噂が噂を呼んで、最終的に60〜70万枚売れるのが理想だったんです。それが急に売れてしまったおかげで、枚数もそこまで届かず。でも、体感枚数としてはダブルミリオンぐらいいってると思うんですよ。少なくとも40代以下で、あの曲を知らない人なんて、ほとんどいないと思うんで。そういう意味では、自分の狙い通りでした」
――デビュー時には、アッパーかつ下世話なキャラクターにも注目が集まりました。
DJ OZMA 「最初は8年間、ビッグウェイヴを待っている伝説の丘サーファーっていう設定で “ヤング所さん”みたいなキャラクターを考えていたんですよ。でも、いろいろコンセプトを練り上げていくうちに、もうちょっと“水っぽい”感じにしようと思って」
――そこで、あえて“水っぽさ”を足そうと思ったのは?
DJ OZMA 「実は、それまで、みんなに好かれるキャラを目指していたのに、まったく好かれていないという事実に、人知れず傷ついていて(笑)。だったらOZMAでは、ヒール(悪役)として、とことん嫌われてやろうじゃないかと思ったんです」
――モデルになった人物は誰かいたんですか?
DJ OZMA 「DJでいうと、宇治田みのるさんですね(笑)。今では仲良くなって、すっかりお世話になってるんですけど、お会いする前は一方的に、“チィーッス”みたいな“チャラい業界人”的なイメージを勝手に持っていて(笑)。あと、これは書けないと思いますけど、●●●●の●●サンですね」
――それは絶対に書けません(笑)。
DJ OZMA 「とにかく嫌われたかったんですよ。それで、“何コイツ! ムカつく! でもなぜかメロディが頭から離れない……”ってところから一気にイメージを逆転させてやろうと思って。そのためにスーツからタンクトップ、移動時のバッグに至るまで全身グッチで固めたり、日サロに通ったり、ギャル男が集まるパーティに夜な夜な潜入したり、ありえないぐらいの金額を自分に投資しましたよ(笑)」
――その結果、見事に賛否両論を呼んで。否定的な意見も、ヒール的な立場からしたら、ある意味、快感だったんじゃないですか?
DJ OZMA 「いや、それでも、やっぱり傷つくんですよ(笑)。とはいえ、結局はそういう否定的な意見が自分を燃えさせてくれる大きな原動力になっていたんです。1年限定で考えていた活動期間を延長したのも、紅白出演後の騒動があったからだし。いい曲をどんどん発表して、バッシングしてる奴らを全員見返してやろうと思ったんで」
――当初は1年限定で活動する予定だったわけですよね。そうすると、終わり方みたいなものも、なんとなく考えていたんですか?
DJ OZMA 「僕の中では最初、“DJ OZMAは六本木で犬に噛まれて死ぬ”っていうのを決めてたんですよ。“犬に噛まれて正月早々、死亡!”っていう(笑)。 でも、周りのスタッフから“死ぬのは、さすがに不謹慎じゃないか”っていう意見が出てきて。そんな矢先に紅白のゴタゴタがあって、そのアイディア自体、うやむやになってしまったんですけど」