KMCの新作となる『I'M A FISHERMAN'S SON...POINT OF NO RETURN』。これは彼にとって2回目のデビュー・アルバムになるだろう。自身の原点や衝動、意識、思想、そして故郷……そういった「KMCを構成する要素」を、躊躇することなく、そして丁寧に分かりやすく綴った本作は、「ラッパーKMCがなぜ存在し、なぜラップするのか」という、KMCの根本意識が不退転の決意と共に押し出され、彼の強烈な声質と音量と併せ、これまで以上に「KMCという実存」がリスナーの眼の前に迫ってくるような迫力を持つ。
そのラップをコーディネートするのは、O.N.Oのビート、THA BLUE HERBのプロデュース、そしてTHA BLUE HERB RECORDINGSからのリリースという、盤石なバックアップ。このアルバムを通してKMCの魂に触れることになるだろう。
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――個人的には、今回のアルバムは、すごく1stアルバムっぽいと感じました。KMCさん自身の1st『東京WALKING』っぽいという意味ではなく、バックグラウンドや自分の意識、これまでの蓄積を形にするという意味で、世の中で言われる1stアルバムっぽいと感じました。
「そういうことをしっかりやりたかったんです。これまでの作品制作を通して、自分のやりたい事が明確になっていたし、その上で今回は一曲一曲しっかりと丁寧に、テーマをしっかり定めて作っていこうと。それには、O.N.Oさんとの制作という部分も大きく作用してると思います」
――今回のアルバムはTBHRからのリリース、そしてトラックはO.N.Oさんのワンプロデュース作品になりますが、そのキッカケは?
「2年前ぐらいに、〈Contact〉でTHA BLUE HERBとO.N.Oさんのライヴがあったんです。そこに遊びに行った時に、出したばっかりだった『ILL KID』のCDを渡したら、O.N.Oさんが“KMC、曲一緒に作ろうよ、なんならアルバムぐらいでもいいよ”と話を振ってくれて」
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――O.N.Oさんは2015年リリースの『KMC!KMC!KMC!』収録の「Singin' The Rain」でもプロデュースを手掛けられていますね。
「その流れもあったんで、次の作品を出す時に1〜2曲ぐらいお願いできればなと考えてたんです。そうしたらCDを渡した1週間後ぐらいにO.N.Oさんから連絡があって、“じゃあ制作始めようか”みたいな(笑)。ただ、O.N.Oさんもいろんなプロジェクトを抱えていて、実際の作業に入るまではちょっと時間がかかるという話だったんで、これまで発表されてるO.N.Oさんのビート、たとえばYOU THE ROCK★さんのアルバム(TBHRからリリースされたYOU THE ROCK★『WILL NEVER DIE』)のトラックとかにラップを勝手に乗っけて、O.N.Oさんに投げまくったんですよね。それが2022年」
――いわゆるビートジャック的な作り方を最初はしたんですね。
「O.N.Oさんってめちゃくちゃノリがいい人だし、俺も緊張してる場合じゃないな、懐に飛び込んでいこうと思ってガンガン作って、ガンガン送ったんです。そのリリックがベースになって、今回のアルバムに繋がって。だから、自分のリリックが出来上がってから、O.N.Oさんがトラックを作ってくれた曲がほとんどなんです。リリックがある状態でO.N.Oさんにトラックを作ってもらうから、“この曲はこういう内容で、こういうことを歌ってます”みたいに、しっかり内容を固めないと、O.N.Oさんもトラックが作りにくいと思ってたし、余計にメッセージや構成を明確にしないとな、と思いましたね」
――トラックにラップ/リリックを乗せるんじゃなくて、ラップ/リリックから逆算してトラックを作るから、ある意味ではプレゼン作業が必要だったと。
「そこで、自分の感情通りのトラックが組み込まれた曲もあるし、いい意味で裏切られたり、驚かされたビートもあって。そういうふうにO.N.Oさんのトラックと俺のラップという歯車がいい感じで噛み合ったと思います。O.N.Oさん自身も“普段はこういう作り方をしないから、すごく面白かったし、映像に音楽を当てはめるみたいな感じだった”と話してて」
――テーマやメッセージに対してビートを作るという意味では、劇伴に近いかもしれないですね。O.N.Oさんのビートの独自性は、ラッパーとしてはどんな部分だと感じますか?
「なんというか、暴力性……というと表現は悪いかもしれないけど、なんか鉄パイプっぽいというか(笑)」
――ハハハ。でもわかります。今回のサウンドもソリッドな硬質感が強いし、それがO.N.Oさんのシグネチャーでもあると思う。
「本能のままにビートを打ちまくることで生まれる、身体を動かさずにはいられない“これぞダンス・ミュージック!”という強さに加えて、音や鳴りは洗練されていて、さらにそこに金属の硬い感じが込められてるから、なんか鉄パイプでぶん殴られてるみたいな感じなんですよね(笑)。しかも、オーセンティックなヒップホップも当然作れるし、ドープなエレクトロも、ポップなサウンドも何でもできる。どれだけ振り幅があるんだろうなって毎回感じますね。それは今回も当然そうでした」
――一方、KMC作品に最初期からトラックメイカーとして関わり、一時はバックDJも手掛けていた、KMCさんの盟友とも言える存在にSTUTSさんがいます。彼のサウンドはオーガニックな感触があるし、O.N.Oさんが金属バットだとすると、STUTSさんは木製バットというか……どっちも強烈な打撃力はあると思うんですが、その素材感は違うと思うんです。その意味では、その違いはラップを乗せる際には感じましたか?
「感じるけど、そこで自分のラップ自体は変化していないですね。トラックの感触に合わせてラップを調整するのは、どのトラックメイカーとの仕事でも一緒だから、ことさら相手がこうだから、というのは意識しなかったです」
――なるほど。では今回のリリースがTBHRになったのは?
「それも結果的なものです。まずはO.N.Oさんと作るという前提があって、2023年の2月に札幌のO.N.Oさんのスタジオに入って、それまで作りためていたものをしっかりと録り始めて。だから、TBHRと作ってるというよりは、まずはO.N.Oさんと作ってるというマインドだったんですね。そうしたらBOSSさんが、“TBHRから出そうよ。プロデュースもするし”と話してくれたんで、“ぜひ!”と。TBHRから出せるラッパーはなかなかいないと思うし、そうやって声をかけてくれたのは、本当に嬉しかったです」
――YouTubeに上がっている対談の中でも、BOSSさんもいわゆるエグゼクティブ・プロデューサーのような形で参加された経緯についてお話されていますね。
「全体像だったり、アルバムの内容というよりは、“この部分はもうちょっと韻を固くしよう”“ちょっとわかりづらいから書き直そう”みたいな、細かい部分だったり、曲ごとのアプローチを相談させてもらった感じですね。“このブレイクをもうちょっと長く”“ここディレイで飛ばして”みたいなトラックや聴感の部分も含めて、いろんなアイディアをもらって」
――いわゆるコライティング的なアプローチも含めての参加ということですね。いままではそういう経験はありましたか?
「ないです。誰かに言われて歌詞を書き直すようなことは、極力したくなかったし、やらなかった」
――それが“ソロMC”ならではの部分でもありますよね。では、コライティング的な作業をやってみての感触は?
「やっぱり最初はめちゃくちゃキツかったです(笑)。“そんなの言われても無理でしょ”と何度も思ったし、寝込むぐらい大変だった。でも、やっぱりリリックがふわふわしてると言われるんですよ。俺としてもフレーズに走っちゃう部分があったんですけど、“お前、これホントに言ってるか?ここに命賭けられるか?”みたいに、やっぱりBOSSさんにはバレる。でも、そうやって突きつけるだけじゃなくて、“じゃあ一緒に考えようぜ”みたいなアプローチをしてくれたのは、本当にありがたくて。“ここはこう表現すれば意味も変わらずに韻が固くなるよな”みたいな、すげえ真っ当な提案をしてもらったし、アドバイスを基に直すと、本当に良くなったから、内容の精度はかなり上がったと思います」
――作品を研ぎ澄ます作業になったというか。
「BOSSさんも“俺のアルバム”ということを念頭に置いて、すごく気を遣って“提案”してくれたと思うんですよね。それは本当にありがたかった。〈SORRY FOR THA WAIT〉も、もっと過去を振り返る内容だったんですよ。だけど“これじゃいままで言ってることと変わんねえぞ?”みたいな。それでごっそり書き直したり」
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――この曲では“得意のALBUM 出す出す詐欺”と歌っていますね。KMCさんはけっしてリリースペースが早いほうではないと思いますが、今回は『ILL KID』のリリース直後から制作に入られたようですね。
「書くペースが上がったんですよ。それはコロナ禍が大きかったと思いますね。しばらくまったく身動きが取れない時期があって、ライヴもできない、スタジオに入ってRECすることすら難しいって状況にすごく焦ってた。でも“逆にこういう時期も必要なんじゃないか”と一旦冷静になってみると、その中で“じゃあいま何ができるのか”と考えたら、とにかくリリックを書く、曲を作るということだった。そしたら2020年のうちに、30曲ぐらい曲が書けて、それが『ILL KID』にも繋がって。そこからリリースとか関係なく、とにかく曲を作るというモードに入れたんで、曲を書くペースも上がったし、それが今回のアルバムにも繋がって」
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――“完成させる/リリースする”から“まず作る”へモチベーションが変わったというか。
「そうですね。“とりあえず書くしかない”という。今後の話になっちゃうんですけど、いまは早く書けることはわかったから、その上でもっと時間をかけようと思ってます。リリックと向き合って、より精密な内容にするというか。BOSSさんほど打ち込めるかはわからないですけど、でも、その方向に向かうと思いますね」
――一方で“頑張り続けることに疲れちまった”とも歌います。キャリアを重ねるラッパーは誰しも感じることかもしれないと思いますが、やはりこの赤裸々な告白は驚きました。
「ラッパーだけじゃなくて、俺みたいな気持ちになってるリスナーも、これを聴いたら奮い立つと思ったんですよね。俺みたいなやつが世の中には絶対いて、そいつらが絶対“おお!”となるだろうな、と。それに尽きますね。俺自身、いろんな人をガッカリさせてきたと思うけど、その気持ちに報いたいんです。しんどいこともあったけど、少なからずいいこともあったし、助けてもらうこともあった。でも、裏切ることもあったし、失望させたこともあった。そこで単に後悔するんじゃなくて、それも宿命だと受け入れて、前に進むべきだなって。“もう誰も待たせることはしないし、俺もやるぜ!”っていう。自分にも、リスナーにもそういう気合をぶち込みたかったんです」
――そういう自責の念は“ケツを叩いてくれたVLUTENT ALSTONES RESPECTしてくれた静岡軍団 散々振り回してしまったSTUTS”という歌詞に具体的に現れますね。
「STUTSには本当に迷惑をかけたと思うし、うんざりされたこともあると思うんですよ。それでも変わらずにずっと応援してくれるのは、本当に嬉しい。O.N.Oさんも、2ndの時には早い段階でトラックもらったのに、結局あの時はリリースまで3年近く待たせてしまったり。それでもこうやって気にかけてくれるんだから、もう絶対に格好いいものを作るしかないし、それが恩返しだと思ってますね」
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――そして今回のアルバムですが、「SETTING SAIL」「PERFECT STORM」と、絶海の中で戦うイメージが浮かぶ2曲から始まります。
「今回、最初にできた曲が〈PERFECT STORM〉だったんですよ。遠洋漁業の漁師の息子という部分と、自分のラップ人生を重ねた、荒波につっこんでいくようなイメージを、O.N.Oさんだったら受け止めてくれるかなって。自分自身、今はラッパーで漁師ではないけど、高校は漁師の学校に通ってたんで、そういうルーツも打ち出せるとより立体的になるんじゃないかと」
――「CALL & RES TO B-BOY」は、非常にKMCさんらしい声量と、B-BOYマインドが折り重なった、ヒップホップ賛歌として形になりました。
「最近、みんなあんまり“B-BOY”って言わないじゃないですか。STUTSとも“それって寂しいよね”という話をしてて。やっぱり“自分がB-BOYである”ということに、みんな誇りを持ってたと思うんですよ。ヒップホップに自分を捧げてることにプライドがあった。そういう気持ちをこの曲で奮い立たせたかったし、自分としても曲にしたかったんですよね。そういうマインドと、海のど真ん中の無線も通じない場所にだったら、コール&レスポンスという通信手段しかない、だから声上げていくしかねえぜ!みたいなイメージを繋いで」
――「CLASSICS」はラッパーとしての原点が書かれていますね。
「じつはあんまりちゃんと言えてこなかった内容なので、あらためてここで言っちゃおうかなと。俺でしかできない、言えない歩みをしてると思うし、それは一度はっきりと形にしたほうがいいと思ったんですよね。遠藤ミチロウのライヴを見て泣きながらチャリで帰るような経験をしてるラッパーは俺だけだろうし、“ハチ公前サイファー”とか“触”に通ってたり、『ULTIMATE MC BATTLE』の2005年の決勝戦(カルデラビスタ VS 漢)の陪審員に選ばれたりしたような、そういう目撃者としての部分は絶対言っときたいなと。ただ、もともとは〈STARBUCKS FREESTYLE〉のビートにこのラップを乗せてたんです。だけどBOSSさんが“この内容は〈STARBUCKS FREESTYLE〉のビートじゃないほうが映えるよね”と。それでビートを変えて、それに併せて内容や構成も少し調整しました」
――「FALLIN' DOWN」は、コンシャスな内容だけど、天下国家を大上段から論じるのではなく、一市民の視点、市井の人間として書いてるのが印象的だし、誠実だなと。
「ここで歌ってるような内容は、みんなが世の中に感じてることだと思うんですよね。だけど、実際になにかそこでアクションを起こすのは大変なことだし、動こうと思ってもどう立ち上がればいいかがわからない人も多いはず。実際、俺もそうだし。“立ち上がっても意味ないでしょ”みたいな気持ちにさせられることばっかりじゃないですか」
――これだけ世の中が悪い方向にしか進まないと、政治的にも経済的にもアノミー状態に陥ってしまう人は多いと思います。
「選挙に行く人が減ってるのもそういうことですよね。“難しいことを考えないで済むならそれでいいでしょ”みたいな気持ちもあると思う。でも、そういう無気力を捨てて、ちゃんと考えないと、かなりヤバい状況じゃないの、って。いろんなことを考え始めたら、発狂するぐらい大変だとは思う。だけど、その状況を敢えてリリックにして、“そこで自分がどう考えているか”“どう感じているか”の意思表明ぐらいはしないと、ラッパーとしてどうなんだろうと。ラッパーとしてもそうだし、人間として“これはおかしい”と思うなら、それを言葉にして、それが人の心を突き動かす原動力にしたかった。この意見が正しいか間違ってるかはわからない。だけど、この世の中で何が問題だと感じてて、何がムカつくかを書くのは、やっぱりラッパーの役目だと思うし、それがヒップホップだと思うんですよね。だから、今後もこういう曲を作りたいなと」
――「MY MEMORY LANE 0548」ではご自身の故郷や地元、家族という原点について書かれています。
「いままで生い立ちを明確に書いたことはなかったんで、それをやっと書ける時期が来たのかなって。“自分のラップで何もかも変えてやる”と思ってるし、それによって自分自身も変わっていくはずなんですけど、それでも自分の地元や家族は絶対に変わらない存在だし、それを大事にしたいとあらためて思ったんですよね。東京に出てきても、振り返る場所は静岡だし、ここを忘れないでいようと。両親から電話があっても、小っ恥ずかしくて感謝もしないし、電話とかも全然シカトするんですけど(笑)。それでも、これを聴いて両親や地元の仲間が喜んでくれれば嬉しいですね」
――アルバムは「IT'S A NEW DAY」で閉じられますが、“嵐に飲み込まれ死んだはずだった俺”という言葉には驚きました。そういう自己認識があったんだなと。
「KMCのことを忘れてるリスナーもいるだろうし、俺自身も“もう死んだっしょ”ぐらいに言ってるけど、“ところがどっこい、生きてるぜ!”って(笑)。このアルバムで俺はやりきったと思うし、充実感もあるんだけど、ここで満足して終わりじゃなくて、“いや、逆にここからまた新しいことを始めるよ”という意識ですね。もう嵐も収まって、空は青く広がってる。それは人生においても、ラップにおいてもそう感じてるし、万全の状態だから、また船を出そうと思いますね」
取材・文/高木“JET”晋一郎 撮影/Katsuki Abe