【interview】 ヤン・クーネン監督
イーゴリ・ストラヴィンスキーがロシア革命後、亡命生活を送ったパリで、
ココ・シャネルの援助を受けていたことは知られている。映画『シャネル&ストラヴィンスキー』は、シャネルがストラヴィンスキーを知るきっかけとなった1913年のバレエ『春の祭典』初演から1920年の出逢い、そして親密さを増していく二人の関係を描いた作品だ。1920年代という時代の転換期に現れた、ストラヴィンスキーとシャネルという二人の“革命的芸術家”。常識を打ち破り、新しい芸術を打ち立てようと、自らが追求する“美”だけを頼りに戦った二人だが、男と女の道は一つにはなりえなかった……。過激なクライム・アクション『ドーベルマン』で鮮烈な長篇監督デビューを飾った
ヤン・クーネンが描く世紀の恋。クーネン監督に聞いた。
(C)EUROWIDE FILM PRODUCTION
――2008〜2009年にかけて、シャネルを描いた映画が3本作られました。あなたはなぜ、シャネルの人生の中で、彼女とストラヴィンスキーとの関係を取り上げたのでしょうか。
ヤン・クーネン(以下、同) 「3本ともシャネルを描いてはいますが、ほかの2本は伝記的な映画ですし、シャネルが唯一本当に愛した人と言われているアーサー“ボーイ”カペルとの恋を軸にしています。カペルが事故で亡くなってから、シャネルはどうしていたのかはあまり描かれていません。じつはこの時期にシャネルはストラヴィンスキーと出逢い、ごく短期間、関係を持ちます。二人にとって、この1920〜21年という時期は重要です。そしてアートの世界においても、この1920年代という時代は“新しいものを作りたい”とシュルレアリスムが爆発し、芸術家があらゆる芸術を解体してオリジナリティあふれる作品を模索していた時期なのです。そんな時代に、アーティストであるということはどういうことか。革新的であるがゆえにリスクが大きく、芸術で生活はできない。そのジレンマ。彼らの心理と人間としてのありようを、愛と情熱と芸術をテーマに描いてみたかったのです。シャネルについての伝記的な映画にはしたくないとまず考えました」
(C)EUROWIDE FILM PRODUCTION
――なるほど。では監督にとって、シャネルとはどんな人で、ストラヴィンスキーとはどんな人なのでしょう。
「シャネルは1920年代のパリで自立し、自由に生きた“20世紀の女”です。芸術を衣装や香水という形で具現化したり、アーティストに出資し、“美”をビジネスとして育てるタイプ。彼女には同等な男でないと釣り合わないのです。ストラヴィンスキーはたしかに才能ある芸術家でした。彼は「音楽がおりてくるのをつかまえる」という言い方をしています。芸術を作ることは神秘的な踊りのようなものと感じていたのではないでしょうか。シャネルとはタイプの違う芸術家なのです。さらに彼は男と女を同等な関係として受け入れられる男ではありませんでした。自立したシャネルではなく、尽くしてくれる妻カーチャの支えを必要とする古いタイプの“19世紀の男”だったのです」
――違うタイプ、といえば、『ドーベルマン』と本作はまったく違うタイプの作品ですね(笑)。
「はははは。挑発的、という点では同じかな。見るからにアクション、といった作品を作るよりクラッシックな作り方をしてみるほうが、私にとっては新しい(笑)。だいたい、1920年代におけるストラヴィンスキーやシャネルは、常識的な“美”の破壊者ということで、パンクな存在だったんじゃないかな。そのあたりがヤン・クーネン的なのかもしれませんよ」
取材・文/まつかわゆま(2009年5月)
【column】 ストラヴィンスキーとその時代
イーゴリ・ストラヴィンスキー(1882〜1971)
1909年5月、ロシア出身の興行師
セルゲイ・ディアギレフ率いるロシア・バレエ団(バレエ・リュス)はパリで旗揚げ公演を行ない、大成功を収めた。アンナ・パヴロヴァや
ヴァスラフ・ニジンスキらダンサーをはじめ、若く才能ある人材を多数揃えたその舞台は、欧米のアート・シーンに大きな衝撃を与え、以後1929年にディアギレフが亡くなるまで、歴史に残るプロダクションの数々を世に送り出し続けることになる。
ロシア・バレエ団の新しさは、それまで音楽や舞台美術を添え物扱いしてきてバレエの伝統を打ち破り、それぞれの分野で第一級のアーティストたちに声をかけて協力を依頼し、あらゆる面で高いクオリティを誇る、総合芸術としてのバレエを目指したことにあった。詩人の
ジャン・コクトーが台本を書き、
アンリ・マティスやピカソ、ローランサンやユトリロといった画家たちが舞台美術を手がけ、舞台音楽は
クロード・ドビュッシーや
モーリス・ラヴェル、
マヌエル・デ・ファリャが書き下ろし、ロシア・バレエ団はまさに当時最先端の芸術の集約となっていく。ココ・シャネルもまた、1924年の舞台『青列車』に衣装を提供し、時代を彩るアーティストの一人として広く認知されたのだった。
さて、ロシア・バレエ団の活動のなかで、無名の作曲家としてデビューを果たしながら、やがてバレエ団の代名詞とすらなったのが、イーゴリ・ストラヴィンスキーである。1910年に『火の鳥』で注目された彼は、第2作『ペトルーシュカ』を経て1913年に『春の祭典』を発表した。映画『シャネル&ストラヴィンスキー』の冒頭にある通り、この舞台の初演は大スキャンダルを巻き起こす。主な非難は当時のバレエの常識からかけ離れたニジンスキの演出に向けられたものの、ストラヴィンスキーの音楽もまた批判の矢面に立たされた。目まぐるしく交替する変拍子が生み出す複雑なリズム、これでもかと叩きつけられる不協和音、そして何より、音楽に描かれた古代ロシアの儀式が漂わせる異様な雰囲気に、洗練された舞台を期待した聴衆はブーイングを投げつけたのだった。
しかし『春の祭典』はその後オーケストラの演奏会用音楽としてたいへんな人気を得、ついには20世紀音楽最大の傑作とまで言われるようになる。大荒れだった初演の晩に実際にココ・シャネルがいたかは不確かながら、彼女の耳に『春の祭典』がどう聞こえたかは多くの人に興味のあるところだろう。
文/相場ひろ
映画『シャネル&ストラヴィンスキー』1月16日(土)より、シネスイッチ銀座、渋谷Bunkamuraル・シネマほか全国ロードショー!
監督:ヤン・クーネン
原作:クリス・グリーンハルジュ著『COCO&IGOR』
出演:マッツ・ミケルセン、アナ・ムグラリス 他
制作:2009年/フランス/119分
配給:ヘキサゴン・ピクチャーズ
【オフィシャル・サイト】
http://www.chanel-movie.com/