ビジネススーツ姿でストリート・ピアノに向かい、いきなりの超高速演奏で道ゆく人々を仰天させてきたピアノYouTuberのヒビキpianoが、昨年4月に同時発売された『FEEL』『HEAL』に続く3枚目のアルバム『Chime』をリリースした。
タイトルの由来になったリストの「ラ・カンパネラ」をはじめ、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ「月光」などのクラシック曲はもちろん、『海の上のピアニスト』『ニュー・シネマ・パラダイス』といった映画音楽、洋楽ポップスの「ヒール・ザ・ワールド」「ボヘミアン・ラプソディ」ほか多種多様な14曲を、演奏のみならず編曲、レコーディング、ミックスまでみずから手がけている。マスタリングを担当したのは、彼が所属するJIMS Music Productionsのオーナーでもあるピアニストのジェイコブ・コーラーだ。
超高速演奏にとどまらないリリカルな表情を見せる『Chime』について、ヒビキpianoに話を聞いた。下調べはしてきたものの、キャリアの興味深さからつい昔話も深掘りしてしまったが、何百回話したかわからないくらいのベタな質問にもイヤな顔ひとつせず、優しく静かな口調で答えてくれた。
――最初の2枚は当時のレパートリーをひと通り詰め込んだものだったそうですが、今回の選曲は?
「メインはストリート・ピアノとか動画で出している曲です。あと、前回は激しい系とゆったり系みたいな感じで2枚に分けましたけど、今回はそれも混ざっていて、ジャンルもクラシック、ポップス、ロックといろいろなんです。どんな方にも楽しんでいただけるかな、みたいなコンセプトですね」
――ヒビキさんの動画をいつも見ている方も初めて聴く曲もありますか?
「いや、全部チェックしてたら1回は聴いてると思います(笑)。毎週YouTubeでライヴ配信をやっているんですけども、そのときのチャットや視聴者の声を見ていると、ウケのいい曲がなんとなくわかるんです」
――リリースする前に試せるのはいいですね。というか、いま「試せる」と言いましたが、こうして音源をリリースすることと、YouTubeの動画と、コンサートで演奏することと、ヒビキさんにとってはどの活動がメインというイメージなんでしょうか。
「どうなんだろう……どれもメインですね。必ず週1で動画を投稿するのと、必ず週1でライヴ配信をするのは決めていて、ほかにもいまはツアーや演奏会もあるので。CDの録音にももちろん力を入れていて、今回も1週間以上かかったのかな」
――忙しいですね。その合間にこうして取材を受けるみたいな?
「でも、平日は基本空いているんです。コンサートは土日が多いので、平日はストリート・ピアノの動画を撮りに行ったりとか、動画編集をしたりとか、こういう取材や打ち合わせをしたりとか……という感じです」
――CDにはさっきおっしゃった通りクラシックもあれば、映画音楽やディズニーの曲もあれば、J-POPもロックもありますね。曲順には気を遣ったのではないですか?
「僕の視聴者でも好きなジャンルはいろいろなので、ジャンルでまとめました。今回は〈ラ・カンパネラ〉がメインと思っていたので、最初に持ってくるのは決めていたんですけど、そこからベートーヴェンの〈月光〉第3楽章、ショパンのスケルツォとクラシックを3曲まとめて、〈ファンティリュージョン!〉〈パート・オブ・ユア・ワールド〉のディズニー2曲、〈愛を奏でて〉〈マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン〉〈ニュー・シネマ・パラダイス〉の映画音楽3曲、ヒーリング・ミュージックの〈Kiss The Rain〉とポップスの〈春よ来い〉、ゲーム音楽の〈ANiMA〉を経て〈デンジャー・ゾーン〉と、ある程度テンポを揃えたかったので、演奏会とは逆のパターンで激しい曲を後ろに持ってきました。で、最後は〈ヒール・ザ・ワールド〉〈ボヘミアン・ラプソディ〉と、洋楽でフィニッシュするという」
――ジャンルと曲調の両方でセクション分けしていったわけですね。
「難しかったですけど、最初の〈ラ・カンパネラ〉がそもそも激しい曲なので、だったら〈月光〉も入れようか、みたいな。最後の2曲はそこまで激しい曲ではないので、ちょうどこのバランスがいいかなって」
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――演奏会とは逆のパターンというのが面白い。ライヴでもこんな感じでいろんなジャンルの曲を演奏されるんですね。
「Piascoreさんっていうところで3ヵ月に1回ぐらいやっている有料配信では〈オールショパンプログラム〉とか〈オールジブリコンサート〉みたいにまとめてやることもありますけど、ソロの演奏会ではほとんどオール・ジャンルでやっていますね」
――「ラ・カンパネラ」は難曲として有名ですよね。
「この曲を弾くというだけで演奏会の集客が変わってくるぐらいの曲ですからね。クラシックの演奏家でもけっこう避ける方が多いんです。難しさそのものよりも、あまりにも有名すぎて、ミスをするとわかってしまうので(笑)。僕も最初は避けてたんですけど、やっぱり名曲だし、リクエストもいちばん多かったので、挑戦してみました。練習していたらだんだんと苦手意識を脱却できたので、これは次のCDのメインに置こう、と」
――難曲なのにミスがバレやすいというのは演奏家にとっては理不尽ですね(笑)。
「そうなんです。右手の跳躍が多くて、全部レのシャープの音だから外しやすいんです。プロでもノーミスで弾いてる方なんてほとんど見たことがないぐらい」
――この曲を有名にした演奏家のひとりがフジコ・ヘミングさんですよね。彼女は「生まれつき指が太くて力が強いから演奏家に向いていた」みたいなことをおっしゃっていましたが、そういうことってあるんですか?
「あると思います。僕ももともと指は動くほうだったんですけど、やっぱりゆっくり弾くほうが楽というか、一音一音に思いを込めやすいんですよね。歌いやすいというか。対して速くて技巧的な曲はどうしても機械的になってしまいがちで、どっちかというと苦手でした。音大時代にコンクールを受けたときに、課題曲は難しい曲が多いので、いろいろ挑戦するうちに指の運動性を高めていったところがありますね。あと、卒業後に自衛隊の音楽隊に入ったんですけど、吹奏楽のなかにピアノが一台あるみたいな感じなので、すごく強く弾かないと音が消されちゃうんですよ。打楽器に負けないように頑張った結果、大きくて強い音が出せるようになってきたっていうのもけっこうあります」
――そうすると自衛隊での経験というのはピアニストとしてのご自分を作っていく上では大きかったですね。
「ものすごく大きかったです。あとレパートリー的にも、クラシックはほとんどやらないんです。本当に一般の方がよく知っているような曲と吹奏楽曲がメインなので、そこでオール・ジャンルでやれたおかげでいまの自分のスタイルがあるのかなって思います」
――ストリート・ピアノも、音楽を聴く気がない通行人に足を止めてもらわないといけないわけですから、選曲も演奏スタイルもものを言いますよね。
「あと場所にもよるんです。静かな場所ででっかい音で弾くと迷惑になってしまうので(笑)、わりとしっとりした曲を弾くんですけど、逆に賑やかな場所では大きい音で弾かないとそもそも気づいてもらえなかったりしますし、立ち止まってくれるのはやっぱりとくに技巧的な曲だったり難しい曲だったり速い曲だったりするんです。基本、速くて大きい音だと人は集まりやすいです。一般の人には“上手だな”って感じてもらえるし。本当はうまさって技術だけじゃないんですけど」
――ヒビキさんが持っているいろいろな要素のうち、速さ、強さ、大きさといった面を前に出して注目を浴びたということですね。
「とくに最初はそうでした。速弾きで売り出したというか、当時はそんなに多くの人がやっていることではなかったので。聴いてくれる人が増えるとともに、本当はもっとゆっくりした曲も弾きたいので(笑)、いろいろな曲を弾いていたら“こっちのほうがいい”と言ってくれる人も徐々に増えてきた感じです」
――そもそもストリート・ピアノとYouTubeに注目したのはなぜだったんですか?
「除隊したあとしばらく普通に演奏活動をしていて、それだけでもなんとかなってはいたんですが、やっぱりもっと拡散力がほしいなというのがありました。あと、演奏会のためにせっかくすごく練習するのに、次の演奏会ではやらないので、最高の状態の演奏をちゃんと記録しておきたいなと思ったんです。最初は家撮りして保存してたんですけど、容量も食うし(笑)、だったらYouTubeにアップしてみようと思って、演奏会の直前や直後に家で撮ったものを5〜6本投稿してみたんです」
――外部ストレージ代わりにYouTubeを使ったんですね(笑)。
「再生回数は30とかで、チャンネル登録者数も3人とか4人で全然見てもらえなかったんですが、唯一伸びていたのが〈【超高速】トルコ行進曲'ジャズ'〉という動画で、500再生ぐらいいってたんですよ。ああ、こういう技巧的なことをしたほうがウケるんだな、と思って、ちょうど都庁ピアノとかストリート・ピアノが流行っていたので、母親に“行ってみたら?”って言われて、〈【都庁ピアノ】総理の前で演奏したガチ勢が超高速で弾いてたら周りにガン見されてたw〉っていうのを上げてみたらけっこうバズりまして。それからだんだんと軌道に乗っていきました」
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――いろいろ試してみたなかでウケたスタイルを突き詰めていったわけですね。
「あと、動画って編集段階で加工できてしまうので、家撮りだと信用してもらえなかったんです(笑)。コメントでも“早送りじゃねえの?”とか書かれて、本当に弾いてるってことをなんとか証明できないかなと思ったのもあります。ストリート・ピアノだったら歩行者の姿とかも映ってるんで、その速さでわかるじゃないですか」
――なるほど! そうして名前を売った結果、ピアノYouTuberの先輩であるジェイコブ・コーラーのレーベル“JIMS Music Productions”からのCDリリースに至ったわけですけども、ジェイコブさんのことはその前からご存じでしたか?
「はい。うちの母がファンで、CDも何枚か持っていて、僕ももちろん聴いていましたし、YouTubeの動画も見ていました。同じレーベルの朝香智子(あさぴ)さんという方からお誘いいただいたのがレーベルに入ったきっかけです」
――ジェイコブさんはもともとはジャズ・ピアニストですが、ヒビキさんは洗足学園音大のジャズ科に入学したものの、馴染めなくてクラシックに戻った経験があるとか。
「そうなんです。ピアノは6歳からやってたんですけど、クラシックは競争が激しいし、コンクールで賞を獲らないと食べていくのは難しいので、ちょっと無理かな、と思ってたんですね。だけど音楽に携わる仕事はしたいから、作曲や編曲もやってみようと思って、高校のときは夏期講習で東京音大の作曲科の映画音楽コースみたいなのを受けてみたんですけど、あまりしっくりこなくて。それで音楽の先生に相談したら、“それだけ弾けるんだったら、洗足にジャズ科ができたから受けてみれば?”って言われたんです。ジャズ科ならピアノも弾けるし、アドリブやコードも学べば作曲にもつながるな、と思って入学しました。ところが、僕はそもそもジャズが好きで入ったわけじゃないし、まわりはジャズが好きでプロになりたくて来てる子ばっかりで、そんななかで一から即興を学ぼうったって、即興なんて一朝一夕にできるものじゃないじゃないですか」
――大ピンチでしたね、それは。
「そんなある日、遊びで練習室でクラシックの曲を弾いてたら、ピアノ科の先生に呼び止められて“それだけクラシック弾けるのになんでジャズ科にいるの? コンクール受けてみない?”と言われまして(笑)。高校のときもそんなに弾いてなかったし、賞なんか獲れないだろうと思ってエントリーしてみたら、全国大会5位になったんです。だったらちゃんとやればもうちょっといけるんじゃないか、と思ってピアノ科に転科して、その先生に教わるようになりました」
――多少なりともジャズの勉強をしたことは生きていますか?
「どうなんだろう……本当にちょっとしか勉強してないので(笑)。むしろ最近、演奏会やJIMSフェス(JIMS Music Productions所属プレイヤーが一堂に会するコンサート)でジェイコブさんと共演したりした経験のなかで鍛えられたところが大きいと思います」
――クラシックのトレーニングを受けたピアニストの知人が言っていたんですが、ポピュラー曲の演奏でいちばん難しいのがリズム・キープなんだ、と。
「僕もそう思います。クラシックはピアノ独奏だったり、オーケストラでも指揮者によってテンポが違ったりもしますから、行進曲ならまだしも、一定のリズムで演奏してたらむしろアウトなんです。なのでリズム・キープの訓練はぜんぜんしていなくて、苦労しました。いまでも課題です」
――『Chime』に収録されたポップスやロックの曲はとても上手にアレンジされていると思いましたが、そこに至るには苦労があったんですね。
「最初は本当に苦労しました。ストリート・ピアノだけじゃなくて、演奏会でも、動画を撮ってあとから聴いてみると、ポップス系の曲ではけっこうリズムがグチャグチャになってたりして。速くなってたり変にタメがあったりするんですよね。だからイヤホンで聴きながら練習したり、メトロノームを使って練習したり……あとはなんだろ、こういう激しい系だったら自分の指の限界みたいなのもあるんですよ。これ以上は無理、という限界の速さでずっと弾いていればリズム・キープできるってことがわかったんです」
――え? 限界でずっと弾くんですか?
「〈デンジャー・ゾーン〉とか〈ANiMA〉はほぼ限界の速度でずっと弾いてますね。速度を落としたら、むしろヘタに余力があるぶん崩れるので」
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――(笑)。じゃあYouTubeの“人類には速すぎた”シリーズなんかも、最初から限界で弾くと決めて……。
「はい。誰もこんな速度で弾かないだろ、みたいなマックスのテンポでやっています」
――限界で弾くと疲れてだんだん遅くなったりしないんですか?
「疲れはしますけど、自衛隊のときにけっこう無茶したので、それで慣れたというか、力の抜き方も学んだと思います」
――アルバムの収録曲は通しで弾いてノーミスのテイクが録れるまで?
「エディットした曲もあります。ミスしたのもありますし、あと自分でアレンジした曲の場合は完全に決めていったわけではないので、何回か弾いて聴き比べて“ここはこっちのテイクのほうがいいかな”みたいにいいところを選んでつないだりしました。ちょっと前まではちゃんと固めておかないと弾けなかったんですけど、いまはわりとそのときどきで柔軟に対応できるようになりました。それこそジェイコブさんと即興で演奏したりしたことで、アレンジや音選びの幅が広がったのかなって。いきなり無茶ぶりしてきたりするので(笑)、いい修業になりました」
――いろいろな曲を演奏しているヒビキさんが、好きでよく聴く音楽は?
「洋楽がずっと好きなんです。〈ヒール・ザ・ワールド〉のマイケル・ジャクソンと〈ボヘミアン・ラプソディ〉のクイーンは、母親が聴いてたこともあって幼稚園のときからずっと好きです。あと勉強のためにクラシックはいろんな方の演奏を聴きますね」
――好きな演奏家は誰ですか?
「曲によって違うんですよね。〈ラ・カンパネラ〉だったらフジコ・ヘミングさんの演奏もすごく好きだし……でもピアニスト全体でいったらやっぱりウラディミール・ホロヴィッツさんですかね。あとビル・エヴァンスさんだったりとか。ホロヴィッツさんもエヴァンスさんも、とくに激しかったりテクニカルなことをやっているピアニストではないと思うんですけど、聴いてるとすごく惹き込まれてしまうんですよね。なぜそうなのかはいまもちょっとわかんないんですけど」
――フジコさんも含めて、その人にしかできない演奏をするピアニストというイメージがあります。歌うような弾き方というか。
「あ、そうですね。たくさん聴いてきたので、どうやったらこういう演奏ができるんだろうな、って……まったくできないですけど(笑)。特殊すぎて」
――初めてお会いしてお話をうかがってきて、自衛隊やYouTubeでの経験のおかげか、聴く人に喜んでもらいたいエンタテイナー・タイプなのかな、という印象を受けました。
「YouTubeをやる前からもともとそうだったんです。やっぱりお客さんに喜んでいただいてナンボなので。ガチガチのクラシック曲ばかり演奏したら、興味のない方は飽きてしまったり寝てしまったりということになるじゃないですか。自衛隊でいろんなジャンルに挑戦したこともあるので、なるべく有名な曲も取り入れて、基本的にお客さんが楽しめるように、という気持ちでやっています」
――ありがとうございました。僕はこんなところなんですが、最後にヒビキさんから何かありましたら。
「アルバム・タイトルについてなんですけど、『Chime』というのは“La Campanella”の英訳なんです。最初はアルバム・タイトルも『ラ・カンパネラ』でいこうと思ってたんですけど、全曲クラシックならそれでもいいけど、いろんなジャンルの曲を入れているし、chimeって語には“鳴らす”とか“時を告げる”とか“調和する”とか、いろんな意味があるし、響きもオシャレだし(笑)、これがいいかなと思いました」
取材・文/高岡洋詞
〈ジェイコブ・コーラー Presents 〜JIMS Festival vol.3〉 9月24日(土)1st 開場 13:30 / 開演 14:30(16:00終演予定)
2nd 開場 17:00 / 開演 18:00(19:30終演予定)
出演:ジェイコブ・コーラー、朝香“あさぴ”智子、MAiSA、ヒビキpiano(2nd Stageのみ出演)、みやけん、瀬戸一王
https://www.jzbrat.com/liveinfo/2022/09/