気鋭の若手ジャズ・ピアニスト、松永貴志が2年3ヶ月ぶりとなるニュー・アルバム『地球は愛で浮かんでる』を発表。初のラヴ・ソング「時の砂」、『新世紀エヴァンゲリオン』のテーマ「残酷な天使のテーゼ」のカヴァー、アヴァンギャルドな雰囲気漂う「パウエル・サークル」など、多彩な試みにチャレンジした今作について松永貴志に話を訊いた。 前作
『無機質オレンジ』から2年3ヶ月。松永貴志の5作目『地球は愛で浮かんでる』はデビュー以来、最長のインターバルが表現の多様化、深化をもたらした。オープニングの「時の砂」は思いがけずスロー・テンポのワルツ。短調と長調を行き来しながら美しいメロディを紡いでいく。
「つねに1曲目は明るくっていう、いままでとは違いますよね。20代になって初めてのレコーディングだったので、10代のアルバムとは差をつけたかったんです。この曲は大切な人とか大切なものを失ってすごく切ない気持ちになっているときの心理状態を音にしました。でも、そこから前を向いていこうよっていう思いも込めています」
ほかにも、繊細なタッチから生まれるピアノの響きが水面にきらめく光を思わせるタイトル曲、弾むような演奏でありながら穏やかな空気感を醸す「海岸通り」、前作に収録したバラードの再演となる「神戸」など、今回のアルバムはメロディアスな曲が多い。
一方で、デビュー時から彼の音楽を特徴づけていた技巧的な要素やとんがったイメージも健在。
バド・パウエルの演奏の中から気に入った部分をピックアップし、組み合わせてテーマをつくった「パウエル・サークル」は典型だ。ソロはコードや小節数から解放された自由な演奏に終始する。
「18歳の頃に書いて、最初はコードに則っていたんですけど、ライヴをやっているうちに、これは自由奔放なほうが楽しいなということに気づきました。即興はやっていけばいくほど考えちゃったりするから、乗ってるときに“いっちゃえ!”みたいな感じで一発録りですね」
オリジナル曲中心のアルバムにあって異彩を放つのがアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』のテーマ「残酷な天使のテーゼ」。原曲のスピード感はそのままに、変拍子なども交えてスリリングに仕上げている。
「スタンダード以外では初のカヴァーです。日本の文化として外国に発信されているものといえば、ポップスよりアニメだろうなと思って選びました。拍子をちょっと変えているのが賭ではあるんですけど、かっこいいなと思ってもらえたらいいですね」
この曲ではデビュー作からトリオを組む安ヵ川大樹(b)と広瀬潤次(ds)がパワフルな演奏を支え、「風のトラベラー」では水谷浩章(b)が素晴らしいソロを取り、外山明(ds)がニュアンスに富んだ表現で現代的な感覚に溢れる楽曲の魅力を引き出している。曲によって2組のトリオを使い分けた新作は、ピアノ・トリオ作品ではあっても旧来のジャズからはみ出た部分があり、それこそが松永貴志の持ち味といえるだろう。収められた11曲をまとめる言葉としては“ピアノ音楽”がふさわしいように思える。
「ジャズから発生したピアノ音楽、というのはいいですね。突然、ジャズのスタンダード集を出すかもしれないですけど。気まぐれなので」
この夏にはクラシック・ピアノの中野翔太とデュオで。
ガーシュインの「パリのアメリカ人」を演奏する予定だという。
取材・文/浅羽晃(2008年3月)