ベストセラー作家、吉田修一の『犯罪小説集』を瀬々敬久監督が映画化した『楽園』が公開直後から大きな話題を呼んでいる。綾野剛、杉咲花、佐藤浩市といった役者陣が白熱の演技で迫り描く世界に印象深いサウンドでもう一つのエッセンスを与えているのはユップ・ベヴィンだ。身長207センチ、口ひげに覆われたルックスの彼は、オランダ出身のコンポーザー&ピアニストで、その佇まいはとてもナチュラルで友好的。世界中でもっともストリーミングされているピアニストのひとりである彼へのインタビューは、まず、映画の話題からスタートした。
――映画『楽園』のオリジナル・サウンドトラックを手がけることになった経緯を教えてください。
「ある日突然、“瀬々監督が新作映画で楽曲を使いたがっている”とレコード会社を通してオファーがあったんです。とても驚きましたが、もちろん嬉しかったですよ。というのも、僕は若い頃、映画関係の仕事をしている友人と、日本に赴きカメラをまわそうとしたことがあるからです。結局、実現しませんでしたが、年月を経てこんなふうに日本映画と関われるなんて! まるで“夢のシナリオ”というギフトをいただいた気分でしたね」
――夢が叶った?
「はい! 今回にかぎらず、僕はいつの間にか願いが叶っていることがけっこうあって、不思議だなと思っています。ただ、運良く夢が叶ったからこそ、感謝の気持ちを絶対に忘れちゃいけないと自分に言い聞かせているんですよ」
――ところで、劇中で流れている楽曲は1曲だけ映画の為に書き下ろしたそうですね。
「もともと、監督はすべて、書き下ろしの曲を映画で使いたかったようですが、依頼を受けたその頃、僕はサード・アルバム『ヘノシス』(2019年4月リリース)の制作が佳境で多忙を極めていました。それで、以前発表した楽曲を自由に使っていただき、1曲だけは書き下ろすことにしたんです」
――世界同時配信された「愛華」ですね。
「新曲に関しては、瀬々監督からラスト・シーンで使いたいと事前に伺っていたので、その映像を観てミーティングを重ね、監督のアイディア、つまり、退廃的なムードで映画を終えたくないという想いを受け止めて書き上げました。僕の音楽というのは、この曲にかぎらず、寂しさと希望が共存していると自分でも思っていて、初めて、映画『楽園』を観た時にも同様の感覚を随所に感じました。だからこそ、監督は僕の音楽を起用したかったのでしょうし、そういったことも考慮しながらミニマムだけれども聴いた人がいかようにも解釈できる、でも、どちらかといえば希望を持てる曲をイメージして作ったのが〈愛華〉です」
――ほかの曲は監督がどのシーンで使うか、すべて決めている?
「彼が西洋人だったら多少はサジェスチョンしていたかもしれませんし、その意見によっては作品のカラーが違っていたかもしれない。でも、僕は日本のカルチャーに疎いので、今回は全面的に監督お任せしたほうがいいと判断しました。いずれにしても、僕の音楽が映画で使われたことにより、一段階レベル・アップしたように感じています」
――あらためて伺います。映画『楽園』をどのように受け止めていますか?
「シュールな作品ですね。それと、映画を通じ、瀬々監督とは同じ価値観や真実を分かち合えたように思っています。最近は、日本映画も海外でかなり公開されていてファンも非常に多いですから、『楽園』もぜひ世界各国で上映してほしいです」
――ところで、ユップさんは映像と音楽の関係性について、どのような考えをお持ちですか?
「僕自身、映像と音楽を合体させることはすごく好きなんです。たとえば、こういう映像を撮ってほしいと音楽の求めている声が聞こえる時があります。逆に、映像が音楽を求めていると感じる場合もあるんですよ。その絵がラブリーだったとしても悲しいサウンドを組み合わせることによって意外な何かを生み出せたり、アグレッシヴなシーンに穏やかな音楽を重ね、そのアグレッシヴさの意味合いを変えることもできる。音と映像の組み合わせはそれこそ無限ですから、じつに興味深い関係だと思っていますが、その一方で、音を聴いて浮かぶ画像は聴く人それぞれ違っていいとも思っています。リスナーのメンタルな映像を奪いたくないという気持ちもあるんですよ」
――では、ピアノを弾くという行為はご自身にとってどのような意味を持っていますか?
「メディテーションとコミュニケーションです。瞑想というのは、見えない大きなモノと自分をチューンすることですよね。コミュニケートするのも、ある場所にサウンドを持っていこうとすることだから、同じゴールに向かった2つの道だと思っています」
© Rahi Rezvani
――ところで、ピアノは6歳から弾いているんですよね?
「家にピアノがあったので3歳ぐらいから触って遊んではいました。それを見ていた両親がレッスンに通わせてくれて14歳まで続けたんです。レッスンに行くのをやめたのはニルヴァーナを聴いて衝撃を受けたのがきっかけですね(笑)」
――ということは、最初のアイドルは……。
「ハービー・ハンコックです! 13歳の頃、〈ハング・アップ・ユア・ハング・アップス〉を聴いてハマったんですよ。彼のクールでフリーなプレイも好きでしたし、サウンド・クリエイターとしても憧れました。その少し前にマイケル・ジャクソンのアルバム『スリラー』にも夢中になりましたが、初めてアイドル視したミュージシャンはハービーです」
――子供の頃からジャズも聴いていたんですね。
「母がブルース好きだったし、ピアノの先生が地元のジャズ・クラブで演奏していたので、子供も鑑賞OKな日曜の午後、聴きに行っていました。そんなふうにジャズなどの音楽に触れるチャンスはごく自然にありました」
――曲を書く時は、ご自身の体験や感情とリンクしていることが多いですか?
「自分の感情を曲で表すこともありますし、無意識に反映されている場合もあります。でも、多くの場合、真っ白なページに出てきたモノを受け止めているだけなんですよ。だから、自分でもどう書いたのか覚えていないことのほうが多いんです。気が付いたら曲がそこにあるという」
――では、プレイする際に大切にしていることは?
「ひとつの音を鳴らして反響した音と、反響と反響の間にある静けさも味わいたいと思っています。要は空いたスペースを埋めるというよりは、音そのものをできるだけ近くに感じたい。だから、僕はアップライトピアノで演奏しているんです。グランドピアノよりも自分の求めているインティメイトなサウンドが出しやすいからです。とくに古いアップライトピアノの低音はブランケットに包まれたような温かみのある音が出せるんですよね。ピアノとひと口に言ってもそれぞれキャラクター、いや、魂があり、僕の作るシンプルなメロディにはアップライトピアノがフィットしています」
© Rahi Rezvani
――コンサートの場合、ピアニストはご自身の楽器を使えないですよね。
「自分好みの音を出せるよう、つねにフェルト生地を持ち歩き、それをピアノ弦の間に入れてエフェクトをかけるようにしています。レコーディングに近い音を再現するために、マイクのポジション決めにもかなりこだわっていますよ」
――では、最後に音楽家としてどんな時に喜びを感じるか教えてください。
「曲を作っている時ですね。何が生まれるか、自分でもわからない期待に満ちた時間が好きなんです。ショウで演奏している時にオーディエンスが自分に寄り添ってくれていると感じた瞬間も堪りません。そこに自分がいることさえも忘れて飛び回っているような気持ちになります。今後も聴いてくれた方の心に響く音楽を作り続け、また日本でもコンサートができることを今、あらためて願っています」
取材・文/菅野 聖