左:グレッグ・コーゾ 右:ピエール・マチュー
――このユニット結成前は、それぞれどんな活動をしていたのですか? ピエール・マチュー 「僕はTVの司会者。こいつはインターネットのエロサイトで女のフリをしていやらしいチャットをしてたんだ(笑)」
グレッグ・コーゾ 「もう10年前の話だよ!(笑)。僕はフランスの有名なデパートで音楽監督をしてたんだ」
ピエール 「あと僕は、バイトみたいな感じで小さなクラブでDJもやってた。ロック系のDJさ。で、5年くらい前にクラブに出た時、MIDIコントローラーを持った変な奴が次の出番を待ってるなと思ったら、それがグレッグだった(笑)。僕らは意気投合して一緒に音楽を作ることになって、僕がやってたロックと彼がやってたエレクトロをミックスしてみることにしたんだよ。ちなみに、一緒に作業しながら僕はずっとグレッグが体を許してくれるのを待ってたんだけど、2、3年経っても駄目だったから、じゃあ音楽だけの関係にしようって決めて現在に至るわけ(笑)」
――はい(笑)。二人で音楽を作るにあたって、ロール・モデルはいましたか?
ピエール 「僕は
ストロークス 、
フランツ・フェルディナンド 、
AC/DC 、それにダフト・パンク、ジャスティスが好き。フランスでエレクトロニック・ミュージックをやってる人間にとって、ダフト・パンクのファースト・アルバム(
『ホームワーク』 )は革命的だったよ。実際、僕らのソフトな部分はフェニックスや
エール 、ハードな部分はダフト・パンクやジャスティスから受け継いでると思う」
――「ベイビー・ベイビー・ベイビー」のPVが数週間で1,000万ヴューを達成し、一躍あなた達の名を世に知らしめましたが、そうなることは自分達ではどの程度予想出来ていましたか?
ピエール 「全然予想出来てなかったよ! 裸の女の子を街で歩かせたら話題になるのは当たり前だってよく言われるけど、そんなことはない。ネットにはもっと過激な映像がいっぱいあるんだからね。とにかく、あのPVを公開したら一晩で一万回も再生された。それで取材は来るわ、TVは来るわ、一気に生活が変わったんだ」
「チキ・チキ・チキ feat.Little Barrie」 VIDEO 「ブロークン・トイ・ボーイ feat.Lisa Li Lund」 VIDEO
――あの曲をはじめ、初期シングルは激しいダンス・トラックがメインでしたが、アルバムは“ソフト”“ポップ”“ハード”という三部構成で、静かな歌モノから徐々に盛り上がっていく内容です。
ピエール 「そう、最初はキス、真中は前戯、最後はハードコア・セックス。そして、その後は大変なことになる(笑)」
――ハハハ!(笑)
ピエール 「曲作りの段階では、その時の気分に合わせて作っただけなんだ。でも、出来た曲を並べてみたら、3つのスタイルに分けられるって気付いてね。考えてみれば、一日中ハードな音楽を聴いてる人なんていないよね? 起きてすぐ
プロディジー を聴く人なんてそんなにいない。だから、朝、昼、晩と一日を一緒に過ごせるようなアルバムにしたかったんだ。そのへんのバランスは考えたよ。見かけによらず、整理整頓が上手いんだ」
――
リトル・バーリー をはじめ、ゲストも多数参加していますが、彼らを選んだ基準は何ですか?
ピエール 「気の合った仲間とアルバムを作るのが大事だった。有名なゲストを呼んでも、気を使って何も言えなかったら意味がないから」
――じゃあ、今後も友だちと作品を作り続ける?
ピエール 「いや、僕たちは売れたから、そういう時代は終わった(笑)。これからはどんどんビッグな人とコラボしていきたいね。“また
カニエ・ウェスト が電話してきたよ〜”とか言いながら(笑)。大物でもちゃんと僕たちのことを理解してくれるんだったらウェルカムさ」
――では最後に、あなた達の最大の野望を教えてください。
グレッグ 「これまで僕らは、クラブっていうニッチな世界を熱狂的に盛り上げてきた。今後もそういう尖ったシーンで活動を続けながらも、コーチェラのヘッドライナーとかも出来るようになりたいね!」
ピエール 「で、簡単に女の子をゲットして、妻とも円満に離婚して、たくさんの女の子からモテモテになると嬉しいな(笑)」
取材・文/小林祥晴(2012年5月25日)