――デビューしてすでに四半世紀が経とうとしていますが、これまでのキャリアを振り返ると、どんな感想を持ちますか?
「自分自身にとって何が“よい”のかがやっと分かるようになれた気がしているね。アーティストとして完全に成長できる人は非常に少ないと思うけど、自分ではそれができると信じているんだ」
――ターニング・ポイントと呼べるものはありますか? 96年作の
『トランポリン』あたりから、大きく舵を切ったようにも思えますが。
「うん、僕も同じことを感じるよ。それまでは、スタジオ・ライヴ的なレコード作りをしていたんだ。でも、僕はレコードの作り手として“映画監督”になりたかった。普通の録音では作り出せないような雰囲気を作りたくなって、『トランポリン』はサウンド操作のやり方を変えてみた最初の作品だったんだ」
――また、あなたはどんどんジャズに対する造詣の深さも見せるようになるわけですが、ジャズは昔から愛好していたのでしょうか?
「15歳の時に
セロニアス・モンクを聴いたのが、最初のきっかけなんだ。僕は百歩譲ってもジャズ・アーティストじゃないけど、音楽的な素養を深めるために聴くのはジャズだけ。もちろん、ジャズ・ミュージシャンとはこれからも一緒にやっていく。彼らの音楽との接し方が好きなんだ」
photo by Lauren Dukoff
「振り返ってみるとテーマがあることに気づくというのはあるね。特定の時期に書いた曲を見ているうちに、各曲が持つ一貫した発想や言葉やイメージに気づくみたいな。アルバムそれぞれにはどれも個性やテーマがあるように思えるけど、それは多分、各楽曲が一まとまりの期間に作られたものだからなんじゃないかな」
――シンガー・ソングライターとして世に出ましたが、現在はいろんな人を扱うプロデューサーとしてもおおいに活躍しています。その二つをどう両立させているのでしょう?
「その二つを別物として見るのではなくて、同じ芸術的所作だと考えているんだ。一方をやるためにもう一方は脇へ置いておく、みたいな感覚はない。扱うアーティストを選ぶポイントは、曲がよくて、アーティストが独自の視点を持っているということに尽きるね。ジャンルは、僕にはほとんど関係ないな」
――あなたが関与する作品に触れると、文学や映画に対する造詣の深さにも大きく頷かされます。また、ジャケット写真選びなどもよく考えられていますし、パッケージとしてのアートということにも留意しているように思えます。
「まったく、おっしゃるとおり。映画や文学にはすごく影響を受けている。あと、レコードのジャケットというのは、普通その音楽への入り口で、誰でも最初はジャケットを手にすることから始まるよね? であるわけだから、ジャケットは出来上がって後にくっつければいいものではなく、音楽の延長線上になければならないんだ」
photo by Lauren Dukoff
――結局、あなたはリーダー作やプロデュース作で、アメリカの不可解な襞やストーリーを描こうとしているようにも思えますが。
「僕がアメリカ人であるのは偶然の結果なわけで、その偶然を恨んでいるとほのめかしているわけではないよ。たしかに、アメリカは特定の視点を押し付ける傾向があるし、言語を押し付ける国であることも知っている。僕が本当に関心があるのは人間性であり、人間が神に命ぜられた慈悲心の実践とどう向き合っていくかということ。人間がそれを実践できていない場合にも興味があるな。結局、人生という旅に関心があるんだ」
――あなたの奥さんは
マドンナの妹ですが、彼女は音楽をしていないんですか?
「ミュージシャンではないけど、もちろんすばらしい聴き手だよ。彼女は音楽がこの世界にもたらす力を知っているんだ」
――新作で管楽器をやっているレヴォン・ヘンリーは息子さんですよね。どうして、レヴォンと名付けたのでしょう?
「ええ、レヴォンは息子で、『ブラッド・フロム・スターズ』を録音した時は17歳だった。自分の息子であるし、スタジオのすぐ上の階に住んではいるけど、起用した理由は彼の音楽性が気に入っているから。いいメロディとむちゃくちゃな激しさのバランスがいい。フルネームはレヴォン・レイ・ヘンリーといい、
ザ・バンドの
レヴォン・ヘルムと
レイ・チャールズからとったんだ」
取材・文/佐藤英輔(2010年3月)