2006年に発表した1stアルバム
『オーライ・スティル』が全世界で250万枚以上を売り上げ、瞬く間に時代を代表するポップスターの座にのぼりつめた
リリー・アレン。“世代の代弁者”、“MySpaceの女王”、“わがまま勝手なプリマドンナ”、“過激なセックス・エキスパート”、“パパラッチの獲物”etc….枚挙にいとまがないほどのキャッチフレーズを冠する(冠された?)彼女ではあるけれど、つまるところリリー・アレンが優れた音楽家であることは間違いないわけで。敏腕プロデューサー、グレッグ・カースティンとともに作り上げた2ndアルバム
『イッツ・ノット・ミー、イッツ・ユー』の素晴らしい内容が、彼女の音楽家としての充実ぶりを何よりも雄弁に物語っている。2月末に来日した彼女を直撃し、アルバムのこと、政治のこと、そして料理のこと(!)まで、ざっくばらんに語ってもらった。
──面白いアルバム・タイトルですね。恋愛が終わるときの決め台詞である、「あなたのせいじゃない。私が悪いの」を引っくり返したようなフレーズで。
リリー・アレン(以下、リリー) 「恋愛というよりは、デビュー以来、私を批評してきた一部の人たちに向けた意味合いが大きいんだけどね。芸能一家の出身だから成功したんだとか、音楽と無関係なことをあれこれ言われてきた。でも、“それって私のせいじゃなく、あなたの問題”。そう言いたかったわけ」
──あなたが書く歌詞も、辛辣だけどユーモラスでもあります。
リリー 「なんであれ、人を見下したような書き方をするのは好きじゃないから。私なりの意見というのはあるけど、お説教じみて聴こえないよう、気は配っているつもり。歌を聴いて、あとは聴き手それぞれに考えてほしい」
──「ファック・ユー」では、皮肉満点な歌詞に対して、
バート・バカラックそこのけのラヴリーなアレンジが施されています。
──あなたの歌にも、ランディ・ニューマンが若い女の子の視点で歌ったらこうなるかも、と思わせるところがあります。
リリー 「だとしたら、うれしい。ランディ・ニューマンは子どもの頃から大好きだったの。父親(喜劇俳優の
キース・アレン)からの影響ね」
──あなたとグレッグも、ユーモアの感覚で共通するものがある?
リリー 「もちろん。私はロンドン、グレッグはLA出身だけど、彼もいわゆるハリウッド人種とは違うから。ヒッピー的な両親の元で育っているし、ベックとも仲がいい。ちょっとひねったセンスがあるのよね」
──グレッグのピアノに合わせて歌いながら、曲作りしていったそうですね。
リリー 「グレッグのピアノには、イメージをかきたてる力があるの。架空のサウンドトラックのようなもので、聴きながら浮かんできた情景を、即興的にまとめていく。他のやり方でレコーディングすること自体、今の私には考えられないな」
──楽しそう。
リリー 「1曲もできないまま、夕食だけ食べて帰った日もあったんだけど(笑)。締め切りに縛られなかったのが、かえってよかった。デビュー・アルバムで組んだプロデューサーの中には、“2日で3曲仕上げよう”みたいに、お仕事モードの人もいたから。グレッグは違ってた。音楽はあくまで生活の一部。一緒に料理したり、散歩したりする中から、音楽も自然に生まれてきたの」
──あなたも料理するんですか。
リリー 「タイ料理が得意。コリアンダーやココナッツ・ミルクで煮込んだチキンを辛〜い麺に乗せたり」
──一方、「ヒム」やボーナス・トラックの「カブール・シット」のように、イラクやアフガニスタン情勢について歌った曲も収録されています。
リリー 「合衆国やイギリス政府は“テロとの戦い”の名の下に進行を続けてきたわけだけど、本来の目的はサダム・フセインでもオサマ・ビンラディンでもなく、石油利権だったわけよね。そういった不正が我慢できないの。罪もない市民が日々殺されていっている現状を新聞やニュースで知るにつけ、なおさらね」
──「ノット・フェア」は男女で受け取り方がまったく違う曲ですよね。男性の聴き手は“ベッドで早かった”という歌詞にばかり反応して、続く“気を使ってほしかった”というフレーズは無視することが多い。
リリー 「そこひとつ取っても、男がどういう生き物かってことがわかるわよね(笑)」
──テーマの大小にかかわらず、“人間”に対する関心が高い気がするんですが。
リリー 「父が再婚してもうけた中には、犯罪を犯して刑務所入りした子どももいる。辛い人生よね。問題から抜け出せずに終わることもあるわけだから。そんな人たちのことも、私は理解したいし、許したい。その人がホモだから、あるいは肌の色が違うからといって排除しようとする右翼的な意見にも、断固くみしたくないと思っているの」
取材・文/真保みゆき(2009年2月)
【column】
リリー・アレンが全幅の信頼を寄せるプロデューサー、
グレッグ・カースティンとは?
ザ・バード&ザ・ビーのメンバーとしてだけでなく、セッション・ミュージシャンやプロデューサーとしても活躍するグレッグ・カースティン。
その経歴をざっと振り返ってみると、1969年にロサンゼルスで生まれたグレッグは、幼い頃にピアノを始め、高校卒業後にニューヨークでピアニストの
ジャッキー・バイアードに師事。その後、1994年に2人組ユニット、
ゲギー・ターのメンバーとして、
デヴィッド・バーンのレーベル“Luaka Bop”よりデビュー。3枚のアルバムを発表し、あらゆるジャンルをミックスしたオルタナティヴなサウンドで音楽ファンの注目を集めた。2001年には、ソロ・アルバム
『アクション・フィギュア・パーティ』を発表。
ショーン・レノンや
レッド・ホット・チリ・ペッパーズの
フリーなどの豪華メンバーが参加したこのアルバムでは、全編にわたってグルーヴィかつクールなジャズ・ファンクを披露している。
2005年には、
イナラ・ジョージのアルバム『オール・ライズ』(
日本盤は2008年に発売)に参加。ライヴ活動にも参加したグレッグはイナラと意気投合し、2人で曲作りをスタートさせ、ザ・バード&ザ・ビーを結成。2006年にジャズの名門レーベル・ブルーノート傘下の“メトロ・ブルー”と契約を結び、翌年、アルバム
『ザ・バード&ザ・ビー』を発表。収録曲「アゲイン&アゲイン」は日本でも大ヒットを記録し、“FUJI ROCK FESTIVAL `07”への出演や単独ツアーなどで来日公演も果たした。2008年12月にはセカンド・アルバム
『ナツカシイ未来』を日本先行で発表。日本盤ボーナストラックとして収録されている日産自動車「MOCO」のCMソング「ハート&アップル」では、かねてからグレッグがファンだと公言していた
コーネリアスと共演を果たし、大きな話題を呼んだ。
セッション・ミュージシャンとしての活動としては、レッド・ホット・チリ・ペッパーズ
『カリフォルニケイション』、
ベン・ハーパー 『ダイアモンズ・オン・ジ・インサイド』、
ザ・フレーミング・リップス 『アット・ウォー・ウィズ・ザ・ミスティックス(神秘主義者との交戦)』、
ベック 『ザ・インフォメーション』などのアルバムが代表的なところ。プロデューサー、ソングライターとしてもリリー・アレンをはじめ、
オール・セインツ 『スタジオ1』や
カイリー・ミノーグ 『X』、
ピーチズ 『インピーチ・マイ・ブッシュ』などの作品を手がけ、多くのヒット作品を生み出している。
文/千田正樹