――桑原さんの新作はバラエティにとんだ楽曲と編成で、桑原さんの音楽的な広がりや深みが伝わってきます。こういったアルバムを作ろうと思ったきっかけから教えてください。
「最初から凝ったものを作ろうと思っていたのではなくて、アルバムを作ろうってことになったときに、すでにできていた曲が数曲あったことと、最終的に曲に対して何の音が必要かを考えて、たくさんのゲストに迎えることになりました。結果的に宝箱をひっくり返したようなものになったんです。なので、これは自然に自分の中にあったものなんだと思います」
――今回、ベーシックなバンドとして、ウッド・ベースの
鳥越啓介さんとドラムスの千住宗臣さん、フレットレス・ベースの
織原良次さんとドラムスの
山田玲さんというふたつのトリオがあります。この両方と一緒にやるというのはなにか理由があったんですか?
「鳥越・千住はレギュラー・トリオですが、山田君のスウィング感が大好きだったし、フレットレス・ベースとウッド・ベースは音色が全然違うし、どうすれば彼らがいちばん活きてくるかを考えて。この素晴らしいリズム隊4人に出会ってしまったので、ここはもう両方入れるしかないと思ったんです」
――このふたつのトリオはそれぞれが桑原さんの別の面を引き出していますね。
「そうなりますよね。それを意識して曲を書いたわけではないのですが、結果的にそうなってると思います」
――このふたつのトリオをベースに、たくさんのゲストが参加しています。
ものんくるの吉田沙良さんの歌が3曲入っていますが、彼女の声を必要としたのは、桑原さんの中で彼女でなければいけない何かあったのでしょうか?
「沙良ちゃんの歌はよく知ってるんですけど、彼女は歌を歌うというより、言葉を歌う人だと私は捉えています。彼女はバンドでは日本語で歌っていますけど、一緒にライヴもしたことも何度かあって、彼女の歌うジャズ・スタンダードって―彼女は自分のことをジャズ・シンガーとは言ってなくて、実際そうなんだろうけど―ジャズ・シンガーだとこういったアプローチはしないっていうところがあって、それが面白くて人間らしくていいなって思っています。
寺山修司の〈悲しくなったときは〉という詩を私が英語にして書いた〈When You Feel Sad〉は、ライヴで沙良ちゃんに歌ってほしくて書いたものですけど、これは小学2年生の子が歌うべき曲なんだなって思って書いていて、そういうときの沙良ちゃんって女優みたいな感覚で歌いますよね。彼女の言葉の見方、捉え方が好きで、他のヴォーカリストは浮かばなかったです」
――寺山の詩をまず英語にするわけですよね。吉田さんは普段日本語で歌っていて、しかも寺山の詩ももともと日本語で、これをあえて英語にしたのは?
「私は高校2年のときから寺山さんのファンで、それこそ小学生でもわかる言葉を使って、ひきこまれる詩を書いた人ですよね。それだけで十分だなと。でも〈悲しくなったときは〉を読んだとき、曲にしたくなった。それには日本語だと強すぎると思ったんです。リズムも日本語だと単調だけど、英語にしたら変えることができる。意味を緩和することと、リズムのバラエティをつけたかったということですね」
――吉田さんはスタンダード曲「Love Me or Leave Me」も歌っています。曲はふたりで選んだのですか?
「いえ、これは私が選びました。沙良ちゃんは初めて歌った曲です。あえて古い曲を選びました。あんまり最近の人が歌っていない曲だし。この曲の詞の世界が好きなんです。ふられた女の子が意地になって大人びたことを言って、この娘の世界が確立してるような詞だなって。18歳くらいのアメリカの女の子をイメージしています」
――では1曲目からお話を伺いたいと思います。最初の「Opening-1」はすごく素敵な曲ですが、押してこなくて引くというか、静かな曲で始まるのがいいな、と思いました。フルートの武嶋聡さんとは?
「確かにジワジワ系ですね。武嶋さんとは初めてです。リード奏者を探していて、ジャズのサックス、フルートの人だと私と言語が似ているので、違う方向から探したときに武嶋さんはどうかなって」
――2曲目はガラっとかわってラップが入ってきます。桑原さんは最初はあまりピアノを弾いていなくて、だんだん入ってきますね。ラップはお好きだったんですか?
「海外のラップはずっと好きで聴いていました。でも自分の曲にラップを入れる日がくるとは思ってなかったですね。この曲は最初、ピアノ・トリオでやっていて、頭の中ではこの曲がいつか形になるならサックスは絶対ほしいと思っていました。でも何度かこの曲をライヴで演奏しているうちに、この曲には“言葉”が必要だと思ったんです。それでラップをいれたい!と。
〈MAMA〉は私が母親と大喧嘩したときに書いた曲です。喧嘩は愛情の裏返し。ママへの愛情の曲にしたいと思いました。ラップのDaichi君に、なんでもいいから“お母さんが大好きでたまらない”っていうリリックにしてくれってお願いしたら、彼はジャマイカと日本のハーフなのでジャマイカ人のお母様の生い立ちを書いてくれて、こんな視点があるのかって、彼の世界と私の世界が一緒になったって思えて、すごくうれしかった。彼に頼んでよかったです」
――最初に聴いたとき、突然「33年前〜」って始まったときには、え!?って思いましたよ。でも、細かいことはわからないけど、とても不安な人がここにいるんだってことが伝わってきました。曲も不安感というか緊張感というか、エッジが立っていてかっこいいなって思いました。サックスもいいですね。
「あれは私がリフをいくつか書いて、好きなところに入れていってもらいました。場所の指定もしないで、私のソロ聴きながら裏で入れてみてとか」
photo by Sato Takuo
――この曲は他のトラックとは違う世界が提示されていて、このアルバムのひとつのポイントになっていますね。さて、ストリングスが入っている曲が2曲ありますね。「Mother Sea」のアレンジは桑原さんですか?
「私が全部やりました」
――ストリングス・カルテットを入れるアイディアは?
「弦楽器が世界でいちばん好きな楽器なので。ライヴでは弦と一緒にやってましたけど、パッケージではこれが初めてです。
徳澤青弦さんと一緒にやりたいなって思って、それなら弦カルテットかなと。〈Mother Sea〉はストリングスを入れるって思いついてから曲を書きました。ドラム・ソロを録音するときにはまだストリングスがなくて、ここはあとから乗せています。ドラム・ソロにあわせてストリングスを書いているんですが、山田君には、ここにストリングスがあって、展開して最後のヴォーカルは海の声だから、この海の声のためのドラムをってお願いして構築してもらいました。それを聴きながらストリングスを書いて海の世界感を表そうと思って、時間をかけて作った曲です」
――スケールの大きな大曲です。吉田さんはいつ出てくるんだろう?って思いながら聴いてました。ここでトリオが織原さん、山田さんに変わってガラリと世界が変わります。やはりフレットレス・ベースの音は独特ですね。
「そうですね。唯一無二だと思います。奏法もかなり難しいと思いますが、織原さんはこだわってらっしゃるので。だから熟知してらっしゃいますね、音色のことも。音作りにもこだわっていただいて、ありがたかったです」
――次の「The Error」には
ベン・ウェンデルがサックスで参加しています。
ニーボディをはじめ、現在とても注目度の高いプレイヤーですが、彼とは?
「ただのファンでした。スウィング曲がどうしても入れたくて、それは山田・織原と一緒にやりたかったんです。で、サックス奏者を考えたんですが、一緒にやりたいプレイヤーは海外の方だったりして、どうしたらいいのかわからないまま、レコーディング日程も決まって、どうしようと思っていたとき、ベンが来日することを知って、ダメもとでお願いしてみたら快諾してくれました。ベンが吹いてくれるって決まってから曲を書きました。ベン、織原さん、山田君だとどんな曲がかっこいいだろうと思って。でも時間もないだろうし、形式もなにもない曲にして、ライヴ感覚で一発OKにしようと。夜中の12時にスタートして1時に終わりました。テイクを3つ録ったうちの3つめです」
――とてもかっこいい曲で、ベンのソロがけっこう長いですね。
「好きなだけ吹いてって言ったら、もりもり吹いてくれたので、私のソロも長くなりました」
――熱いジャズを感じました。ベンがいいフレーズを吹いて、そこから桑原さんがインスパイアされてるのがわかります。これを聴いて
ジョー・ファレルと
チック・コリアを思い出しました。
『マッドハッター』の「Humpty Dumpty」とか。ベンのサックスはジョー・ファレルっぽいところがありますし。頭の固いジャズ・ファンにはまずこれを聴けと言いたいですね。ちょっとこれを聴いて反省しろって(笑)。ほんとにすごかったです。
「ありがとうございます。まず〈MAMA〉から聴くよりいいかも(笑)」
――次はエレクトリック・ピアノで、沙良さんとのやさしい曲「When You Feel Sad」。
「ポップスみたいな感覚で書きました。沙良ちゃんの歌も直すこともなくてそのままです。世界感重視ですね」
――ピアニストとしての桑原あいを前面に出すのではなく、コンポーザー、プロデューサーとしての桑原さんの魅力が出ているのもこのアルバムのいいところですね。次は
プーランクの曲「Improvisation XV -Hommage A Edith Piaf-」です。この曲を取り上げたのは?
「今回の裏テーマに“母”とか“女性”とか“母性”とかがあって。〈MAMA〉や〈Mother Sea〉や〈MARIA〉もそうですし。ここ1〜2年、女性に生まれてよかったと思うようになったんです。母から言われてずっと理解できなかったことがようやく理解できた瞬間があったりして、たぶんこの裏テーマをつけたんだと思います。弦楽器は女性的な響きがするなって思っていて、いい意味で不安定というか、管みたいにパンって音が出るわけでなく、色気があって、男性だと包容力、女性だと艶が出るのでいいなって思います。
エディット・ピアフを敬愛していた
プーランクが、彼女に書いた曲ってことがすごくいいなと。それで、女性の人生をピアフに留まらず描こうかなって思って。ミニマル音楽も好きでよく聴いてたし、せっかくアレンジするならガラっと方向性を変えたほうがいいかなと思いました。この曲はメロディだけで美しいし、コードがなくてもいいと。そうやってアレンジしていくとピアノはいらないなってなってきて、最後の15秒くらいしか弾いてないです」
――国が特定できない、どこかの民俗音楽みたいですね。
「それも意識しました。打楽器はドラムだけなんですけど、千住さんが手で叩いています。イスラエルとかブラジルを混ぜた架空の国の音楽をイメージしてやってくれってお願いしました。チェロの徳澤さんには、何言ってるのかわからないって言われましたけど(笑)」
――とても効果的です。これドラム・セットなんですね、なにか別の打楽器だと思っていました。千住さんもほんとにユニークなドラマーです。彼にしかできないことがありますね。
「それこそ何しゃべってるかわからない、日本語で話しかけたらアラビア語で返ってくるような感覚でやっています。鳥越さんはその両方を理解して、自分の言語で話すっていう感じ。みんながそれぞれの言語で話して、それが最初にこのトリオでやろうと思ったきっかけです」
――面白い3人です。この曲もピアノがいつ出てくるのかなって思いました。
「今回はじらしてますね、私(笑)」
――次は
バーンスタインの「Maria」。ここは鳥越さんのベースをフィーチャーすると。
「もちろんです。『ウエストサイド・ストーリー』がすごく好きで、前々作では〈Somewhere〉をやっています。〈Maria〉は男性が女性に対して歌う曲で、“マリア!”しか言ってないような曲で、コントラバスで弾いたらいいだろうなって思ってたんです。でもジャズ奏者は弦をピチカートで弾くことが多くて積極的にアルコで弾く人が少なく、どうしてもアルコでやりたかったので、適任者が見つかるまで温めていました。そしたら、鳥越さんと初めて一緒にライヴをした時に、鳥越さんのアルコが素晴らしくて惚れてしまいました。1曲デュオの曲を入れたいなって思ったとき、鳥越さんの〈Maria〉しかうかばなくて。さっき言ったコンセプトにもあってますし」
――「919」はなにか由来のあるタイトルなんでしょうか?
「3年前の9月19日に安全保障関連法集団的自衛権の行使が可決された。なにそれ、おかしくない!? って憤って書きました。アーティストが政治的発言をすると叩かれるというか、アーティストは夢を与える存在でないといけないように言われていますが、欧米だとアーティストも発言するし、アーティストの前にひとりの人間として大事なことだと思ってます。でも幸か不幸か、私はSNSが苦手なので、そんな思いはネットで発言するのではなく全部曲にしようと。個性の強い曲なのでCDには入らないだろうなって思いながら、3年前に書いた曲です」
――でも、ここに入っているのは自然ですね。タイトルの意味を知らないと、ただかっこいい曲だなって思います。
「ですよね! タイトルについてはみんながこれを読んでへえって思うかも。それはそれでいいと思います」
――次の「Love Me Or Leave Me」は1920年代の失恋の歌。吉田沙良さんの歌があって、そして最後にタイトル・チューン「To The End Of This World」。ある意味、重いタイトルです。
「まあ、そうですね。自分では“この世界の果てまで”って翻訳しています。この世界の果てを描きたかったわけではなく、女性としてどう生きるかを描きたかった。すべての曲に主人公がいて、この曲は私自身の曲です。家族だったり恋人だったりペットだったり、誰かと一緒にいるときの温かい気持ちは愛だと思うんですけど、それを描きたくて曲を書いてみたら、思ってたより悲しい曲になって。これはこれで愛のかたちとしていいかなって思ったんです」
――じっくり演奏していますね。
「そうですね。この1〜2年で急に亡くなった友人がいて、生と死について考えることがありました。この間会ったばかりの人が亡くなってしまったりして、一瞬一瞬をどう生きるかで人生が決まるんだなって。そうした人たちを想い浮かべながら書きました」
――このアルバムには、桑原さんのここ何年かのいろんな考えが出ているということですね。
「だから曲調がバラバラなんでしょうね。よく、やりたいことがたくさんたまっていたんですねって言われるんですけど、そうじゃなくて。ほんとに自然に出したことなんです。考えてたことが音になったんだなって、自分でも思いました。リンクさせようと思ってなくても繋がっていたりして、はっとすることが多かった」
――ただ聴いていてバラバラな感じはしなくて、もちろんいろんな曲が出てきますが、統一感を感じます。それはなんていうか、桑原あいというひとりの人間にして音楽家がここにいるってことなんだと思います。こういう言い方はなんですが、脱皮したというか、次のステップにいった感がありますね。
「これまでは意気込むことが多かったと思いますが、今度のは胸のなかにあったものを落とし込んだ感じで、ほんとにいい意味で自分でもナチュラルにやれて脱皮した感ありますね」
――これは時間がかかる作り方だと思いますが。
「レコーディング自体はメンバーが来られる時間が決まっていたりするので、そんなに長い期間ではないです。私は考える時間が長くて、書き始めたらガーって書いて、後から手直しします。ですので、いろいろ決まってからは速かったです」
――このメンバーや曲調などを見ると“構想何年!”って感じがしますけど。アレンジもたいへんだっただろうし。でも、こういうタイプのアルバムって毎回は作れないですよね。
「作りたいと思わないですね。もうちょっとこれはいいです(笑)。もう一枚これを作れって言われても無理ですね。違うかたちでのヴァリエーションはできるかもしれないけど。それに最初からこういうのを作ろうとも思ってなかったし」
――でも、今度の作品は個人史的なメモリアルとしてもいいんじゃないですか。
「これまでの作品でいちばん好きですね」
――これからツアーもあります。このなかの楽曲を中心に演奏されるのですか。
「そうですね。レコ発はそうなると思います。でも、会場ごとにゲストが違うので毎回かたちを変えてやろうと思っています。〈The Error〉をライヴでやることが多くなるので、どうなるか面白そうだなって思ってます」
――楽しみにしています。今日はありがとうございました。
取材・文/村井康司(2018年8月)
■桑原あい ザ・プロジェクト[メンバー]桑原あい(p)鳥越啓介(b)千住宗臣(ds)
「東京JAZZ the Plaza」
9月1日(土)17:40〜18:25
代々木公園ケヤキ並木
『To The End Of This World』Release Tour
11月4日(日) | 福岡 Gate's 7 |
11月5日(月) | 大阪 梅田 CLUB QUATTRO |
11月6日(火) | 愛知 名古屋 CLUB QUATTRO |
11月7日(水) | 東京 築地 浜離宮朝日ホール |
■Ai Kuwabara with Steve Gadd & Will Lee Tour 2018[メンバー]桑原あい(p)ウィル・リー(b)スティーヴ・ガッド(ds)
9月20日(木) | 愛知 名古屋BLUE NOTE |
9月21日(金) | 大阪 梅田 BillboardLive OSAKA |
9月22日(土)〜23日(日) | 東京 南青山 BLUE NOTE TOKYO |
9月24日(月・祝) | 神奈川 横浜 MOTION BLUE YOKOHAMA |
■「Jazz At The Philharmonic 2018」10月31日(水) 18:00 OPEN/19:00 START
東京・日本橋三井ホール
http://www.nihonbashi-hall.jp/出演:佐藤竹善×上妻宏光/桑原あい ザ・プロジェクト/高岩遼