ヴィヴァルディの名曲『四季』を大胆にリメイクし、ヴァイオリン協奏曲の演奏史に一石を投じた『
ヴィヴァルディ・リコンポーズド』(アルバム邦題『25%のヴィヴァルディ』)や、ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督のSF映画『
メッセージ』のテーマ曲に使用され、Spotifyで9,100万回以上の再生を記録した「オン・ザ・ネイチャー・オブ・デイライト」などで知られるマックス・リヒター。言わずと知れた、現代で最も大きな成功を収めた作曲家のひとりだが、意外にも2004年の初来日以降、これまで日本公演をまったく行なってこなかった。しかし、東京大空襲の記憶を後世に伝える“すみだ平和祈念音楽祭2019”の開催意図に賛同したリヒターが、なんと15年ぶりの来日を実現。今までのブランクを埋めるかのように、彼の音楽を知るうえで欠かせない重要作をほぼすべて紹介する全3回の“マックス・リヒター・プロジェクト”が開催の運びとなった。音楽祭初日の3月2日(土)は、ダニエル・ホープ&新日本フィルハーモニー交響楽団による『ヴィヴァルディ・リコンポーズド』。そして3月5日(火)『メモリーハウス』(日本初演)と9日(土)『ブルー・ノートブック』&『インフラ』の公演では、リヒター本人も演奏に参加し、彼の音楽の演奏に欠かせないアーティストたちと豪華なコラボを実現させる。過去5年間のリヒターの海外公演の記録を見ても、これほど大規模に開催される“リヒター・フェス”はほとんど例がない。
来日公演に先立ち、昨年11月と12月に香港公演を行なったリヒター本人と、演奏に参加したソリストふたりに取材したインタビューをお届けする。
音楽という“風景”のなかに現れる、ある特定の“場所”――マックス・リヒター
マックス・リヒター ©Rahi Rezvani
3月5日の日本初演に先駆け、11月の香港公演でアジア初演された『メモリーハウス』(注: ドイツのニュースメディア、WELTのFacebookで公演記録映像を独占配信中
https://www.facebook.com/welt/videos/676441286086669/)。2002年にリヒターのデビュー・アルバムとしてCDリリースされたものの、なかなか実演の機会に恵まれず、2014年にようやく世界初演が実現した“幻のデビュー作”だ。リヒター史上最大の75人編成(映画音楽を除く)で書かれた75分の大作『メモリーハウス』は、「1908年のプレリュード」と名付けられた無調音楽風の弦楽合奏曲(世界初演時に加えられた新曲)で幕を開ける。
「1908年は、クラシックが後期ロマン派から新しい音楽に移り始めた、西洋音楽史の転換点。シェーンベルク、ベルク、ツェムリンスキーなどの作曲家が、それまでの伝統と衝突しながら新しい音楽語法を生み出し始めた年です。『メモリーハウス』の作曲時、私自身もクラシックとエレクトロニカを融合させた新たな音楽語法を生み出そうと格闘していました。そんな自分の姿を、1908年という年号にダブらせたのです」(マックス・リヒター / 以下同)
のちにリヒター自身がポスト・クラシカルと名付けることになる、新たな音楽語法。それを探し求めていく旅の道すがら見えてくる“風景”が、すなわち『メモリーハウス』という作品にほかならない。リヒターのピアノ伴奏によって導入されるチェロのテーマ。曲が進むにつれ、そのテーマはバッハ風に変奏され、クラブ・ミュージックのエレクトロニカのなかで変奏され、バロック音楽やルネサンス音楽のように変奏され、あるいはミニマル風に変奏されていく。
「私にとって、音楽とは心のなかに生まれた疑問を映し出す“風景”。『メモリーハウス』は音楽という“風景”のなかに現れる、ある特定の“場所”を表現した作品なんです。作曲家として自分が関心を持つ、音楽史のなかの“場所”。その音楽史を取り巻く、政治社会史のなかの“場所”。そして、それらと私自身が結びつく“場所”です」
ラストの第18曲「最後の日々」で、マーラーもかくやの大音響に達するオーケストラ。それだけでも迫力満点なのに、リヒターはモーグ・シンセサイザーを弾きながら可聴帯域ギリギリのサブソニック(重低音)を容赦なく加えていく。地響きを立てて会場全体が共振するクライマックスは、文字どおりの“限界マックス”。こんな大爆音は、とてもCDやハイレゾに入りきらない。クラシックとエレクトロニカが融合した、ポスト・クラシカルという“場所”の真骨頂だ。
「この作品にはマーラーのような後期ロマン派をはじめ、さまざまな種類の音楽がパスティーシュのように織り込まれていますが、そうした音楽を現代という“場所”から見直してみると、そこにエレクトロニカが加わって当然だと思うのです。なぜなら、我々は21世紀の現代に生きていますから」
『メモリーハウス』終演後にアンコールで演奏された「オン・ザ・ネイチャー・オブ・デイライト」を聴いて、思わず声を上げそうになった。曲のなかでヴァイオリン・パートが弾くカウンターメロディが、つい先ほどの『メモリーハウス』のなかで変奏されていたチェロのテーマと同じだったからだ。
「私にとって、作曲とは切れ目なく続く活動なんです。実際、〈オン・ザ・ネイチャー・オブ・デイライト〉は『メモリーハウス』のテーマを引用していますしね。個々のプロジェクトは一見すると点線の繋がりにしか見えないんですが、実際には深く関連しているんですよ」
その「オン・ザ・ネイチャー・オブ・デイライト」を含む2004年のアルバム『ブルー・ノートブック』は、リヒターがイラク戦争をきっかけに作曲した室内楽曲。東京大空襲前夜にあたる3月9日、リヒターはアメリカン・コンテンポラリー・ミュージック・アンサンブルとともに『ブルー・ノートブック』を演奏し(日本ではじつに15年ぶりの再演!)、平和への願いを強く訴える。
「『ブルー・ノートブック』の作曲時、私は“非現実の政治”あるいは“政治の虚構”が始まったと感じていました。ありもしない大量破壊兵器を口実にイラク戦争を始めるなんて、不条理そのものではないかと。だから『ブルー・ノートブック』のなかで、不条理という手法で権力構造を批判した作家カフカのテキストを朗読パートに加えることにしたんです。ここ数年、米英をはじめとする世界各地において、ふたたび不条理な要素が強まってきていると感じます。だからこそ、『ブルー・ノートブック』は今の時代にふさわしい作品ではないかと。同じ3月9日に演奏する『インフラ』(日本初演)も2005年ロンドン地下鉄テロ事件をきっかけに作曲した作品ですので、不幸にもと言うべきですが、これも今の時代にふさわしい作品だと考えています」
『メモリーハウス』は巨大な編成の“室内楽”――マリ・サムエルセン
マリ・サムエルセン
リヒターの香港公演では、本人が演奏するピアノやモーグ・シンセサイザーの圧倒的な存在感もさることながら、近年の彼の音楽の演奏に欠かせないふたりの女性ソリストが一際美しい輝きを放っていた。『メモリーハウス』日本初演にも参加するヴァイオリニストのマリ・サムエルセンと、ソプラノのグレイス・デヴィッドソンだ。
ノルウェー生まれのサムエルセンは、スイスでヴァイオリンの名教師ザハール・ブロンに師事(その時に一緒に学んだ親友が神尾真由子だとか)。先頃、ドイツ・グラモフォンとの専属契約を発表し、リヒター作曲「ノヴェンバー」をデビュー・シングルとしてリリースした。
「もともと私はマックスの音楽の大ファンだったんです。5年ほど前、新作を委嘱しようとしたのですが、結局その計画は実現できなくて。でも、ソリストとして彼の作品を演奏できるようになりました。マックスと一緒に『ヴィヴァルディ・リコンポーズド』をコペンハーゲンのロック・フェスで――しかも1万人の聴衆の前で!――演奏したり、2017年のモントルー・ジャズ・フェスティヴァル50周年記念コンサートでも共演しました」(マリ・サムエルセン / 以下同)
ヴァイオリンの独奏パートが大きな比重を占める『メモリーハウス』は、ある意味で彼女の存在なしには演奏不可能な作品と言えるかもしれない。
「この作品が大好きな理由は、協奏曲的な楽章や室内楽的な楽章などで、ヴァイオリニストとしてさまざまな面をお聴かせすることができるからです。たとえば第15曲〈フラグメント〉で私が演奏する、“バッハ風リヒター”と呼びたくなるような無伴奏ヴァイオリン。大編成のオケやソプラノが入れ替わり立ち替わり演奏するなか、この小品が全体のなかで非常によいコントラストになるんです。それだけでなく、『メモリーハウス』では演奏者全員のチームワークも要求されます。いわば、巨大な編成の“室内楽”。オケもたんなる受け身の伴奏ではなく、アクティブな演奏が求められます。その結果、作品全体にエキサイティングな雰囲気が生まれるんです」
そんな彼女の演奏パートで最も強烈な印象を与えたのが、19世紀ロマン派協奏曲もかくやの超絶技巧を要求される第10曲「ノヴェンバー」だ。情熱的なミニマルと官能的な音色が見事に溶け合った彼女の演奏は、長年リヒターの音楽を弾き続けている演奏家だけに許された高揚感に満ちあふれていた。
「昨年10月、北京の故宮(紫禁城)で開催されたドイツ・グラモフォン創立120周年記念コンサートでも〈ノヴェンバー〉を弾いたのですが、じつは気温が摂氏5℃しかなかったんですよ! それなのに裸同然のドレス、しかも裸足で演奏するという(笑)。演奏会後半で歌った歌手たちは、みな暖かそうなジャケットとファーを身に着けていたのに(爆笑)。手が動かなくなりそうでしたが、結果的にとてもいい演奏会になりました」
そして3月5日(火)、これまで彼女と多くの共演歴があるクリスチャン・ヤルヴィを指揮者に迎えた『メモリーハウス』で、待望の日本デビューを果たす。
「音楽がコミュニケーション、つまり言葉だと考えると、私が自分のことをいちばんうまく伝えることができる“言葉”は、バロック、バッハ、マックス・リヒター、フィリップ・グラス、ミニマル、ポスト・クラシカル。メンデルスゾーンやチャイコフスキーの協奏曲には興味がありません。私が興味あるのは『メモリーハウス』のような新しいプロジェクト。それに参加することができて本当にラッキーだし、ハッピーです」
『メモリーハウス』はその時代に見合った意味を伝えてくれる――グレイス・デヴィッドソン
グレイス・デヴィッドソン ©Susan Porter Thomas
『メモリーハウス』香港公演ではもうひとり、ソプラノ歌手グレイス・デヴィッドソンのソプラノ・ヴォイスが教会音楽のような深い感銘を与えた。イギリスの声楽アンサンブル、タリス・スコラーズのメンバーとして2013年に初来日した経歴が物語るように、現在はイギリスを中心とする古楽演奏界で最も熱い視線を浴びているソプラノ歌手のひとりである。
「古楽を歌う時も現代音楽を歌う時も、じつは発声法はまったく変えていません。声そのものは同じなんです。そんな私の混じり気のないクリアな発声が、ハリウッドのコンポーザーやプロデューサーにも好まれるおかげで、こうしてマックスの作品も歌えるようになりました。ルネサンス音楽やバロック音楽も歌いながら、マックスの『スリープ』や『ウルフ・ワークス』のような大好きな作品も歌えるなんて、とても幸せですよね」(グレイス・デヴィッドソン / 以下同)
リヒターとの最初の出会いも、じつは映画音楽の仕事を通じてだったという。
「たしか2012年、リドリー・スコット監督作『
プロメテウス』予告編の音楽の録音が、最初の出会いだったと思います(注: 『メモリーハウス』第6曲〈サラエボ〉が使われている)。私がロンドンのスタジオで歌い、そのセッションをベルリンにいるマックスがスカイプで監修したので、最初の挨拶はパソコンの画面だったんですけどね(笑)」
2017年にアムステルダム・コンセルトヘボウで演奏されたリヒターの『スリープ』8時間版を聴いた時、夜更けの大空間に響きわたる彼女のソプラノ・ヴォイスは、さながら天使の降臨のようであった。『スリープ』初演以来、リヒターが彼女以外のソプラノを起用していない事実が、彼女に寄せられた全幅の信頼の証である。
「マックスの曲は、ほとんどの場合が歌詞のないヴォカリーズのメリスマ唱法で書かれています。『スリープ』では、あらかじめ録音した自分の声のトラックにハミングを重ねて歌うのですが、まるでレクイエムやルネサンス音楽を歌っているような印象を受けました」
ピュアであるからこそ、逆に心に深く突き刺さる彼女の声は『メモリーハウス』香港公演でも絶大な演奏効果を発揮。とりわけ、コソボ紛争の犠牲者を悼む第6曲「サラエボ」の彼女のハイ・ヴォイスは、もはや声にもならない嗚咽と同化していた。
「この曲は超高音から歌い始め、その後、低い音を歌うのですが、まるでソプラノとメゾのふたつの声域を歌っているような錯覚を覚えます。その結果、抑えていた感情がほとばしるようなドラマティックな効果が生まれてきます。マックスの場合、ほかの作曲家に比べてもとくに広い音域が要求されるんですよ」
すみだ平和祈念音楽祭2019で『メモリーハウス』が演奏される理由のひとつが、一晩で10万人以上もの犠牲者を出した東京大空襲の記憶だと伝えると、彼女は「なんて悲しいことなの……」と表情を曇らせながら、こう締め括った。
「マックスの作品は聴く人を心から感動させる力を持っていますが、『メモリーハウス』は、たとえそれがどんな時代に演奏されても、その時代の政治的な意味を問いかけてくるという意味で、尽きることのない深遠なる作品だと思います。たとえ10年か15年後に演奏されても、『メモリーハウス』はその時代に見合った意味を伝えてくれるでしょう。その場に立ち会うことができる聴衆は、この作品の持つ深さに感動するはずです」
取材・文 / 前島秀国(2018年12月)