つなぐこと。ジョージが考えていたこと、望みをひとことでいうなら、それかもしれない、と見終わってふと思った。つなぐというのは絆とか縁という文字に置きかえるものではなくて、間にあるものを探る、という意味をジョージに関して感じています。人と人が手をたずさえたり肩を組むことも感動的、いや感動を呼ぶものでしょうし、実際にこのコンサートでリンゴとポールがハグしている場面を見たらどうしてもウルっとしてしまいました。「ギヴ・ミー・ラヴ」のサブタイトル“Give Me Peace On Earth”のほうにジョージの素朴な希求があったのではなかろうか、としみじみ思ったコンサートでしたし、映像作品でした。
VIDEO
アヌーシュカ・シャンカールが、ラヴィ・シャンカールの「アルパン」を西洋音楽のミュージシャンに説明することに関して「9.5拍なんてどうすればいいの?」と問われたりするので、インドのミュージシャンと西洋のミュージシャンとでやり方を変えたと語っているのがたいへん印象に残った。西洋の音楽様式から見るとハミ出してしまうところをどう収めたらよいのか、あるいはうまくのれない、と感じる部分が、インドの音楽家によっては別になんというほどのものでもない。そもそも拍のとらえかたが違っていたり、演奏に対する心がまえ、音楽全体の枠組みへのアプローチが異なるのだから、そこを調停し融合/共存させるには緩衝が必要だろう。そのことを「アルパン」の指揮者であるアヌーシュカと作者であるラヴィは語っていた。私はジョージの生前の営みの多くがこの緩衝のよりよきあり方、そこでの思考の基本姿勢に関する探求に連関していたのではないか、と考えている。それこそが異なる考えややり方をつなぐこと、その方法を探ることだった、と思ったわけです。
©2018 Oops Publishing, Limited Under exclusive license to Craft Recordings
たとえばジョージがスライド・ギターを多くプレイしたのは音を点と点で結ぶのではなく間にある音も鳴らしてつなぎたかったからではないか? ジョージがつなぎ役だったのかも、と思ったのはビートルズの中でいちばん年下だったから、ということもあるかもしれないし性格的に何かいおうとする前に一瞬考えてしまう人だったのかもと思わせる振るまいが、これまでに公になった映像作品からちょくちょく見うけられたからだ。相手に告げるより前に自らの内側に問いがちな人、であるから、「オール・シングス・マスト・パス」や「イズント・イット・ア・ピティ」のような曲が生み出せたのではないか、とこのコンサートの中で何度も感じた。「闇も必ず終わる。やがて朝がかならずくる。すべては過ぎていくのだから」“Change”ではなく“Pass”と歌うのがジョージの基本姿勢ではなかったか。今を変えよう、変わっていく、(人によっては)変わらねばならない、と歌う前に自分自身ははたして何をしてきたのだろう、とついつい問いかけてしまう。それは決断しないということではない。それぞれが自分に問いそれぞれがおのれの行動について省みていかなければ根本的な変化や是正は生まれない、とジョージの音楽は告げているのではなかろうか。
このコンサートにはエキセントリックな人は一人も登場しない。誰かが誰かより目立っている、ということもない。
©2018 Oops Publishing, Limited Under exclusive license to Craft Recordings
ジョージの音楽と向きあうとは、そういうことなのか。それぞれが内省せざるをえなくなる音楽。ああ、確かにジョージっていつもどこか謙虚だったよなあ、と思わせる音楽。それでいて他の人とは際立って異なる色彩を放ってきた音楽。他の人が極彩色だったり濃厚な色使いでくるなら自分は単彩でいい、あるいは墨一色で十分です、という。細密画に対する素朴画。あの『電子音楽の世界』のジャケット画の素晴らしさは、好奇心をそのまま描いたらこうなったんです、という心根の健やかさそのものが伝えられているからこそだと私は長年思ってきました。ジョージの作る曲はいつまでも終わらないような流れを生み出すものばかりだ。
いったい自分とは何なのか。そのことを考えることでジョージの音楽は生まれていったのではないか、そんなことをふと思った。そのためのエンジンがロックンロール、燃料がインド音楽だったのではないか、とこの映画の曲順は思わせます。軽やかな、ほんとうに素直な喜びの歌「ヒア・カムズ・ザ・サン」をほのぼのと歌うジョー・ブラウンの姿は、ここに集った人々のひとつの理想なのかもしれません。考えすぎず、音楽に対して柔らかく接することで自分の世界を確実に示していく。肩の力を抜いても心のタガを外さない、ゆるやかな存在証明のやり方。年輪を重ねるとはこういうことなのか、と、ジョージも納得したに違いない「夢で逢いましょう」の素晴らしさ。この映画を見た誰もがその日夢でジョージに逢えるような気になれる、少なくともジョージ・ハリスンという人について考えることが以前よりもっと楽しくなる、そんな気の流れがここにはあります。
©2018 Oops Publishing, Limited Under exclusive license to Craft Recordings
©2018 Oops Publishing, Limited Under exclusive license to Craft Recordings
「ハンドル・ウィズ・ケア」を聴きながらここにボブ・ディランがいたらなあ、とか、「ハニー・ドント」でカール・パーキンスとジョージの共演を思い出したり、モンティ・パイソンの登場に『ラトルズ 4人もアイドル!』が日本で最初に放映されたとき、福生の友だちの家のモノクロ・テレビで見たことが頭によみがえったりした。「マイ・スウィート・ロード」はビリー・プレストンの歌でこの曲のゴスペル由来がより明確になるし、アコースティック・ギターを多人数で同時に奏でるスペクター・サウンドの再現も体感できる。「ジ・インナー・ライト」とこの曲が底でつながっていることもわかる。それにしても「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」の厚みはすごい。ポールとプレストンとゲイリー・ブルッカーのトリプル・キーボードにリンゴとジム・キャパルディとジム・ケルトナーのトリプル・ドラムというもはやありえない役者が揃っている。思わず2004年のロックンロール・ホール・オブ・フェイムでのこの曲のことを思い出さずにはいられなかった。このときのプリンスの快演にダニー・ハリスンは大喜びしていたっけ。
VIDEO
ダニー、そしてジョージの妻オリヴィアはジョージの音楽の親和力について思ったかもしれない。最後に挨拶したときのダニーの表情は感謝と感動のひとつの極を示している。エリック・クラプトンなしにはこのコンサートはありえなかった。クラプトンはジョージの不在への思いをここに凝縮したのだろう。同時にジョージ作品の特殊性に改めて頭をひねっていたのではなかろうか。ポールはすでにそのことをもちろん知ってはいたけれど、もしかするとこうしてジョージの音楽を一つの場で多くの友人知人とわかちあったのは初めてだったかもしれない。コンサートのオーディオ・プロデュースをジェフ・リンが担当していることも重要だろう。どう聴かせるかを十二分に心得ているジェフは、ジョージのあれこれのカンどころを我々にわかりやすく提示することを無上の喜びとしている人間だろう。
“Peace On Earth”がこれまで以上に心に刺さる2023年、ジョージについて、ジョージの音楽について何度でも考えるときだろう。まさに、ふさわしいときの、ふさわしい作品です。
文/湯浅 学