これほどまでに待たれた来日公演もあまりないだろう。全世界で絶大な人気を得ながらも、02年の<フジロック>以来8年間も日本の地を踏んでいなかった
マヌ・チャオがついにやってきた。
かつては
マノ・ネグラを率い、フランス本国を超えた広範囲の支持を獲得。ソロに移行した90年代後半からは絶対的なカリスマとして
ジョー・ストラマーや
ボブ・マーリィ、
フェラ・クティと並ぶ存在となったマヌ。ヨーロッパではスタジアム・クラスの会場をソールドアウトさせるほどの人気を得ている彼だが、今回の来日公演は500〜1,000人規模のヴェニューで行なわれた。500人規模の会場など、ヨーロッパではほぼシークレットギグのレヴェル。そのため、海外からやってきた熱心なファンもいたようだ。
今回のステージは“LA VENTURA”と題された少人数編成ツアーの一環として行なわれた。ヴォーカルとアコースティック・ギターのマヌを中心に、(客席側から見て)右手にギターのマジード、バックにドラムのガルバンシートが控えるというベースレス編成である。マジードはここ10年近くの間、マヌの右腕として活躍してきた敏腕ギタリスト(03年の名ライヴ盤『Radio Bemba Sound System』でも彼のプレイを聴くことができる)。また、ドラムスのガルバンシートはもともとマノ・ネグラのメンバーでもあった人物で、通常編成のマヌ・バンドではパーカッションを担当。普段は熱いティンバレスのプレイを披露しているが、今回はサポートに徹して堅実なドラミングを聴かせてくれた。
さて、僕が体験できたのは全3公演のワンマン・ライヴのうち、初日の東京公演。会場は恵比寿のリキッドルーム。聞くところによると、先行発売でほとんどのチケットが売れてしまい、あっという間にソールドアウトになったというから凄い。事実、僕の周囲でも必死になってチケットを探していた友人も多く、ある意味、プレミア・ライヴとなってしまった公演である。そのため、開演前から何とも言えぬ高揚感が会場を包み込んでいることが分かる。
そんな雰囲気を、藤井悟、KAZ SUDOらのDJがさらに煽る。ブースに飾られているのは、マヌの大ファンだったという故・
川村カオリの遺影――。
マヌとも縁の深いバルセロナのバンド、
チェ・スダカの「El Trenecillo」をきっかけに会場が暗転、ついにマヌが登場した! 僕はライヴ数時間前に本人と話すことができたのだが(その模様は
『CDジャーナル』本誌11月号に掲載)、マヌはそのときとまったく同じ服装である。ただし、その表情はリラックスした取材時とは違い、身体全体から気迫が漲っている。
マヌによると、今回の<LA VENTURA>ツアーは、かつてバルセロナのバルやストリートでマヌとマジートが繰り返してきたジャム・セッションに近いスタイルがイメージされていたそうだ。マヌがその自由な風土に惹かれてバルセロナに移住したのは90年代後半のことだったが、そうした風土のなかジャム・セッションを繰り広げたことによって、彼はバルセロナ伝来のルンバ・カタラーナ(スペインはカタルーニャ地方独自のハイブリッド・フラメンコ)を吸収してきた。現在のバルセロナではストリート・ミュージシャンに対するバルセロナ当局の締め付けが厳しくなってしまったそうで、マヌの中にはかつてのバルセロナにあった自由なムードを再現しようという思いもあったのだろう。序盤はまさにジャム・セッション的なルンバ・カタラーナを中心に進められていった。具体的に言えば、こんな感じである。ひとつのコード・カッティングに対し、マヌがとある曲のフレーズを歌いだす。それに対してマジードがギターのコードを変え、次の曲に移っていく――。そのスタイルはバックトラックに対して自由に歌を乗せていくレゲエのラバダブに近いものがあるし、ある種ジャムバンド的なところもある。何よりもステージ上の3人がそのスタイルを心から楽しんでいるのがいい。
中盤から後半にかけては、お馴染みのパンキッシュなアレンジも加えた名曲メドレー。
ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズ「Iron Lion Zion」など意外なカヴァーも交えながら、マヌ・ファンならば誰もが愛する楽曲が連発される。フロア前方はモッシュ / ダイブの嵐、僕も気づけば喉を傷めるほどの大合唱状態!
マヌのライヴの醍醐味は、そうしたお馴染みの楽曲であっても原曲とは異なるアレンジが施されていたり、ひとつの楽曲に他の楽曲のフレーズが差し込まれたりする意外性にある。それゆえに、熱心なファンであればあるほど一公演でも多く彼のライヴに足を運ぼうとする。そうしたマヌのライヴ・スタイルは、かつてのグレイトフル・デッドのライヴとも共通点があるように僕には思えたし、マヌとファンの絶対的な信頼関係は
グレイトフル・デッドとデッドヘッズ(グレイトフル・デッドの狂信的ファンのことをこう言う)が形作る関係性とも近いように僕には思えた。
もうひとつ言えば、近年のマヌのライヴが儀式的なオーラもまとってきている、ということだ。マヌのステージ上での立ち振る舞いは、パンク・ロッカー然としていたマノ・ネグラ時代と違うのはもちろん、ここ数年で神懸かり的なものになってきている。目を瞑ってメッセージを投げかける表情、拳を高々と掲げる動作、マイクを胸に叩き付け、ハートビートを再現するアクション――。年を重ねるごとにライヴ・パフォーマンスが儀式的になっていったボブ・マーリー(もちろん、僕はその姿を映像でしか観たことがないが)と、ステージ上のマヌの姿が二重写しになったりもした。
時間にして約2時間。ヨーロッパなどでは平気で3時間を超えるライヴを行なっていることを考えると多少短めの感はあったが、それでも満足感は十分。放心状態でフラフラと会場を後にするファンの姿が印象的だった。やっぱり、マヌ・チャオは凄かった!