その柔らかな音色がなんとも心地よく、一つひとつの音が言葉を紡ぐような感触を受ける。あまりにも多い映画音楽の名曲から厳選し、デビュー25周年を迎えた“いま”の村治佳織を投影させているかのようなアルバム
『シネマ』は、純粋にアコースティック(ナイロン弦)・ギターのサウンドを味わえる一枚だ。長らく“クラシック・ギタリスト”という肩書きを意識しながら音楽を磨いてきたなか、大病などの経験を経て肩の力が抜け、音楽や楽器に対する意識も変化したという。「いま、自分になにか肩書きを付けるとしたら?」という質問に「“自分という人”。世の中に出ていくときは音楽家でありギタリスト」と答えてくれた彼女の演奏は、曲のジャンルや作曲家といったレッテルを意識することなく“村治佳織の音楽”として聴き手の心に響く。
──デッカ・レーベルへ移籍してからは、クラシックだけではなくいろいろな曲を演奏してきていますが、映画音楽で一枚というのは初めてですね。
「私自身が選曲して、いろいろなかたにアレンジをお願いした日本映画の名曲もありますが、『ローカル・ヒーロー / 夢に生きた男』のような私も知らなかった素敵な曲をデッカのプロデューサーが熱い調子で提案してくれました。チームとしてこういうアルバムを作りたいという方向性が明確で、素晴らしいプロセスを経て完成しました。全体としてはとても聴きやすいのですが、じつは緻密なアレンジと演奏によって世界を作り上げています」
──ここ数年は音色も演奏もリラックスした雰囲気になったと感じるのですが、こうしたアルバムを作ることとなにか関係があるでしょうか。
「2013年7月からお休みをいただき、2014年9月に映画『ふしぎな岬の物語』の音楽を弾くまでの約1年間、人前で演奏する機会がなく、日常生活をエンジョイしていました。10代でデビューしてからはつねに仕事のことを考え、インタビューなどで自分のことを話さなくてはいけない状態が続いていましたから、解放されたような気持ちになったのはたしかです。ふたたび楽器を手にするようになって、“がんばっていたクラシック・ギタリスト”としての自分ではなく、いま心地よく過ごしていることを大切にしながら、音楽家として、またひとりの人間として日々を楽しみたいと思えるようになったからかもしれません」
「演奏活動をお休みしている間も、これまで接点がなかったかたがたにお目にかかり、いろいろな発見がありました。以前は、クラシック・ギタリストとして音楽や感覚を研ぎ澄ますことが自分の生き方なのだと信じていましたが、まず“自分という人”がいて、そのなかに“音楽家、ギタリスト”といった自分がいると思えるようになったのです」
©Kazumi Kurigami
──今回の『シネマ』には古今東西さまざまな音楽が収録されていますけれど、素晴らしいメロディをもつ曲が多く、聴きながらあらためて映画音楽の奥深さや親しみやすさを感じました。
「選びに選んだラインナップですが、本当に素敵な曲ばかりですね。弟(村治奏一)とのデュオも2曲ありますが、アルバムの1曲目に収録した『プライドと偏見』も、鈴木大介さんが編曲した『ニュー・シネマ・パラダイス』も、ギターの音色やデュオの広がりを感じていただける演奏です。この2曲、私は1859年にアントニオ・デ・トーレスという製作者が作った古いギターを弾いていますけれど、この音が本当にピュアで美しく、気がついたらアルバムのなかで10曲も弾くことになってしまって、その展開には自分でも驚きました」
──もともとは、数曲だけのつもりだったのですか?
「哀愁のあるメロディに合う音色なので、当初は『禁じられた遊び』と『ゴッドファーザー』の2曲だけだったのです。プロデューサーが音色を気に入ってしまい“こっちの曲もどう? じゃあこっちは?”と演奏しているうちに10曲になってしまいました。自分が演奏するのではなく、楽器が自然に語ってくれるような印象が強かったですね。軽快なテンポの『第三の男』や渡辺香津美さんにアレンジしていただいた『カサブランカ』も、トーレスの音色が合うことは大きな発見でした」
──操上和美さんの撮影によるジャケット写真も、これまでとは印象が違いますね。
「映画のワンシーンみたいな写真ですからアルバムのコンセプトにも合っていますし、“自分であって自分ではない”という感覚が新鮮でした。それから、アルバムを制作する際にインスピレーションを受けたのが、ドリス・ヴァン・ノッテンというファッション・デザイナーのドキュメンタリー映画です。自分の好きなもの、気に入ったものだけをじっくりと作り上げていくという彼の仕事に対する姿勢に共感し、公開時には5回も映画館へ観に行ってしまいました。地道な作業を重ねて美しいものを作りたいという精神が、自分の気持ちと重なったのです。こうした仕事への取り組み方ができたことは幸せですし、演奏にも反映されているなと実感しています」
取材・文 / オヤマダアツシ(2018年8月)