本田珠也の新しいグループ、ICTUS Trio(イクタス・トリオ)が素晴らしい。「フリー・ジャズの
ペーター・ブロッツマンとの共演のあとで、
渡辺貞夫さんとやるようなドラマーは、ぼくのほかに滅多にいないでしょう」と言うように、本田はさまざまなスタイル、ジャンルを超えたドラムの才人だが、このICTUS Trioはその自由な発想のドラマーの、ある意味中心的な音楽理念のようなものを浮き彫りにする重要な作品だ。
「ピアノの
佐藤浩一君を知ったのは2年ほど前で、サックスの
守谷美由貴さんから、“あなたにぴったりのピアニストがいる”と言われたんです。たしかにぼくが関心のあるピアノに同じような関心を持っていて、何かできるかなと思ったんです」
このアルバムの曲目リストがちょっと異様で、まず
カーラ・ブレイの曲がずらりと並び、
佐藤浩一のオリジナル、そして2曲のスタンダードが取り上げられている。カーラ・ブレイとなると、ピアニストの
ポール・ブレイを頭に浮かべる人が多いと思うが、それは正しくもあるが、正解はちょっと違う。
「グループ名にもなった〈ICTUS〉は、
プーさん(菊地雅章)とやった思い出深い曲なんです。それと2曲のスタンダードもプーさんとのトリオでよく取り上げていた曲です」
そう、正解は
菊地雅章だが、このアルバムは菊地に捧げられた作品というわけでもない。
ポール・ブレイは菊地が高く評価していたピアニストで、この選曲はおもに佐藤浩一のアイディアのようだ。しかし、
カーラ・ブレイの作品をたくさん取り上げるというのは、日本のピアノ・トリオ作品として、かなり異端と言っていい。
「ピアノ・トリオというと日本ではかなり型にはまったイメージがあるけど、それが不満なんです。ジャズは即興の演奏だから、型にはまらないもっとぎりぎりの即興表現を目指すような世界をこのトリオで実現したいと思ったんです。菊地さんは即興ということをよく考えていて、教えられることが多かったです。ストイックで美学があって、一音でもいいからいい音を弾きたいといったことをよく言ってましたね。このトリオは、そういう精神を引き継ぎたいと思うんです。つまり、垂れ流しの即興ではなく、一音一音に美しさがあり、そこに自分が関わっていると自分で納得できるような演奏を目指すということです」
菊地雅章が他界したとき、新宿Pit Innで
日野皓正、
佐藤允彦らが集まり、追悼の演奏会が開かれたが、そのまとめ役をしたのが本田珠也だった。菊地の晩年にいちばん近くにいたのが本田だったという理由もあるが、こうした日本ジャズの先輩たちを尊敬し、同時にまた本田は彼らから愛された若い才能ということもある。
「ぼくは、こうした先輩たちが素晴らしいのは、音楽を達観している人たちだと思うからです。
高柳昌行さん、
渡辺貞夫さん、
富樫雅彦さん、みんなそうです。それぞれが素の音楽感覚をそのまま出している。それがすごいんです。個性とかスタイルの違いとか、そういうんじゃないんですね。できることなら、ぼくもそういう自分を押し通すような世界に行きたいんです。現代は音楽があふれかえっていますが、同時に音楽を表層部分で考えることが多い気がする。だから、音楽を聴いて沈んでいくものがない、人間らしさがなくなっているんじゃないかと思う。ブロッツマンも貞夫さんも世界は違うけど、音楽が好きということに変わりはないわけで、それぞれが自分を押し通すことで確立した人間らしい世界なんです。音楽があふれる現代に音楽で生きていくことは、昔からすると簡単な気がしますが、でも逆にプーさんや貞夫さんのように自分を押し通して生きることは難しいのかもしれない」
このICTUS Trioは、その難しい挑戦で結束したグループと言えるかもしれない。
本田珠也、その盟友のベーシスト
須川崇志、そしてピアノの新星、
佐藤浩一。それぞれがこの時代らしい万能な表現者たちだが、同時に彼らはそれに決して満足しない音楽家たちでもある。つまり、ジャズの即興の基本にどこまでもこだわる現代の才能でもある。
取材・文/青木和富(2018年1月)