ただの再結成ではない、“シーズン2”という言葉がとてもフレッシュに響く。1976年のデビューから4年間で4枚のアルバムを残した金子マリ&BUX BUNNYは、下北のジャニスと呼ばれた
金子マリ の驚異の歌唱力を中心に、百花繚乱の成長期にあった日本のロック史に深い足跡を刻む名バンドだった。あれから40年が過ぎ、バンドは新しい血を入れて再び動き出す。
Mari & Bux Bunny シーズン2 の新作『
Mari & Bux Bunny シーズン2 』について語る金子マリ(vo)、
鳴瀬喜博 (b)、
難波弘之 (key)は、音楽の力と人の縁の素晴らしさを噛み締めつつ、どこまでも朗らかで自然体だ。
――2017年3月にボックス・セット『
アルバム・コンプリート・ボックス 』が出て、久々にライヴをして。あそこから新作への流れが出てきたと思うんですが、そもそもあのボックスの話は誰が?
金子 「シンコーミュージックかな」
鳴瀬 「元いたところね。ケツ捲って出たところだけど(笑)」
難波 「本当はさ、40周年に何かやろうとしたんだけど、僕と(
山下)達郎 の40周年があって、みんな同じ年だったの。それでCDの話をしてるうちに1年延びて、翌年の春になっちゃった」
鳴瀬 「難波から話が来たよな?」
難波 「そうそう、最初は僕のところに別の会社から話が来て。BUX BUNNYのファーストを、ソニーがビビッて、CDを出してなかったんですよ。差別用語が入ってるんで。それと、僕が抜けたあとの最後のアルバムもCDになってなくて、それを何とかしようという話をもらって……そこからが長かった」
金子 「いろんな人が出て来るから」
難波 「すったもんだしたけど、めでたくファーストも初めてCD化されて、ボックス・セットが出た」
金子 「だったらライヴもやりましょうと(2017年3月15日, 16日 / 下北沢 GARDEN)。まず、ドラムをどうしようということになったんだよね」
鳴瀬 「
ジョニー(吉長) はもういないし、どうしようといった時に、
古田たかし のスケジュールが空いてると聞いて、そりゃいいやって。それで、しーたか(古田たかし)が来てくれた」
難波 「最初に音を出した時から、ばっちりだった」
鳴瀬 「しーたかは、年はずっと下だけど、同じようなところでやってきたから」
――その時はまだ、新曲作ろう、アルバム作ろうという話にはなってないですよね。
鳴瀬 「それはね、一昨年の秋(11月4日, 5日 / 目黒 Blues Alley Japan)にライヴをやった時に、面白かったから。マリも面白かったねと言ってたし、マリがOKしなきゃ進められない話だから、だったらアルバム作ってみようかなと」
鳴瀬 「今度はギターどうしようか?と。そしたらマリが“マー坊(
土屋昌巳 )がいい。マー坊じゃなきゃやんない”って」
金子 「だって、土屋さんぐらいしかいないでしょう」
難波 「僕の30周年の時に、新宿LOFTと京都で、土屋昌巳がギターで、マリとやったんですよ。そこで二人がすごい意気投合した。GS(グループ・サウンズ)の話で(笑)」
鳴瀬 「マー坊ってすごい面白いんだよ」
難波 「で、その頃僕はゴールデン・カップスの追っかけをやってた。中三か高一ぐらい。どこかで絶対会ってる」
Photo By 小宮山裕介
鳴瀬 「スモーキー・メディスンも見に来てたから、会ってたんだよ。縁だよ縁。それでメンバーが固まって、俺は
チャカ(・カーン) のコンサートみたいにやりたかったの。大所帯で、バンドじゃないんだけどバンドっぽい感じで、コーラスがいて、ガーンと来るような感じの。だからBUX BUNNYもコーラス入れようって、一昨年のライヴの時にコーラスをやってもらったのが、お父さんのことを“難波さん”と呼ぶ娘(
玲里 )」
難波 「僕とまったく同じ経緯で、娘もナルチョにナンパされた」
鳴瀬 「最初のライヴの時、コーラスどうしよう?っていう話をしてたら、打ち上げの隣に玲里がいて、“私やる♪”とかいう感じだったんだよな。俺は、歌ってるのを知らなかったから。そのあとCD送ってもらって聴いたんだから」
――え。知らなかったんですか。
鳴瀬 「そう。俺にとってはずっと“難波の娘”だったから。名前も覚えないし(笑)。でも CD聴いたらむちゃくちゃ良くて、驚いちゃって、ぜひともやってくれという感じ。それともう一人、うえむらかをるもいたんだけど、かをるはブルースというか、ちょっとスタイルが違うから。それでマリが、(開発)千恵ちゃんは低音がいいから呼ぼうって。(
亀渕)友香 ちゃんの姪っ子の千恵ちゃんを呼んで、それで固まったの。そこまではなかなか大変だったけどね」
――それから曲を作り始めた。
金子 「やろうと言った時から、鳴瀬さんがたくさん曲を作って来た。このバンドは、鳴瀬さんがリーダーだから。私の名前で出ていますけど」
鳴瀬 「ナルチョ&BUX BUNNYにすればよかったかな(笑)。それじゃ変か」
――それで2018年11月から、正式に“Mari & Bux Bunny シーズン2”名義で再始動すると。
鳴瀬 「アルバムを作ることが決まった時、年も考えてBux Bunnyの最後のアルバムだと言うことで、『ザ・ラスト』にしようと思ったの。でもやっていくうちに、マリが“シーズン2”という言葉を持ってきて、え?って」
金子 「新しいセッションだからね。『ザ・ラスト』はないよね」
鳴瀬 「だって、いつ死ぬかわかんないのに」
金子 「鳴瀬さんは古希かもしれないけど、私はまだ60代だから(笑)」
――鳴瀬さん、曲作りについては、昔の面影を残さなきゃとか、まったく新しいものを作るべきだとか、どんなテーマがあったんですか。
鳴瀬 「昔からファンクものが好きだったから、その感じでマリに歌ってほしいなというのはあった。それと、元々インストで作ってた曲の中で、
カシオペア が2曲(When You Grow Up / KOKORO-CK)と、
ザ・チョッパーズ・レボリューション というベースが3人のバンドがあって、ちょうどジョニーが亡くなったあとにアルバムを作って、ジョニーに捧げる曲を作ったんだけど(Still Stands)、それをマリに詞を書いて歌ってもらいたいということで。あとは1980年に出た俺のソロ・アルバム『MYTHTIQUE』の中に入ってる〈Extraordinary〉。これ、BUX BUNNYをフィーチャーしてるんだけど、マリが歌を入れる前に、当時のCBSソニーからクレームが来て」
金子 「昔はダメだったんですよ。契約中はほかのレコードに参加しちゃいけない」
鳴瀬 「それでコーラス部分だけ残しておいて、歌は
国分友里恵 に歌ってもらったの。それをマリの歌でやりたかった。けっこう、そういう思いが詰まってるアルバムなんですよ」
――長い思いが。
鳴瀬 「そう。それで難波ちゃんも曲作ってよと言ったら、嫌々2曲作ってきた」
難波 「嫌々じゃない(笑)。〈Paint〉という曲は、ベースのパターンから作ったんですよ。もう1曲〈幸せの足音〉は、昭和な感じの曲を作りたいなと思って、
中村八大 っぽい感じの」
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金子 「〈こんにちは赤ちゃん〉みたいな」
難波 「そうそう。で、最初はハネてなかったんですね。普通のエイトビートだったのが、リハーサル中にマリが“
ザ・バンド みたいにハネようよ”って言い出した」
鳴瀬 「そういうこと言うと、マー坊がすごい喜ぶんだよね。“歌詞に南十字星って出て来るけど、これってザ・バンドのアルバムだよね?”とか」
――難波さんの音、いい意味で変わらないですよね。エレピ、オルガン、シンセと、難波印がばっちり押してある。
難波 「今回は、デビュー・アルバムで使った楽器をそのまま使おうと思って、デカオルガンと、ローズのマーク1のステージ・ピアノと、ミニKORG700sの3台は使ってます。たぶんデカオルガンはね、現役で持ってるのは僕だけかな。佐藤允彦さんが昔持ってたはずだけど」
金子 「デカオルガンって何?」
難波 「KORGのでっかいオルガン。最近見かけたのは、浜松の楽器博物館だった(笑)。物持ちがいいってよく言われます」
Photo By 小宮山裕介
――マリさん、歌に関しては?
金子 「今回は一生懸命、勉強になりました」
難波 「何せ、ナルチョの曲はメロディが難しいから。詞がつく前は、どうやってこれを歌うの?っていうぐらい、屈折したコード進行とメロディで。でも詞がついたらわりと、しみじみといい感じになった」
鳴瀬 「だろ?」
金子 「でもやっぱり、曲が難しいと思いすぎちゃって、いつもだったら出る高さの声も出なくなったりするから。プレッシャーがかかっちゃった」
鳴瀬 「歌入れ、面白かったよ。どうやって歌おうか?って、探り探り始まって、覚えた途端からものすごいんだよ。マリの世界への引っ張り方がすごい。“メロディはこっちのほうがいいわよね”とか言って、自分でメロディを展開させていくわけ。そのあと“ここに重ねるから”って、声が二つになったり三つになったりする。1曲目の〈The Haze And Tide〉は、歌から始まってるじゃない? あれ、本当はイントロもちゃんとあったの。でも歌入れが終わったあとに“全部カットだな”って、それでああなった。途中の声も加工したりして。ああいうの、前からやりたかったんだけど、面白いなと思ったな。そういうことは、いろいろできたよね」
金子 「土屋くんも、最初にソロを弾く前とか、全然何もしゃべんなくて、どうなるのかな?と思ってさ。やっぱり難しいのかな?とか思ったんだけど、ある曲のソロで素晴らしいのが録れたら、それから怒涛のように」
鳴瀬 「〈Tic Tac Toe〉だね。あれは素晴らしいギター・ソロだよ。ソロを録って、戻って来て、“すごい良かった”って言ったら、“ジョージなんだよ。
ジョージ・ハリスン ”って。最後の、キュィーンっていうところ」
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金子 「ジョージ・ハリスン、大好きだもんね」
鳴瀬 「そういうの、嫌がる人もいるじゃない。誰風にやってよとか。俺は言わないけど、でも本人から“この曲はジョージなんだよ”みたいな、そういうのはすごくいいなと思ってさ」
――まるでギター・キッズ。
鳴瀬 「本当にそう。そのままキッズ」
金子 「いまのBux Bunnyには土屋くんしかいないと思った。良かった、やってくれて」
――ファーストから、「夕焼けの詩」を再録しましたね。別ヴァージョンとして生まれ変わって、すごく新鮮でした。
鳴瀬 「あれはね、78年にやったライヴ・アレンジなの。あの頃、すぐにアレンジを変えたかったんだよ。俺が。録音したら飽きちゃうんだろうね。それを今回ライヴでやって、このアレンジを入れたいなと思ったの。またマリの詞がさ、思いっきり昭和な感じじゃない?」
――当時、サブタイトルが「西岸良平に捧ぐ」でした。
難波 「'70年代に、もう昭和30年代は懐かしかったんだよね」
――これは昔からのファンはとても嬉しいですよ。そして新しい若い方にぜひ聴いてほしい。音はいまの音だし。
難波 「心意気は70年代、技術は21世紀」
――それいいですね。いいキャッチコピー。
難波 「大人げない感じで、いいなと思いますね。だって、リハーサルとかやると、本当に70年代のまんまだから。ケンカ始まるし」
金子 「ケンカなんかしたっけ?」
難波 「それをケンカと思ってないから。でも若いスタッフは見たことないから、ビックリしちゃうんだよね。“何だ? じゃあやめるよ”“おぉ、やめようぜ”みたいな、そういう会話って、いまのバンドはしないでしょ。でもそれが普通だったからね」
鳴瀬 「だけど、あの頃はまだ二十代だよ? いまはもう60、70になってさ」
難波 「だから大人げない感じって言ったの(笑)。その大人げのなさが、いい感じで出てると思うな。全然丸くなってませんみたいな」
鳴瀬 「なってないよな」
――再始動ですけど、新しいバンド。
金子 「違うバンドだもんね。ドラムもギターも違うし」
難波 「それでシーズン2にしたわけだから」
――全ての年代の音楽ファンに届きますように。マリさん、最後にメッセージを。
金子 「もうそろそろ終わりの人間たちがやってるんですけど、音楽を始めたばっかりの人たちによく聞いてほしいのは、長く続けていると、その人なりの経験値によって、芸は深くなるということ。みんなそれぞれに、鳴瀬さんも土屋くんも難波くんも古田くんも素晴らしいと思います。金子は人間力だけで生きていて、歌唱力はないですけど、とてもいいアルバムができたのでぜひ聴いてください」
取材・文 / 宮本英夫(2019年2月)
Mari & Bux Bunny シーズン2 レコ発どよめきライブ in KOBE www.chicken-george.co.jp/ 2019年3月22日(金) 兵庫 神戸 THE LIVE HOUSE CHICKEN GEORGE
開場 18:00 / 開演 19:00
前売 7,000円 / 当日 7,500円(椅子席 / 税込 / 別途ドリンク代) ※お問い合わせ: THE LIVE HOUSE CHICKEN GEORGE 078-332-0146