フランスの宅録シンガー・ソングライター、マチュー・ボガート。日本でも注目を集めたデビューから25年、世界中を旅しながら歌い続けてきた。現在はロンドンを拠点に活動しているマチューの新作『En Anglais』は初めての英語歌詞アルバムだ。言葉を大切にしてきたマチューがなぜ英語に挑戦したのか。独自のスタイルを大切にしながらも、新しいアプローチに挑んだ新作について話を訊いた
New Album
マチュー・ボガート
『En Anglais』
Tot Ou Tard / VF Musiques・M7358/輸入盤
――なぜ、歌詞を英語にしようと思ったのでしょうか。
「5年前にパリからロンドンに引っ越したんだ。ちょっとした冒険のつもりで1年くらい住んでみようかと思ってね。でも、ロンドンには知り合いが全然いなくて、おまけに英語もそんなにペラペラ喋れるわけでもないから、自分が異国人だという感じがすごくした。パリとロンドンは東京と大阪くらいしか離れていないのに、遠い異国に一人で来たような気がしたんだ。だからフランス語で歌っても、ここにいる人たちには僕の気持ちは伝わらないんじゃないかと思ってね。自分と周りの人たちとの架け橋になるような曲を作ってみようと思ったんだ」
――歌を通じてコミュニケートしようと?
「うん。でも、自分の気持ちをそのまま英語にしても上手く伝わらないこともあって。フランス語の言葉を2,000知っているとしたら、英語は200くらいしか知らないからね。それに“アモール”と“ラヴ”では言葉の響きも、言葉が持つエネルギーも違う。ただ直訳しただけだと自分が感じていることを伝えられないんだ。料理にたとえると、フランスのスープを日本のキッチンで作ろうと思っても、調味料や食材が違うと味は違ってくるだろう?」
――たしかに。
「フランス人とイギリス人はまったく違った気質を持っているってよく言われるけど、言葉の成り立ちや表現も全然違う。だから今回のアルバムは、新しい素材を使って料理を作るみたいなところが面白かったね」
――言語が違うことはソングライティングに影響を与えました?
「いろんな影響があったよ。僕は“こういうことを書こう”と思って曲を書き始めるのではなく、メロディに乗りそうな単語を見つけた時に、それを使って何を歌おうかって考えていくことが多い。今回も英語の言葉でメロディにフィットするものを見つけていったんだ。その時にフランス訛りの英語で歌うこと大切にした。というのも、音楽は親密なものだと思うから自分らしく表現したいんだ。ネイティヴな発音だと自分を偽っている気がするからね。絵にたとえると新しい絵の具を使って自画像を描くような感じかな」
――親密さはあなたの音楽の重要な要素ですね。今回も必要最小限度の楽器を使って、余白を大切にしたサウンドにすることで歌が引き立っています。
「いつも曲をみんなに理解してもらいたいし、自分の気持ちも理解してもらいたいと思って作っている。もちろん、自分の気持ちを100%理解してもらえるとは思ってないけど、なるべくわかりやすいかたちで伝えたいから短い曲にしようと思っているんだ。あと歌詞にどんな言葉を使うかはすごく気を使っている。曲作りは彫刻のようなものかもしれないね。彫刻は大きな岩を削っていって最後に残ったものが作品になる。曲作りも必要なもの以外を削り落としていくことが大事だと思ってる。リスナーとしては10分を超えるような曲とか、いろんな楽器を使った曲を楽しんで聴いたりもするけど、自分が作る曲はシンプルで普遍性があって、5年後も10年後も色あせないものにしたいと思っているんだ」
――そのシンプルなサウンドがあなたの歌声を引き立てていますが、ヴォーカルに関して意識していることはありますか?
「自分が歌っている、ということをしっかり感じながら歌うことが大切だし、自分が感じているものを正直に表現する、言葉の意味を深く感じながら歌うことが大事だと思っている。今回のアルバムでは、自分が知っている英語を使うように心掛けたんだ。たとえば、この言葉は英語ではなんて言うんだろう? って辞書で引いたりして、普段使ったことがないような言葉を歌詞に使うのは避けたかった。あくまでも自然に自分から出てくる言葉で正直に自分を表現するっていうことを大事にしたんだ。そして、言葉の響きを大切にしたいからボソボソ歌うのではなく、母音も含めてできるだけしっかり歌うっていうことを心がけた」
Photo by Noemie Reijnen
――歌詞を大切にされているんですね。レコーディングはいつもどおりホーム・スタジオで?
「そう。ヴァンサン・ムージュールというミュージシャンと作ったんだけど、すべての楽器を2人で担当したんだ。限られた人数と限られた楽器で何ができるか? っていうことを考えながらアルバムを作るのが好きなんだ。選択肢が限られた中で作るほうが刺激を受けるんだよ。広いスタジオで、何人もミュージシャンを使えて、楽器もよりどりみどりで……となると僕は何をしていいかわからなくなってしまう(笑)」
――自宅でのレコーディングだとコロナでロックダウンしている時でも大丈夫ですね。
「じつはパンデミック前にレコーディングは終わってたんだ。ただ、ミキシングやリリースの準備をする時にコロナの影響を受けてしまって、それでリリースが遅れたんだ。だからアルバムにはコロナの影響はほとんどない。でも、本当だったら今頃はツアーをしていたはずなんだけど、この状況では諦めるしかなかった。僕は人前で演奏するのが大好きで、これまで1,000本くらいライヴを行なってきたし、これからも1,000本くらいやりたいと思っているからライヴができないのはつらいけど、僕よりつらい目にあっている人はいっぱいいるから文句は言えないね」
――新曲「I Won't Follow You」のミュージック・ビデオでは街で撮影していましたが、ロケーションはロンドンですか? 街の人々がマスクをつけていなかったのでパンデミック前に撮ったのかな、と思ったのですが。
「ロンドンはマスクが義務化されていないから、マスクをしていなくても大丈夫なんだ。フランスやほかの国の人から見れば“なんでマスクをしてないんだ?”と思うだろうね。日本の人たちはパンデミック前からマスクをつけてるよね(笑)」
――ええ。僕も花粉症の季節にはつけてます(笑)。あなたがヘッドフォンで曲を聴きながら街を歩き回るというシンプルなビデオですが、ステイホームしているなかで見ると開放感があって楽しい映像ですね。
「あのビデオは僕が監督して撮った。つねにビデオのアイディアをノートに書き留めていて、そのなかのひとつのアイディアだったんだ。実際にやっていることなんだけど、自分が作った曲を聴きながら街を歩いていて、“うわっ、今のところ、すごく良くできてるな!”と思ってニヤニヤしてしまうんだよね。その様子を再現しようと思ったんだ。この曲の雰囲気にぴったりなんじゃないかと思ってね」
Photo by Noemie Reijnen
――アルバムを聴きながら日本の街を散歩してみたいです。いつかあなたが日本語で歌う曲も聴いてみたいのですが、日本語アルバムというのはいかがですか?
「日本語の響きが好きだから、日本語の曲が書けたらすごくいいなと思うよ。しかも、日本語をフランス人のアクセントで歌ったら面白いものになると思うし。ただ、今のところ自然に話せる日本語がまったくないから、自分の気持ちを伝えることができない。いつか日本に住むことがあったら、ぜひやってみたいな。日本は大好きな国だから。25年前に最初のアルバムを出した時、そして2枚目が出た時に日本でツアーをして、けっこう各地を回ったんだ。その時にすごく日本が好きになって、もっといたいなと思ったんだ。日本に2年ぐらい住めば言葉も少し憶えるだろうし、そうなれば自分の気持ちを日本の皆さんにわかってもらえるような歌を日本語で書きたいね」
――そんな日が来るのを楽しみにしています。ちなみに知っている日本語で好きな言葉はありますか?
「“塩ラーメン”(笑)! 死ぬ前になにを食べたい? って聞かれたら、塩ラーメンって言うぐらいいちばん好きな食べ物なんだ。パンデミックがおさまったら、また日本に行って塩ラーメンを食べたいよ」
取材・文/村尾泰郎