さる3月5日に発表され、多くの音楽ファンが歓喜した
忌野清志郎のソロ・アルバム
『Baby#1』。この作品の元になっているのは1989年にLAで録音されていた未発表音源。そこに清志郎ゆかりのミュージシャン / クリエイターたちが、愛ある演奏やサウンド・トリートメントを加えることによって純然たる“ニュー・アルバム”として世に送り出されることになったのだ。今作の制作を担当したEMIミュージック・ジャパンのディレクター、廣瀬哲氏に話を訊いた。
――そもそもこのアルバムが制作された1989年、廣瀬さんは
RCサクセションの現場スタッフとして関わられていたんですか?
廣瀬哲(以下、同) 「いえ、私自身はRCと制作で関わったことはなくて、89年当時は新人ディレクターでした。その後、
仲井戸麗市さんのソロ作品の担当ディレクターをしていた関係上、仲井戸さんを通じて、清志郎さんに知っていただいていた感じです。それから年月を経て、今回のアルバムを制作するにあたり、当時、清志郎さんに関わっていた人間が誰も会社にいなくなっていたというところもあり、私が担当することになったんです」
――当時、清志郎さんがソロ・アルバムをレコーディングするという話は、どういうところから出てきたんですか?
「当時のことを知っている何人かの方にお話を聞いたんですが、『Baby#1』というアルバムは割とノリで制作が始まったようなんですね。
小原礼さんと清志郎さんがお知り合いになって、 “LAに来てアルバム作れば?”みたいな話になったんじゃないかと。それで、とにかく行っちゃえという感じで、当時、小原さんの住んでいたLAでレコーディングしたようです。時代的なことを考えると、88年に
『COVERS』の騒動がありまして、そのあと
『コブラの悩み』という非常に怒りに満ちたライヴ・アルバムがあって、そんななかご長男の竜平さんが88年に誕生されているんですね。1回、怒りに振り切れたベクトルが、ちゃんと愛に満ちあふれた方向にも振れていたという。それがすごく興味深くて。後期RCの活動は、ある種、ポリティカルなモチベーションで彩られているように見えるのですが、そんな中であのアルバムが作られていたということは、ある種の反動だったのかなとも思うんです」
――きっと、ご自身の中で上手くバランスを取っていたのかもしれないですね。
「そうですね。アーティストとしてのバランスをちゃんと取っていた、すごく重要な作品だったんじゃないかと思うんです」
――現地でのレコーディングはどんな感じだったのでしょうか。
「小原さんのセッティングで、当時、LAで活躍していた腕利きのミュージシャン、エンジニアが集まって、和やかに進んだようですよ」
――セッションの日数は?
「全部で11日間ですね。89年の2月に5日間、3月に6日間です。当時の清志郎さんは多忙で、それぐらいしかスケジュールが取れなかったみたいで。その後、RCが活動休止してしまったり、
タイマーズが思いのほか話題になったりで、清志郎さんを取り巻く状況が劇的に変化してしまい、この時のセッションはお蔵入りになってしまったようです」
――今回、作品化するにあたり、廣瀬さんがもっとも心掛けられたポイントは?
「亡くなったから、なんでも出しちゃうみたいな、いわゆるレコード会社的な考え方に基づいて、この作品を世に出すのは違うのではないかと思いました。2010年という時代の中で、ちゃんと意味のある作品として聴いてもらえるようなものにしたかったんです。そこで近年、清志郎さんの作品を手掛けられてきたエンジニアのZAKさんに作業に入っていただき、“清志郎さんだったら本当はこうしたかったんじゃないか?”という形を徹底的に話し合いながら作業を進めていきました」
――ZAKさんの存在がかなり大きかったわけですね。
「はい。ブラスをたくさん入れたり、あと、チャボさんに1曲ギターを弾いてもらうというのもZAKさんのアイディアです」
――1曲目の「I Like You」には清志郎さんの息子である竜平さんがコーラスで参加していますね。
「2010年に出る作品という意味でも、竜平さんにコーラスしてもらうことでアルバムに最後の判子を押したかったんです。もしかしたら、清志郎さんが天国からそういう采配をしたのではないかと、そんなことも思ったり。ご本人としても、自分について歌われているのではないかともとれるような曲が何曲か収録された未発表の作品なわけですから、喜んで参加していただけたのではないかと思っています」
――アルバム・タイトルはすぐに決まったんですか?
「はい。満場一致で」
――ジャケットに関してはいかがですか?
「ジャケットも、せっかくだから当時の未発表写真がいいのではという話になって、カメラマンのおおくぼひさこさんに“外に出てないもので格好いい写真はありませんか?”と無理なお願いをしたところ、快く探していただいた、というわけです」
――こうして作品ができあがってみていかがですか。
「みなさんに喜んでいただけているので、本当によかったなと思います。いろんなミュージシャン、スタッフの方々に協力してもらい、結果的にしっかりと2010年の音に仕上げることができた。これが正しい選択だったんだろうなと改めて思います」
――この作品を通じて廣瀬さんは清志郎さんのどういう部分をもっとも伝えたいと思ったんですか?
「先ほども申し上げましたが、激動の時期に制作されたにもかかわらず、それが愛に溢れた作品であったというのが僕としてはすごく嬉しくて。特に清志郎さんの曲は、ひとつのテーマを歌っていても、いろんなふうに受け取ることができますよね。<Baby#1>にしても、<I Like You>にしても、お子さんが生まれたことがきっかけになって生まれた楽曲かもしれないですけど、一方で普遍的なラヴ・ソングとしても聴くことができる。このアルバムが制作された頃は、清志郎さんのクリエイティヴィティがすごく良い感じで回っていた時期だったんだろうなと思います。ヴォーカルも力強いですし。そういう意味でも、清志郎さんが最も脂が乗っていた時期の作品といえるかもしれません。できれば一人でも多くの音楽ファンに聴いてもらいたい作品です」
取材/藤本国彦(2010年4月)
構成/望月哲