2023年は結成53年目の紫にとって多忙な1年になった。7月にはフジロックフェスティバルに初出演、8月には7年ぶりのスタジオ・アルバム『TIMELESS』をリリース。紫史上初のミュージック・ビデオも作られた名曲「Double Dealing Woman」の再演にはCharと山本恭司がゲスト参加したが、彼らとは同月、日比谷野外音楽堂での「再現1977〜日本のロックの夜明け前〜」でも競演した。
締めくくりはワンマン・ライヴである。「MURASAKI CONCERT TOUR:TIMELESS 〜混迷の時代を超えろ」と銘打ち、12月に沖縄と東京で2公演を行なう。4月にも
CDジャーナル.comに登場 してもらったジョージ紫(key)とクリス(b)のふたりに、アルバム『TIMELESS』のことをはじめ、紫の現在と未来について聞いた。
――パワフルで若々しくて、すごくいいアルバムですね。『TIMELESS』というタイトルも印象的です。
クリス 「楽曲の中身はもちろん、50年以上活動していることや、とくに今回は過去の2曲をリテイクしてもいるし、総合的な意味でそう名づけました。アルバムのタイトルは基本、ジョージさんに決めてもらうんですけど、いくつかあった候補のなかで、この言葉で全部がつながったんで、即決でしたね」
――歌詞を拝見して、昨今の世界情勢と非常にリンクするものがあるなと思いました。
クリス 「はい。まさにそれですね」
ジョージ紫 「〈Don't Look Back!(振り返るな)〉〈Don't Stand in My Way(邪魔をするな)〉は完全にウクライナのことを歌っていますね。JJさん(vo)が歌詞を作ったんだけど、じつは1曲目の〈Raise Your Voice(声を上げよう)〉はロシアのウクライナ侵攻より何ヵ月も前にできた曲なんですよ。前作の『クエーサー』(2016年)にも、当時はシリアの難民の問題があって〈Borders Drawn in Blood(血塗られた国境)〉という曲を入れたから、その延長線上にこうした曲があるわけです」
――強欲な独裁者による破壊を食い止めるために民衆が団結して声を上げよう、という「Raise Your Voice」のメッセージが現実に符合したのは偶然なんですね。
クリス 「よくよく考えてみたら人間の歴史ってずっとその繰り返しですしね。そういう意味でも『TIMELESS』だなと思うんですよ」
ジョージ紫 「この曲はポーランドのiTunes Storeのデイリー・チャートでロックの1位になったんですよ。ポーランドは何度も侵略されてきた歴史があるから、共感してくれたんだろうと思います。あのへんの人たちは英語わかりますからね」
――デイリーとはいえ1位はすごい。
ジョージ紫 「セカンドの『iMPACT』(1976年)に入れた〈Mother Nature's Plight(母なる自然の苦しみ)〉は環境破壊に警鐘を鳴らす歌だったし、社会情勢に題材を求めることはいまもありますね。もちろんそれだけじゃなくて、4曲めの〈Younger Days(若かりし頃)〉は、JJさんが理想とする笑顔が絶えない家庭とか、拾ってきた迷子の猫が家族になったエピソードなんかを歌っています。僕が作ったコード進行にその内容がよく合ってて、きれいなバラードに仕上がってますね」
クリス 「歌詞もよくできてると思うし、ジョージさんがつけたタイトルもリンクしていると思います」
ジョージ紫 「〈Talk to the Sun(太陽に語りかける)〉のJJが作った歌詞にはエイサーとか国道58号が出てきますけど、最初は沖縄そばとか、おじい、おばあとか入ってたんですよ。“これはやめよう”ってクリスが止めたらしいけど(笑)」
Photo by ジョン松元
――曲調の幅も広いですね。〈The Fire Is Burnin'(炎は燃えている)〉は紫らしいブルージーなハード・ロックですし、〈Free Your Soul and Let It Be(魂を解き放そう)〉はシャッフル、〈Younger Days〉と〈Tears of Joy(喜びの涙)〉はバラードで、8分の6拍子の〈Don't Look Back!〉もある。
ジョージ紫 「東京オリンピックで空手の形で優勝した喜友名諒選手を育てた佐久本嗣男先生が、紫のドキュメンタリー映画(『紫 MURASAKI〜伝説のロック・スピリッツ〜』)で “紫の音楽は空手と一緒で、激しいところと優しいところがある”みたいなことを言っていて、すごいなと思いました。“ジョージさんはわかってるかどうかわからないけど” とか言いながら。もちろんわかってます(笑)」
――ちょっとイジっているんですね(笑)。
ジョージ紫 「佐久本先生は僕の昔からのファンなんです。1995年に沖縄県立武道館ができたとき、僕が〈Spirit of Rei(礼の心)〉というテーマ曲を作ったんですよ。沖縄の音階を使って、クラシカルな部分と完全にロックになる部分がある曲なんだけど、それをすごく気に入ってくれて、2008年に沖縄市に“コザ・ミュージックタウン”という音楽施設ができたとき、柿落としで僕がプロデュースしていろんな人たちを呼んで演奏したんですけど、〈Spirit of Rei〉に合わせて彼と弟子の女子の空手家が演舞してくれた。あと、2019年に劉衛流空手の始祖とされる仲井間憲里の生誕200年で、県立武道館に世界から空手家を呼んだ大会があったんですけど、そのときも“入場行進に使いたい”って連絡があってね」
クリス 「それは紫ではなくてジョージさんのソロの曲ですけどね」
ジョージ紫 「僕にとっては一緒だから(笑)」
クリス 「ジョージさんからすれば同じだと思うんですけど、他のメンバーは知らないと思います(笑)。僕は一緒に演奏する機会があるから知ってますけど」
ジョージ紫 「そういったいろんな要素があるということです」
――いろんな要素があるのは紫も同様ですよね。ハード・ロック、ブルース、クラシック……。
クリス 「そういうことを最初にやったのがたぶんジョージさんだと思うんですよ。ロックとクラシックと沖縄の音階をバランスよく混ぜた音楽を作ってるのは、僕のなかではこの人しかいない。たとえばポップスに三線の音色をただ乗っけるってだけじゃなくて、インテリジェンスやエモーションの部分からしっかりと乗せていく。やっぱり全然違うなと、僕は思います」
ジョージ紫 「そういった部分まで理解してるのはクリスぐらいしかいないんですよね。本当によくわかってる。同じレベルで話ができるんですよ。だから何でも相談できるし、彼がいるからこそ紫もどんどん進歩していけるんだと思います」
ジョージ紫(Photo by 東 邦定)
――お二人が紫のプロデューサーなんですよね。
クリス 「そうですね。いまの体制になってからは僕がサウンド・プロデューサーという立場をとらせてもらってるんですけど、前作からジョージさんの意見とかアイディアを多く取り入れるようになったんで、じゃあもう一緒にやろうよ、っていう」
――そうした体制の変化は紫にどんな変化を及ぼしましたか?
クリス 「70年代の香りがするところは、確実にジョージさんの要素だと思います。とくに3曲目の〈Free Your Soul and Let It Be〉。シャッフル調の曲ですけど、これ、理屈もわかるしフレーズ的にも理解できるから作ろうと思ったら全然作れるはずなんですよ。でも、どうしてもこの空気にならない。それはやっぱりもともとジョージさんが持ってるものなんですよね」
ジョージ紫 「これはJJの歌詞が間に合わなくて、アルバムから外れそうになったんですよ」
クリス 「そうそう。彼の歌録りができるギリギリの期日に間に合わなかったんですね。でもトラックはいいのが録れてたし、ジョージさんがメロディも作ってくれてたから、インストにしようかなと思って、ジョージさんに電話したら“歌詞書くからちょっと待って”って」
ジョージ紫 「ぜったいにインストはイヤだったんですよ。だから急いで歌詞を作って歌もうたってデモ作って、Chibiさん(宮永英一 / ds)に送って“明日録音するから覚えとけ”と(笑)」
クリス 「ジョージさんの頭のなかでは声が乗ってるイメージだったんでしょうね。その日のうちに書いてるから“スゴ!”と思いました」
ジョージ紫 「やろうと思えばできます」
クリス 「こういう曲は自分がやっても真似事っぽくなるっていうか、いちおう音楽にはなるけど、しっくりこないなってどうしても思っちゃうんですよ。でもジョージさんがやると、もともと持ってるグルーヴだからしっくりくる。そういうことをいろいろ考えると、一緒にプロデュースしたアルバムだよね、って思います」
――そうですね。ジョージさんの世代の人だけがやっているバンドでもできない音だし、クリスさんの世代だけでもできない。
ジョージ紫 「一緒にやってるからできる。本当にそのとおりです」
クリス 「というところにも『TIMELESS』っていう言葉がハマるんですよね」
――そうですね。〈Starship Rock 'n' Rollers〉に〈Double Dealing Woman〉と、代表曲の再演もありますし。
ジョージ紫 「〈Double Dealing Woman〉は紫で2曲目に作った曲で、ヴォーカル入りでは初めての曲なんですよ。この2曲はもともとはボーナス・トラック的な意味で入れようと思ってたんだけど、Charさんと恭司さんが入ってくれたことで2023年ヴァージョンに生まれ変わりました」
クリス 「いまの体制になってから16年になるんですけど、この2曲はほぼほぼ毎回ライヴでやってるんですよ。僕が入る前も含めれば50年近く、それぞれ演奏してきたわけですよね。だからみんな体に染みつきつつも、どんどん進化していってるから、ただのリテイクにはなってないと思います」
クリス(Photo by 里田 晴穂)
――やりとりはファイルの交換ですか?
クリス 「そうです。“こういう構成にしたいんで、ここを弾いてほしい”っていうオーダーだけして、あとはお任せしました。“聴いて感じたままに聴いてほしい”って伝えて」
ジョージ紫 「うちの(比嘉)清正さんからCharさん、恭司さんと、ギター・ソロが3回出てくるけどみんな違って、それぞれのギタリストの個性がすごく出てますね」
クリス 「ある程度予想はしていて、構成的にもこの並びがいいよな、と考えてオーダーしたんですけど、内容は思っていた以上で、かっこええ! と思いましたね。これのおかげで野音での共演もプレミアムなものになったなと思います」
――46年前のコンサートの再現ですものね。『TIMELESS』の謎解きみたいなインタビューになってきましたが、『TIMELESS』なものはほかにも何かありますか?
クリス 「アートワークもそうですね」
――あ、そうだ。ファースト・アルバム『紫』(1976年)へのオマージュですね。
クリス 「これが47年の時を経て新作に出てくるのもそうだし。全部がリンクするんですよ、『TIMELESS』という言葉で」
――『紫』のジャケットは戦闘的な雰囲気ですが、こっちはお花がいっぱいでピースフル。素敵なデザインだと思います。
ジョージ紫 「1970年代前半は米兵たちが沖縄からベトナム戦争に赴いていた時代ですから、レコード会社もデザイナーもああいうイメージだったんでしょうね。表はベトナムに飛んでいきそうなB-52だし、裏は原子爆弾だし。でも新作は、平和の象徴である花をまきちらそうということで。裏も核弾頭の代わりに花が詰まってて、花瓶みたいになっているんですよ」
――(CDのジャケットを裏返して)本当だ!
クリス 「デザイナーさん(奥村靭正)に “こうしてくれ” ってオーダーはしなかったんですよ。ざっくり雰囲気だけ伝えて“お任せします。楽しみにしてますね”と言って上がってきたのがこれで。JJが書いた歌詞ともハマるし、アルバムのタイトルが全部をつないでくれた感じがするんです」
――たしかに。ちょっと大げさかもしれませんが、奇跡的なものを感じますね。
クリス 「いや、本当にそうです」
ジョージ紫 「ミラクルだね」
クリス 「だからもっとみんなに知っていただきたいんですよ。よろしくお願いします」
Photo by ジョン松元
――がんばります! ところで7月に出演されたフジロックはすごく盛り上がったそうですね。
クリス 「お客さんの90%以上が紫を知らなかったと思うんです。あそこでできたことにすごく意味があるし、誰も帰らないで聴いてくれたし、むしろ紫の曲を聴いて彼らなりに解釈してノッてくれてて、見ててすごく面白かったですね、僕的には。いまのメンバーで16年やってますけど、16年で初めての感覚でした」
ジョージ紫 「演奏もよかったんですよ。あのお客さんたちは紫のこと知らないと思うから、最後にやったディープ・パープルの〈ハイウェイ・スター〉も僕らの曲だと思ったんじゃないかな(笑)」
――12月にもライヴがありますが、初めての人たちに聴きにきてもらいたいですよね。
クリス 「本当に、来てほしいですね。そんなに頻繁に東京でやれるわけじゃないですし、肉体的にもあと何回来れるかわからないんで」
ジョージ紫 「(笑)。みんな70歳すぎてるから」
クリス 「しかもメンバーも6人いるし、スタッフまで含めるとけっこう大がかりで、外タレが来るぐらいの仕込み方をしないといけないんで、なかなか簡単にはできないんですよ。せっかくの機会だから、知ってくれてる方はもちろん、知らない若い世代の方にも来てほしいし、あと紫のこと知ってるけどまだやってるのを知らない人も」
ジョージ紫 「現役で活動してることを知らない人が多すぎる(笑)。沖縄でもそうなんですよ。“この人まだやってるの?”ってよく言われるから」
クリス 「気づいたときにはもう観れないよ、みたいなことにはなってほしくないなって思って」
ジョージ紫 「そのとおり。2024年の7月にスウェーデンのロック・フェスティヴァル(TIME TO ROCK FESTIVAL)に出ることになったので、それを通して、“あ、紫まだやってるんだ。しかもあんなところに呼ばれるんだ”っていうふうに、もうちょっと僕らの認知レベルと評価が上がれば、観に来てくれる人が増えるかなと思ったりしています」
――海外での評価も高そうですね。
クリス 「2010年に34年ぶりにスタジオ・アルバムを出したんですけど(『Purplessence』)、そのときと決定的に違うのが、SNSを使うのが当たり前になっていることですね。たまに見ると、どこかの国の人が英語でレビューを書いてるんですよ。そういうことが圧倒的に増えました」
――初めてミュージック・ビデオを製作されたのはYouTubeを通して知ってもらうためですか?
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クリス 「それもあるし、ミュージック・ビデオの撮影を僕以外のメンバーはやったことがないって言うんですよ。だったら、思い出じゃないけど、“絶対みんなやったほうがいいよ”って(笑)」
ジョージ紫 「真夏に何時間もかけて同じ場面を何度かに分けて撮ったり、熱中症になるんじゃないかと思いましたけど(笑)、Charさんと恭司さんも来てくれて、楽しかったです」
――2024年はどんな活動をしていきたいとお考えですか?
クリス 「なるべく勢いは殺さずにいきたいですね。冬の間はライヴはお休みすると思いますけど、その間にいろいろ仕込んで、春先ぐらいからエンジンかけてって、スウェーデンを皮切りにいろいろやりたいです。2025年に紫は結成55年を迎えるので、そこで何かやりたいよねってなると、その1年前から稼働してないと仕掛けられないんで。全然まだまだ止まれませんね」
ジョージ紫 「まだ具体化はしてないけど、ほかにも海外からいくつかオファーが来ているんですよ。あとスウェーデンのフェスの主催者の紹介で、現地のメタルを中心にリリースしてるレーベルから “紫のレコードを出したい” というメールが届いたり」
クリス 「決まってはないんですけど、今年の動きをきっかけに、紫と一緒にやりたいって動いてくれる人が増えました」
――4月にCDジャーナルに載ったインタビューで「これが最後のアルバム」みたいなことをおっしゃっていましたが、作ってよかったですね。
ジョージ紫 「言ってましたね(笑)」
クリス 「よかったです、本当に。コロナ禍に入った2020年までは、ジョージさんはずっとアルバム作りたいって言ってたんだけど、僕が渋ってたんですよ。売らないといけないし、さっき言ったみたいにリスクは背負えないし。でも不思議と流れが来たんですよね」
ジョージ紫 「『ミラクルシティコザ』とドキュメンタリーと、2本続けて映画が作られて“何が起きてるんだ?”みたいな」
クリス 「まわりの“紫を伝えたい”っていう気持ちに応えていったところは大いにありますね」
ジョージ紫 「これも一所懸命やってきたからですね。普通はある程度やったらやめて消えちゃうけど、僕らは消えたくなかった。その記録としてアルバムが出たり、ビデオが出たりして、僕らが消えてもいろんな形で世の中に残ることになれば、それで成功です。まだ消えませんけど(笑)」
――ありがとうございました。最後に話しておきたいことはありますか?
クリス 「しゃべりすぎるぐらいしゃべりましたけど、まだ言ってないことで言うと、このアルバムは本当に難産だったんです。〆切ギリギリまで詰め込んでやっとできたんですけど、載せきれなかった曲や間に合わなかった曲がいっぱいあるんですよ。そういうのも、いずれは何らかの形でお届けしたいと思ってます。あと、基本的に僕とジョージさんが曲を書いて、JJが歌詞を乗せるスタイルが多いんですけど、ほかのメンバーもアイディアは持ってるんで、そういうのも出していきたいなと思っています」
取材・文/高岡洋詞